【3】用心、貴人棺 #3

 宇智也は戸惑った。

 戸惑いはラ号も同様だった。

 棺の中に連れ込まれたと思ったのに、広い空間に立っていたから。


 高い天井も遠い壁も床も全て石造り……薄暗いのに見渡せすことができる。

 周囲には整然と並べられた大量の棺、ひんやりとした空気は、どこかヨーロッパの地下墓所を思わせた。


「ようこそ。私の神域へ」


 エヴァはまだ、二人の手を握っていた。


「……あの、神域って」


 宇智也が尋ねると、明るい表情でエヴァはウインクした。


「神域とは……彼の者、兎月苑とげつえんの言うCOSNコズンのうち、力のある者だけが作り出せるささやかな庭のようなものだ。私程度では、せいぜいこの小さな棺の中の空間を神域にするのが精一杯だが、神と呼ばれる者であれば、自分を祀る神社の境内全てを神域にもできよう」


「エヴァは、神様なのか?」


 ラ号はそう尋ねながら、エヴァとつないでない右手で宇智也の左手をたぐってつなぐ。


「巷では真祖と呼ばれる私だが、そこまでの力はない。神と呼ばれる者は私よりももっと混沌が濃い」


「真祖……ということは、吸血鬼なのですか」


 今度は宇智也が尋ねる。


「そう呼ばれることと、そうであることとは違う。私の力は『血の烙印Bloody Stigma』と聞き及んでいる。血を介して情報を交換できる眷属を作ったり、『血魔術Bloody Sorcery』を与えたり。『血魔術Bloody Sorcery』についてはケイトが使うのを見ただろう? 血を触媒に魔法を行使する力だ。使えぬ者には理解できぬ力。血を消費して得られた結果だけ見た者が、吸血鬼という言葉を用いたくなるその気持ちは理解できる」


「キュウケツキって何?」


 ラ号が眉をしかめる。


「吸血鬼というのはだな、純血種の人間が恐怖の中から生み出した幻想だ。神域から出たら調べてみるとよい。様々な伝説を見つけることができるだろう。ただ、そこで集められる情報はほとんどが勘違いで構成されていると思うがな。私もケイトも、太陽の下に出たところで灰になぞならない。流れる水の上も平気で渡れる。十字架もつかめれば、ニンニクに食欲をそそられもする。銀もナイフのように研げば私達を傷つけられはする、普通の人間に対するのと同程度にな……それも当然だ。私もケイトも君らと同様に、混沌が少し混ざっただけの人間なのだから」


「……あの、さきほど『血魔術Bloody Sorcery』を与えることができるとおっしゃいましたが、俺の力はそれと同じ……魔法のようなものなのですか?」


 宇智也が尋ねると、エヴァは宇智也とつないでいる手を持ち上げる。


「詳しく調べるには宇智也君の血をもらう必要がある。わずかで良いので分けてくれるか?」


 一瞬の躊躇いのあと、宇智也は静かに頷く。

 エヴァは少しだけ強く、宇智也とつなぐ手に力を入れた。


「吸血鬼は、許可をもらえないと家に入れない、という伝説があるだろう。あれはね、こうやって本人の許可を得ることで、『血魔術Bloody Sorcery』に対する抵抗力を減じよう……とした先人たちの行為が誤解されて残っているものだよ。混沌が多く混じった者や、宇智也君のように守護がある者は、他の混沌による力への抵抗力が強い。ケイトの『血の同胞Bloody Sibling』も、全て抵抗しきっていたよね。君が望めば、抵抗せずにそれを受け入れることもできるんだ」


 エヴァは目を閉じる。

 宇智也は、自分の中へ手を伸ばされるように感じたその慣れない感覚を、受け入れた。

 エヴァは再び目を開く。


「わかったよ……宇智也君は、やはり私の遠縁のようなものだな。混沌にも近い遠いがあってね……近ければ能力が似る。もっとも宇智也君のルーツは、『血の烙印Bloody stigma』とは似て非なるものだ。私たちの場合、眷属としての関係性を築いた者同士ならば離れていても情報の交換ができる。私がケイトを通して宇智也君やラ号君たちのことを知ったように。ところがだ。宇智也君の力は、血を介しさえすれば、関係性のない相手の思考ともつながることが可能なんじゃないか?」


 宇智也の表情が暗くなる。


「それで嫌な目にあってきたんだね」


 エヴァは宇智也とつないでいた手を放し、その指先で宇智也の腕をなぞり宇智也の頭まで辿ると、優しく撫でた。


「でもそれは力のせいじゃない。宇智也君の力は、相手に告げなければ周囲からは見えない。血に触れないようにすれば感じることもない。本来、そういうことは親が子に伝えるべきことだ。血というものは混沌混じりであることも含めて遺伝するからね。だが宇智也君は自分の力に気付く前に、周囲に力を見せてしまったのかな。宇智也君に血を継がせた親は、何らかの事情で幼い君と離れざるを得なかった……恐らくそのようなことだろう」


 宇智也は、驚いた表情で女性を見つめる。


「私には、宇智也君のように血から相手の思考を読むことはできない。ただ、無駄に長く生きているからね、知識と経験がある。それで推測しただけだよ」


「……だいたい、合ってます」


「ラ号君、君の血も確認させていただいてもよいかな?」


「いいぞ……わ、何か入ってきた」


「……ふむ。ラ号君の血は、私達とはかなり違うルーツだね。COSNコスンCOSNコズンになった原因とやらかもしれない。そして混沌が濃いね。混沌の血が濃ければそれだけ身体能力も向上する」


「オレは強いってことか!」


 宇智也とは対照的に、ラ号にはようやく笑顔が戻った。


「……あの、俺が『血魔術Bloody Sorcery』を学ぶことってできますか?」


「できるけれど、できない」


 エヴァは宇智也をじっと見つめた。


「どういうことですか……もしかして、眷属というものにならないと、ということでしょうか」


「宇智也君の予想は間違ってはいない。ただね、君は遠い親戚のようなものだから、眷属にならなくとも習得は不可能ではない。しかしそれ以前の問題があってね……それにはまず、血に混ざる混沌の説明からしなければならないかな」


 エヴァは二人から手を放し、空中にスクリーンのようなものを作り出した。

 宇智也は血の香りを嗅いだ……しかしその血の持ち主の思考を読むことができない。

 死者の血であると宇智也は感じた。


「これは『血鏡Bloody Mirror』という『血魔術Bloody Sorcery』の一つだ。血を用いて霧状の塊を作り出し、そこに術者のイメージを映し出す。例えば自分の後ろの背景を映せば消えたように見えるし、コウモリになって飛んでゆくシーンを映せば目撃者にはそう見える。血の霧だから明るい所では見えにくいし、ましてや太陽の下ではあっという間に乾燥して消えてしまう。吸血鬼が陽の光に弱いのではなく、『血魔術Bloody Sorcery』で作った目くらまし効果が陽の下では暴かれやすいというだけのこと……伝説の真実なんてそんなものさ」


「仮面ライダーを映すこともできるのか?」


「私がそれを知らないモノは映せない……うちは子たちは皆、その番組を観てなかったからね」


「そっか……」


「神域から出たら、宇智也君に頼んでみたまえ。資金については私が許可しよう。この屋敷のラ号君の部屋に、DVDでもブルーレイでも揃えてあげたまえ」


 エヴァの返答を聞いたラ号の表情がさらに明るくなる。


「宇智也君、血の香りがしているって表情だね。この『血鏡Bloody Mirror』は、空間内を血の霧で満たしたいときにも使ったりするよ。別の『血魔術Bloody Sorcery』には、発動条件として対象が血に触れることが必要な場合もあるからね……と、話が逸れまくってすまない。講義を始めよう」


 エヴァが作った白いスクリーンに、黒い線で円が描かれる。


「これは魂だと思ってくれたまえ。でね、魂は力を持っている。現在の人間の科学ではまだ解明できていない超常的な力だが、我々混沌混じりの中には、魂を感じる力を持つ者も居てね、経験則でそれが判っている。魂は、あの世と呼ばれる場所……魂が魂だけで存在する幽世かくりよにおいては、それのみで力を使用できる。ご先祖様が夢枕に立った、なんて話は耳にしたこともあるだろう」


 宇智也は頷き、ラ号は首を傾げる。


「魂の持つ力をね、これは私の父が好きな例えだったのだが、カードで現してみよう」


 円の横に縦長の長方形が浮かぶ。


「魂の手札だ。魂は力を使いたいとき、この手札を切る」


 カードを描く線の色が薄くなる。


「力を使って、しばらくすると魂の力が回復し、再び力を使えるようになる」


 カードの線の色が元の濃い黒へと戻る。


「そして魂は、この物質世界……現世うつしよにおいては、肉体なしに長くは存在を維持できない」


 黒い線で円とカードとを覆うように人の形が描かれる。


「さらには肉体があると、魂だけのときのようにはカードをうまく使えない……そこで魂は時間をかけ、肉体にカードを馴染ませる。まるで金属が磁力を帯びるかのように、だ。このとき、混沌が多く混ざっているほどより早くより強く、カードが肉体に馴染むことになる」


 人の形の手の先に、カードの形が現れる。


「この、肉体に馴染んだカードを、肉体の手札と呼ぶ。そこまではいいかな?」


 宇智也と、今度はラ号も、静かに頷く。


「肉体に馴染んだカードは、魂のカードを使ったとき、その具現化を補助してくれる。そして大事なのは、肉体の手札は子孫へと受け継がれるということ。混沌の血は遺伝するのだ」


 人の形の下に、さらに二つ、同様の人形ヒトガタが表示される。

 どちらも肉体の手札を持っている。


「ここで一つ問題だ。珈琲に同量の水を加えると、味はどうなるかね?」


「薄くなります」


 宇智也が応えると、エヴァのスクリーンに新しく表示された人形の片方の、その持つ肉体の手札が小さくなった。

 そして、新たな二つの人形の中に、それぞれ魂が描かれる。

 どちらの魂も手札が添えられている。


「カードにはスートがあるように、手札にも種類がある。攻撃的とか、身を守るとか、癒すとか、情報を集めるとかね」


 最初に描かれた魂の手札に、スペードのスートが浮かんだ。


「魂の手札が肉体に馴染んで肉体の手札となったとき、この種類が継承される」


 最初の人型の手札にもスペードが表示され、その下の段の二体の人形にも、肉体の手札にスペードが表示された。

 しかし、下の段の二体の中にある魂の手札は、スペードとハートが表示された……小さい手札の方がスペードだ。


「継承された肉体の手札種類と、そこに宿った魂の手札種類とが一致しない場合もある。もっとも、混沌混じりの肉体に宿る魂は、近い手札を持つ魂が惹かれやすいとも言われるが……さらに言えば、混沌混じり同士の子は、どちらか一方の手札しか継承されなかったり、手札の枠だけが継承され中の手札は継承されない場合もある。実際、薄い混沌混じりに関しては、この手札枠だけの者が圧倒的に多いようにも感じる」


「では……『血魔術Bloody Sorcery』や、俺の『血の巫女』とかが手札で……俺の肉体の手札……手札枠はもう埋まっている、ということですか?」


 宇智也の問に対し、エヴァは笑顔で応える。


「恐らくは……一時的に、ね」






●主な登場人物


渋沢しぶさわ 宇智也うちや

 臨海学校に向かう途中のバスで事故に遭った高校一年生。

 血に触れると、血の主の思考を読み取れる混沌の力『血の巫女』を持つ。


沫祇原あわぎはら ケイト

 バス事故に遭った宇智也が病院で目覚めたとき手を握っていたハーフっぽい美少女。

 『血魔術Bloody Sorcery』という混沌の力を駆使する。天城あまぎ 敬子けいこという偽名を用いていた。


網場あみばごう

 網場明日架の四十八つ子の中から生き残った二十二番目の女子。『Hybrid Deep One』

 様々な魚に変身できる混沌の力を持つ。最初の姿はイシダイ。何に変身できるかの魚種はコントロールできていない。

 土生との外出後、宇智也達と出会い、懐いた。仮面ライダー好き。

 ラ号の出自を隠すために「沫祇原あわぎはら ララ」という偽名が用意された。


沫祇原アワギハラエヴァネッセンス

 ケイトと沙羅の保護者。洋館の大広間に飾ってあった肖像画にもよく似ている。真祖と呼ばれることもあるらしい。

 洋館の地下迷路の先の部屋に居て、二人を棺の中、神域へ連れ込み、混沌の力についての講義を始めた。


兎月苑とげつえん

 整った顔立ちの優男で愛創学園は専門科の教師。COSNコズン

 三人を郷土史跡研究会キョウシケンへと誘った。

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