m29「さよなら先輩」
お世話になった、ひとつ歳上の先輩が亡くなった。病気だった。その訃報を聞いた時、正直言葉が出なかった。
その先輩は僕が今の支社に異動してきてからの付き合いで、一緒に働いた期間は短い。僕が異動してから一年と経たず、先輩は別の支社に異動したからだ。
先輩はこのストレスフルな会社では珍しく、まわりに愚痴を吐かない人だった。それに加えて無駄口も叩かず、与えられた仕事を黙々とこなす職人気質な人だった。それでいて笑い方が少し特殊。ギャップが面白い人だった。
そんな先輩は、歳が近くて前職持ちという共通点のあった僕に、本当に良くしてくれた人だ。
前述のとおり先輩は僕よりひとつ歳上で、つまりは僕と同じような青春時代を送った人だ。話が合わない訳がない。冗談を言い合える仲になるのに、それほど時間は掛からなかった。と言っても、ほとんど僕から話しかけていた気がするけれど。
先輩は普段は寡黙で、自分からはあまり話さない。だから先輩が異動してからはほとんど連絡がなかった。自分の身体の状態さえ話さなかった。先輩らしいと、何故か納得してしまったほどだ。
ところで僕は今年、前厄だ。エターナル35歳でも不思議と厄はやってくる。つまりひとつ歳上の先輩は本厄。冗談めかして厄祓いに行ったほうがいいと年初に伝えたが、先輩の答えは「この世に神様はいない」だった。これも、何とも先輩らしい答えだった。
先輩の「神様はいない」というあの言葉、今となってはとても深く共感してしまう。もしも本当に神様がいて、その神様がひとりぶんの魂を何らかの理由で欲していたとして。
どうして数ある中で、先輩の魂を持っていってしまったのか。真面目に生きていた、なんの犯罪も犯していない人の魂をどうして。
僕たちの仕事は少し特殊だ。言葉を選ばす、いやめちゃくちゃに悪い言い方をすると、人に迷惑を掛けまくってるクソみたいなヤツたちを相手にしている。つまり先輩とは雲泥の差で、僕からすると、そういう「人に迷惑を掛けまくるヤツ」の魂を神様に持っていってほしかった。
いや、神様がいるならそうすべきだと思う。人に迷惑を掛けるヤツがいなくなれば平和になるのは間違いないし、現に僕らはそういうヤツらが他人に不幸をばら撒くのを嫌というほど見てきたのだ。
でも神様は先輩の魂を持っていった。人に迷惑を掛けるヤツらから、何の罪もない人たちを守る仕事をしていた先輩を。どうして、という疑問が浮かばない訳がない。
この仕事をしていれば、「人の命は平等だ」なんて言葉は真っ赤なウソだとわかる。当たり前だ、先輩の命と、ただ人に迷惑を掛ける輩の命の価値が等価だなんてあり得ない。あり得て良いはずがない。
だからきっと、この世界に神様なんていないのだ。
……なんて子供じみたことを言ってたら、先輩、あなたは僕を笑うのかな。まぁ、先輩になら笑われてもいいか。またいつか、例の変な笑い方で、僕を笑ってくれ。
いつか僕がそっちに行く時(欲張ってあと80年は生きるつもりだけど)、先輩が好きだったビールを山ほど持っていくよ。こっちでは酒の飲めない僕でも、そっちでなら飲めるかも知れない。だから気長に待っててくれよな。
先輩。今はゆっくり、心ゆくまで休んでくれ。僕はこのクソみたいな仕事を全うして、笑えもしない笑い話をたくさん溜め込んでおくよ。そっちでの飲み会で披露するのを約束する。
さよなら先輩。また会おう。
いろいろと本当に、ありがとう。
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