【3】用心、貴人棺 #2

 白いワンボックスカーは、幅広なシャッターゲートの前で一時停車した。

 都内にしては広い敷地を囲う高く長い壁。

 このシャッターゲートとその横の無機質な扉だけが、壁の内側へ入れる唯一の出入り口。、

 ワンボックスカーが停まってすぐにシャッターゲートは開き始め、中に入ると同時に閉まりだす。


 敷地内へと入ったワンボックスカーは、そのまま敷地の半分以上を占める古めかしい洋館の東端にあるガレージへと滑り込んだ。


「降りて」


 沙羅の声と同時にスライドドアが開く。

 まずケイトが降り、宇智也が降り、宇智也の裾をつかんだままのラ号が続く。


「先に行ってて」


 沙羅の声に頷いたケイトは、車やバイクや工具が並ぶガレージに設置されるにはちょっと上品なドアを開け、中へと入った。


 まっすぐに伸びる長廊下。

 漆喰塗りの真っ白な天井と壁、壁の下側一メートルほどはシンプルなデザインの木製の腰壁で、板張りの床と同じ色。落ち着いたダークブラウン。

 照明は、壁から等間隔に突き出た燭台のみで天井には何もない。

 一つの燭台につき、三つある灯りは、炎の形を模した電球がはめられている。

 廊下の突き当りにある両開きの木製扉まで距離は二十メートルほど。窓はなく、ドアが両側に三つずつ。

 その廊下を迷いもなく進むケイトを、宇智也は呼び止めた。


「あの……靴のまま上がっていいの?」


 ケイトは口の中で、あー、と小さく呟いてから、かかとをコンと鳴らす。


「この家は洋風で、生活スタイルも洋式。靴を脱ぐのはベッドの上とかお風呂のときぐらいかな。あっ、外出しないときは靴じゃなくスリッパで歩きまわっているけど」


「わかった」


 再び歩き出したケイトの後ろを宇智也とラ号がついて行く。

 三人が長廊下の半分ほどまで歩いてきたとき、進行方向突き当りにある両開きの扉の一部が、カタンと音を立てて開いた。

 その扉には、猫用の小さな扉が取り付けられていて、そこから一匹の黒猫が廊下側へと出てきたのであった。

 宇智也は、どの扉にも同様の小さな扉がついていることに気付く。


「猫に優しいお屋敷なんだね」


「そうだよ」


 宇智也の問に答えたのはケイトではなかった。

 いつの間にか三人の近くにまで来ていた黒猫が、宇智也をじっと見つめている。


「腹話術? それともまたケイトさんの」


「呼び捨てでいいよ」


「腹話術じゃないよ」


 ケイトが喋り終え、口を閉じたあと続いたその声は、確実に宇智也の足元から聞こえた。

 宇智也はすぐに声の聞こえた先を見たが、そこにはやはり黒猫しかいない。


「このお客人たち、あんまり驚いてないね。なんだ、つまんない」


 黒猫はそう言うと、宇智也からぷいと目を背け、今きた道を戻ってゆく。


「そうよね。鮫が人に変身しても驚かない人だもんね」


 ケイトは苦笑し、黒猫に続いて廊下を進んだ。


 黒猫が通り抜けた猫用扉の戸の揺れが収まってから、ケイトは両開きの扉を開く。

 そこは二階まで吹き抜けている大広間だった。

 ケイトはその大広間の中央まで二人を連れてゆくと、そこで直角に体の向きを変えた。

 宇智也とラ号もそれに倣う。


 彼らの目の前には、部屋の中央から二階へと続く大階段。

 登った先の正面は踊り場になっており、大きな肖像画が掛かっている。

 着物を着た線の細い男性と、同じ柄の着物を着た金髪碧眼の女性。

 二人とも、二十代前半くらいに見える。

 昭和のスターを思わせる整った顔立ちの男性は穏やかな笑顔だが、対照的に女性の目は冷たく、どこか不機嫌そうだった。


 踊り場からは左右へと階段が分かれ、この広間の二階部分の三方をぐるりと取り囲む張り出し廊下へと繋がっている。

 階段の手すりと張り出し廊下の柵はシンプルに統一されたデザインで、色合いは先程の廊下の腰壁と同じ。

 腰壁は、この大広間自体や張り出し廊下に接する壁にも施されており、それ以外の部分は漆喰で白く塗られ、装飾といえば壁と天井との間にゆるやかなカーブを備えた大きめの廻り縁があるくらい。

 全体的に落ち着いた印象を与える部屋だった。


 張り出し廊下には、宇智也たちが通ってきた両開きの扉の、ちょうど真上に同じデザインの扉が見える。

 また、反対側の壁にも一階、二階ともに同様に扉があり、この屋敷の両翼の中心に廊下が通っていることが窺い知れる。


 天井からは、すっきりとしたデザインのシャンデリア……大きな半球状の装飾ガラスの一灯、周囲には小振りな三灯が配置され、それらをアールデコの金属フレームがつないでいる。

 そのシャンデリアが、宇智也たちの真上と、大階段の上の二箇所から、淡く優しい光を広間全体へと落としていた。


 一階、二階の各壁には、長廊下にあったのと同じ燭台が幾つか取り付けてあり、宇智也たちの後方、立派な両開きの大扉付近は特に明るいのだが、大階段の両脇から向こう側は意図的にそうしているのではと感じられるほど暗かった。


 大階段には、三匹の黒猫がちょこんと座っていた。

 そのうちの一匹は、さっき廊下を覗きに来た黒猫だ。


 ケイトが一歩前へ出て、一匹ずつ指差しながら黒猫の紹介を始める。


「一番凛としているこの子がニャー、細いこの子がルラ、さっき覗きに来た子ね。そして一番ちっちゃなのがホテプ。ニャー、ルラとホテプは三姉妹なの」


「こんにちは」


 宇智也がしゃがんで挨拶をすると、そのすぐ後ろでラ号も真似をする。


「本当に驚かない方なのね」


 落ち着いた声のニャーはお辞儀を返す。


「お家でもアイドルのポスターに話しかけたりしているのかしら!」


 高い声ではしゃぐホテプの頬を、立ち上がったルラが尻尾で軽く叩く。


「そういうのは後!」


 するとニャーとホテプも続いて立つ。


「宇智也とラ号はついてきて。ご主人さまのもとにお連れするから」


 ルラは大階段の後ろの暗がりへ左側から回り込み、宇智也とラ号は言われた通りについて行く。

 宇智也の傍らにはニャーが、ラ号の傍らにはホテプが、寄り添うように付き従う。


 大階段の裏には地下へと降りる階段があるが、照明の類は見当たらない。

 闇の中へ数段降り始めていたルラが、尻尾をピンと立てた。そして尻尾の周りに光るドーナツのようなものが現れ、周囲を仄かに照らす。


「あんまり離れないように、あと、私たちを踏まないように」


 ルラは階段をトントンとリズムよく降りてゆく。

 その尾に灯る光はあまり大きくないため、宇智也はラ号の手を引いたまま、ルラのあとを慎重に降りてゆく。


 やがて階段が終わり、そこからは細長い通路が始まるのが見える。


「バトンタッチ!」


 ルラが尻尾をくゆりと揺らすと、ニャーがそれを自分の尻尾で受け止め……灯りが移る。


「踏まれそうだからね」


 そう言ったあと、ルラは宇智也の肩に飛び乗った。

 ホテプもラ号の肩に飛び乗ろうとしたが、ラ号はこれを躱す。

 宇智也はラ号とつないでいた手をいったん離し、ホテプへと手を伸ばして抱き上げる。


「ラ号、乗せてあげて」


「わかった」


 ホテプがラ号の肩に乗せられた後、宇智也とラ号は再び手をつなぎ、ニャーに続いて細い通路へと足を踏み入れる。

 二人並んでは通れないほどの道幅。

 通路は何度も右に曲がったり左に曲がったり途中で分岐したりと、迷路構造になっていた。

 最初の頃は道順を覚えようとしていた宇智也が、自分の記憶力の限界を感じ始めた頃、ニャーが止まった。


「ここからは二人でどうぞ。真っ直ぐだから、行き止まったら扉を開けて」


「わかった」


 宇智也とラ号の声が重なった。


 暗闇の中、宇智也がつま先で足元を確認しようとしていると、ラ号はごくごく自然に歩き始める。

 手をつないだままの宇智也も、つられて歩き出す。

 宇智也が心の中で歩数を二十六まで数えたとき、ラ号は立ち止まり、宇智也へとしがみついた。


「ラ号?」


「体が震えるし、落ち着かない気持ち。こんなのは初めてだ」


 宇智也と、しがみつくラ号との接触面が次第に増える。


「大丈夫だよ、ラ号。俺がついているから」


 胸中に土生ときの想いが去来した宇智也はラ号の頭を撫でる。


「ウチヤは、匂いが全然違うのに、土生先生になぜか似ている」


 宇智也は暗闇の中で静かに微笑み、再び歩き出したがすぐに額と鼻を何かにぶつけた。


「痛っ」


 間近にうっすらと木の匂いを感じながら宇智也は暗闇の中、正面の壁をまさぐり、ドアノブを見つける。

 右手でラ号の手を握りしめてから、左手でドアノブを回した。


 軽く木の軋む音と共に、向こう側から漏れる光がドアの形を暗闇に描く。

 二人は目を細めながら光の世界へと一歩踏み出した。




 そこは、おとぎ話に出てくるお姫様の部屋のようだった……ただ一点の違和感を除けば。


 天蓋付きベッドに大小様々なタンス、クローゼット、大きな姿見と化粧机、椅子、小さなソファに、美しいガラスのランプが乗ったテーブル、レースのカーテンがかかった本棚、等々、その全てが落ち着いた白で統一されている。

 そして白く塗られていながらも異様な違和感を醸し出す、部屋中央の大きな洋風棺。

 その棺に美しい女性が腰掛けていた……大広間の階段の踊り場に掛かっていた肖像画の女性だった。


 純白の襦袢を着て、物憂げに脚を組み、その膝に右手で頬杖をついていた。

 だが二人が部屋の中へ足を踏み入れると静かに立ち上がり、今度は腕を組む。

 窮屈そうな胸元と、スリットのようにはだけた襦袢の裾から露わになった右脚とがやけに扇情的だ。


「やあ、遠路はるばるようこそ。顔を合わせるのは初めましてだね。私が沫祇原アワギハラエヴァネッセンス、ケイトと沙羅の保護者だ。エヴァと呼んでくれてかまわない」


 その声は、宇智也が土生海洋資源研究所でケイトと口付けたときに舌先に触れた血から聞いた声と同じものだった。


「初めまして。渋沢宇智也と申します」


 宇智也が頭を下げると、ラ号は静かに小さく息を吐き、震えを止めてから後に続く。


「初めまして。オレはラ号だ」


 ラ号も下げた頭を上げたとき、エヴァはもう二人の近くに立っていた。

 ラ号は息を飲み、再び宇智也の背後へしがみつきながら隠れる。


「そう怯えなくともよい……というより、それが普通の反応なのだがな。守る者が居るとはいえ、私に怯えぬ宇智也君はやはり私と近い血を持っていると言えよう」


 守る者、という言葉に宇智也は口元をわずかに反応させたが沈黙を貫く。

 エヴァはゆっくりと棺まで戻り、その蓋を開いた。


「詳しい話は中でするぞ。君たちも早くおいで」


 エヴァは笑顔で棺の中をポンポンと叩く。

 しかし、棺はエヴァの体より少し大きいとはいえ、三人が入るには狭すぎるように見える。


「私に聞きたいことがあったのではなかったのか?」


 エヴァが悪戯っぽい笑みを浮かべると、宇智也は意を決したように棺に近づいた……その右手はラ号がしっかりと握りしめている。

 つられるようにして近づいたラ号の頭を、エヴァはそっと撫でた。


「ラ号君、怖がらせてすまない。だが私には敵意はない」


 エヴァはそのままラ号を抱きしめ、ラ号の頭がエヴァの柔らかい胸元に埋まる。


「……大丈夫。もう、怖くない」


 ラ号は宇智也から手を放し、一人で立つ。


「うん……じゃあ、行くよ」


 エヴァはラ号の左手と宇智也の右手を素早く取り、倒れ込むように棺の中へ背面ダイブした。

 宇智也とラ号もひっぱられて棺の中へと頭から前のめりに落ち、直後、棺の蓋が勢いよく閉じた。






●主な登場人物


渋沢しぶさわ 宇智也うちや

 臨海学校に向かう途中のバスで事故に遭った高校一年生。血を媒介に思考にアクセスできる『血の巫女』という力を持つ。

 『土生海洋資源研究所』の中で血溜まりの中に手をつき、傍らに倒れている老人(土生)の走馬灯を見た。


沫祇原あわぎはら ケイト

 バス事故に遭った宇智也が病院で目覚めたとき手を握っていたハーフっぽい美少女。

 血の臭いをさせて超常的な現象を起こしたり予知もできる『血魔術』を駆使する。

 天城あまぎ 敬子けいこという偽名を用いていた。


土生とき 保功刀ほくと

 小さい頃から人魚に会いたかった海洋学者。

 網場の暴走を止めるため『土生海洋資源研究所』の所長として、ラ号たちを育てたが、ミ号に殺された。


網場あみばごう

 網場明日架の四十八つ子の中から生き残った二十二番目の女子。『Hybrid Deep One』。

 魚の姿はイシダイだが、兄弟の中では唯一、様々な魚に変身できる。変身後の魚種はコントロールできていない。

 土生との外出後、宇智也達と出会い、懐いた。ラ号の出自を隠すために「沫祇原あわぎはら ララ」という偽名が用意された。


沫祇原あわぎはら 沙羅さら

 切れ長の目に黒髪のショートカット。凛々しい顔立ちは二十代に見える。

 兎月苑には天城敬子の保護者と名乗った。


・ニャー

 人の言葉をしゃべる黒猫三姉妹の凛とした子。落ち着いた声。


・ルラ

 人の言葉をしゃべる黒猫三姉妹の細い子。好奇心旺盛。


・ホテプ

 人の言葉をしゃべる黒猫三姉妹のちっちゃな子。お調子者。


沫祇原アワギハラエヴァネッセンス

 ケイトと沙羅の保護者。洋館の大広間に飾ってあった肖像画にもよく似ている。

 洋館の地下迷路の先の部屋に居て、二人を棺の中へ連れ込んだ。

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