第80話 左ファザードの憂鬱

 トマス・カマユーは、消沈していた。


「不毛だよな……」


 外回廊を進む重い足取りを止め、浅葱の騎士の一団を脇によけてやり過ごす。騎士たちが勢いよく打ち鳴らす長靴ちょうかの音が、カツカツと大理石の廊下に響き渡る。


「――いないな」

「いや、よく探せ。こっちに向かったのは間違いない」

「建物内に潜んだかも。部屋をあたる?」


 誰しも早口で、張りつめた表情を浮かべ通り過ぎてゆく。無理もない。あろうことか、太陽神の血を引くとされる貴き国王陛下おわすこの王宮に、目的不明の破落戸が、五人も侵入したのだから――


 人が途切れた外廊下で、柱の一つに身を預け、トマス・カマユーは深く長い息を吐いた。ひんやりと固い大理石の感触が、背に伝わる。


「はあ……不毛だ」


 ――アナベル。


 会いたい。

 けれど、いざ会っても、この俺に今更、何ができるだろう。

 この身を捨てても幸せにしたい相手からは、既にきっぱりと拒絶されたのに。けれど、震えていた細い肩。あれは、まさか、泣いていたんじゃないだろうな――


「カマユー!」


 鋭くかけられた声の方を向いて、勢いよく駆け寄って来るよく知る男の姿に、首を傾げた。


「キャリエール? どうした?」


 アルフレッド・キャリエールは、今この時間、ノワゼット公爵とレディ・ブランシュに付き従っているはずだ。


「医務官、見なかったか!?」


 緊張した顔つきと切羽詰まった声の調子に、「何か良くないことが起きた」と確信めいた予感が過る。


「医務官? いや、見てない。どうした? まさか――」


 誰か怪我したのか? と続ける前に、アルフレッド・キャリエールは叫ぶように言う。


「レディ・ブランシュが、倒れた!」

「……! なっ!? どういうことだ!?」


 レデイ・ブランシュの安全は、俺たち第二騎士団の最優先事項だ。ノワゼット公爵の命令であるのはもちろんだが、俺たちは知っている。彼女を守ることこそ、すなわち、団長を守ることだと。


 アラン・ノワゼット公爵をこの世に繋ぎ止めているのは、レディ・ブランシュ・ロンサールだ。互いに口には出さないけれど、少なくとも俺は、そう信じている。


「昼餐会の最中で……倒れ方が不自然だったし、呼び掛けても反応しない。顔が真っ白で……けど、医務室が空っぽで、治療のしようがない」


 陽に透けるセピア色の瞳にありありと苦悩を滲ませて、キャリエールは一気に言った。

 キャリエールはどういうわけか、ノワゼット公爵に対し必要以上とも思える恩義を感じているようだった。公爵をこの世に繋ぎ止める、唯一の錨――レディ・ブランシュのためなら、この男は何でもする。それはもう、春の一件でも証明済だった。


「わかった。俺も一緒に探す」


「頼めるか――いや……でも、カマユーは他にやることがあるんだろう」


「いや、もういい――」


 顔色が変わっていないことを願ったけれど、きっとうまく出来ていないだろう。


「――どうせ、俺はお呼びじゃない」


 アナベルを見つけ出し、手を差し伸べても、無駄だ。

 リリアーナはアナベルを引き止めたいと言っていたが、例えリリアーナの言葉でも、アナベルは応じないだろう。

 思わず溜め息をつくと、珍しく気の毒そうに、キャリエールは眉を寄せた。


「なあ、カマユー。お前、死人みたいな顔してるぞ」

 

「うるさいな、わかってる」


 ――足元の崖があんまりにも深すぎて、怖じ気づいているんだよ、俺は。


 アナベルはもうずっと長いこと、深くて暗い谷底いる。切り立った断崖はどこまでも冷たく聳え、到底、這い上がることができないでいる。


 アナベルの背を押し、そこに突き落としたのは、紛れもなく自分たちだった。

 突き落とした張本人から「助けてやる」とロープを垂らされて、誰がそれを掴む? 


 ――『お前なんかに頼るくらいなら、死んだ方がまし』


 そういう意味だろう。生花店で会ったリーグ・ホワイトから向けられた、嘲笑めいた冷たい眼差し。


 キャリエールが、神妙な顔つきで俺の肩を軽く叩く。


「なんかよく知らんけど、レディ・ブランシュの方が落ち着いたら、俺も手を貸すよ。例の、レディ・リリアーナのいなくなった侍女のことなんだろ」


「だから、もういい。さっさと探しに行こう、医務官の方が優先だ――」


 もう遅い。この誤りを、どこで正せば間に合ったのだろう。ロイ・カント副団長たちの命より、千年続いた美しい都よりも、アナベルの幸せよりも、鉄鉱石が埋まるだけが取り柄の土地が、大事だったはずないのに―――。


「そこにいるのは……トマス・カマユー?」


 ひっそりと潜められた声が、頭上から降って来た。

 悄然とした心地のまま見上げると、三階の窓が開いていた。壮麗な彫刻が施された白亜の窓枠から、小汚い格好の若い男が身を乗り出している。


「え? ……なにあの浮浪者。お前のともだち?」


 キャリエールが視線を上に向けたまま、きょとんと問う。


「…………リーグ? ホワイト?」


 顏は真っ黒に汚れているし、格好はひどい。けれど、あの顔立ちと声――間違いない。

 ぽかんと口を開ける俺に向かって、破落戸に身を窶した隣国の騎士は、心からほっとしたように頬を緩めた。

 ひらひらと手招きしながら、浮かれた明るいひそひそ声で叫ぶ。


「地獄に仏だ! トマス・カマユー卿! ついでにその隣の人っ! 頼む!! 助けてくれ!!」



 ――…………はい?



 §



 青い空を背にして聳え立つ、壮麗な白亜の王宮。


 その左ファザード内、王宮政務室に、おそらく『修道士』のターゲットの男はいる、とランブラーは言った。

 ランブラーの同僚であるシュバルツ政務官のお客様と、外見の特徴が酷似しているらしい。


 そして、リーグたちの居場所も、おそらく同じ左ファザードだと、レオンたちがあっさり教えてくれた。


『左ファザードの三階の北側に、使っていない小部屋があるでしょ。ほら、ほこり被った古い甲冑とかが並んでる、薄暗い湿っぽい部屋。侵入後、問題が発生したときは、そこで落ち合うことにしている』


 ――つまり、左ファザードに行けば、リーグ達を保護できるし、修道士モンクのターゲットも助けられる。すべてが、丸くおさめられる。


 わたしたちは揃って意気揚々と、庭園を横切って左ファザードへと向かうことにした――――のだけれども。



「景色がきれいねぇ、アナベル」

「ええ、心が洗われるようです」


 西に向かって長く伸びる左ファザードを視界に入れつつ、運河のせせらぎに耳を傾ける。

 頬に吹きつける風は、ひんやりと冷たい。


 澄み渡った空気は、白亜の宮殿の背後に遥かなるアルディ山脈を鮮やかに映し出していた。


「山の方は、雪が降ってるみたいね。ほら、山の向こうに顔を出しているあの大きな雲、あれって雪雲かしら?」


「ええ、きっとそうでしょう。この辺りもそろそろ初雪かもしれません」

「運河の水も、あの時よりもっと冷たくなってそうね」


 冷たい運河に落ちて、アナベルに助けられたことを思い出す。


「今の時期は、ぜったい泳ぎたくないわ」

「同感です」


 アナベルと顔を寄せ、くすくすと笑い合う。

 ここで足を止めてから、まるで言葉を失くしてしまったように固まって、じっと王宮を見つめていたレオンとオウミがゆっくりと振り返った。


「ねえ令嬢、この際やっぱり、俺たちと船に乗りません? ほら、気の合うアナベルもいるし」

「あ、俺も誘おうと思ってた。見たこともない珍しい景色や、珍しい食べ物をたくさん取り揃え――」


 オウミが身振り手振りを加えて話す途中、すっと間に入ってきた黒い壁に、視界を遮られる。


「リリアーナ」

 

 黒い壁は、ウェイン卿の制服だった。

 先ほどからやたらと、『令嬢』でなく『リリアーナ』と呼んでくれる。

 はい、と頬を熱くして見上げると、赤い瞳は優しく細められている。


「今度ぜひ、暖かい格好をしてレーヴェ湖に行きましょう。冬のレーヴェ湖に行ってみたいと、仰っていたでしょう?」


「まあ! 覚えていてくださったんですか? 『フリュイテ物語』の一幕で、主人公が凍ったレーヴェ湖でスケートをするんです。氷の月が映って、それはそれは幻想的な景色になるんですって」


「それはいい」


 ふっ、とウェイン卿はガーネットの瞳を細める。

 オウミがウェイン卿の後ろからひょこっと顔を出しながら、明るい声を上げた。


「赤い悪魔って、めちゃくちゃ嫉妬深いんすねー。なんか意外ー」

「ふふ、令嬢、相変わらず、愛されてますね」

「やだ、嫉妬だなんて。オウミったら。アナベルも、からかわないで」

「そうそう。俺はずっと前から、レクター・ウェインは器の小さい男だとわかってた」

「……だから! お前は! 自分の立場を――」


「――あのさ、そこの君たち?」


 この和やかな談笑を遮った優しい声の主は、ランブラーだ。

 美しい絵画のような微笑を浮かべ、わたしたちの顏をゆっくりと見回した。


「さてと、現実逃避はそのくらいにしよう。今は、に目を向けようかな――」


 そう言って、左ファザードのバルコニーを優雅な所作で指し示す。

 わたしたちは今現在、左ファザードに辿り着くことができないでいる。


「近づかないで!」

「今は中に入れません!」


 左ファザード内に詰所を持つ第三騎士団が、左ファザードの周囲をぐるりと取り囲み、人を近づけないようにしているからである。


「アナベル、レオン、オウミ。三階バルコニーを見てみよう。バルビエ侯爵令嬢の喉元にナイフを突き付けている――あれ、君らの仲間だよね?」


 表面的には至極穏やかな声でランブラーに問われたアナベル、レオン、オウミの三人は申し合わせたように、すっと真顔になった。

 不承不承と言った様子で、三階バルコニーに薄く細めた眼差しを向ける。


 左ファザードの一角。

 三階バルコニー(枢密顧問であるバルビエ侯爵の執務室であるらしい)では――

 顔の大部分を布でぐるぐる巻いて隠したオリーブ色の瞳の破落戸が、ブランシュの友人であるコンスタンス・バルビエ侯爵令嬢の首もとにナイフらしきものを突き付けていた。


「近づくんじゃねえ! 一歩でも近づいたら、このナイフが、ぐさりだぞっ!」


 左ファザードを取り囲み、前庭に集結している浅葱の騎士達がそれを見上げ、ぎりり、と奥歯を噛みしめている。

 青い竜が刺繍された浅葱色のマントが、数えきれないほど風に翻っていた。


「卑怯者め……! 令嬢たちを離せ!」

「落ち着け! どうせ逃げ切れない! ここは、要求を聞くから、騎士が身代わりになるというのは――」


「うるせえ! 騙されねえぞ!! 妙な動きしてみろ、こっちには四人も人質がいる! ひとりずつ、見せしめに『ぐさり』だからな!」

「やめてー! お願い! 誰も近づかないで! 死にたくない!!」

 コンスタンスが甲高い悲鳴を上げる。


 その背後には、デリア・ビシャール伯爵令嬢とビアンカ・フォーティナイナー子爵令嬢が同じような体勢で、別の破落戸に捕らえられて悲鳴を上げている。


「くっ……!」

「くそっ! か弱い女性たちを……なんって卑怯なやつらだ!!」


 青竜の騎士たちは、悔し気に顔を歪めながら、一斉に一歩退いた。令嬢の首筋に光る、銀の刃。場所は、三階のバルコニー。あれでは、手も足も出せない。


 アナベルは、うっすらと笑みを浮かべた。


「いいえ、まさか。あんな下衆野郎どもが、私の仲間であるはずありません。もしそうなら、私がこの手で、お仕置きいたしますからね。もうね、生まれてきたことを心の底から後悔するくらい、こってり、じっくり、時間をかけて――」


 静謐な泉を思わせる、凪いだ微笑みだった。子守唄を歌うみたいに優しい声で、アナベルが一語発する度、何故だか、レオンとオウミの顔からみるみる血の気が引いてゆく。


「ア、アナベル! 待て、その前に、申し開きのチャンスをやれよ!?」

「そっ、そうだよ!? きっとこれには、海よりも深いワケが――」


 あたふたとするレオンとオウミを、アナベルは静謐な微笑でもって一瞥し、黙らせる。


「わけってなに? やっぱり何か、私の知らない企みでもあるわけ?」


 たちまち、二人の顔は紙よりも蒼白となった。


「ない! 完っ璧に無関係だ!」

「俺たちは……そう! この状況にドン引いている無辜の第三者に過ぎない!」

 

「へえー」とアナベルは少し疑わし気な視線を二人に向ける。


「とにかく、これは、すごくまずい」


 ノワゼット公爵が、苦々しく顏を顰める。


「ここまで派手な騒ぎになっちゃ、リーグ・ホワイトたちをこっそり逃がすのは、もはや不可能だ」


 こほん、と咳ばらいを落としてから、ウェイン卿が姿勢を正す。


「このままでは、いずれ第三騎士団によって捕らえられ、侵入方法も話してしまう。そうなったら、彼らはもちろん、エレノア・ブルソール・ディクソンも……」


 絞首刑になる――という続きを、ウェイン卿はわたしを気遣うように見て、濁した。

 それに――とランブラーも神妙な声で言う。


「修道士のターゲットの男も、今頃はきっと、政務室か応接室にいるはずです。これじゃ、とても近づけない」


 ちらとランブラーが向けた視線の先では、庭園に集まる人々を浅葱の騎士や衛兵たちが押しとどめていた。


「危ないですから! 銃を持っている可能性もある! 下がっていてください!!」


 蒼白になったバルビエ侯爵と思わしき人が、口角泡を飛ばしてその隣の騎士に詰め寄っている。


「あそこはわたしの執務室で! あれはこのわたしの娘だっ!! 左ファザードは、第三騎士団が守っているはずだろうっ!! なぜこんなことになった!? 責任者は誰だっ!?」


「仰る通りです……っ!」

「ご令嬢は必ず、無事にお助けいたします!」

「当たり前だ!! もしものことがあってみろ! 貴殿らの首など――」


 王宮に立て籠もり犯――世紀の大事件を一目見ようと、前庭には続々と人々が集まり始めていた。

 お開きになったガーデンパーティーから帰らず、まだ残っていた貴族たちと、陛下主催の昼餐会に呼ばれていた顧問官たちである。

 皆、心配そうに顔を曇らせつつ、事の顛末を一瞬たりとも見逃すまいと、興味津々にきらきらと輝く目を見開いている。


「……まいったな。どんどん人が増えるじゃないか!」とランブラーが苛立ったように眉を寄せる。

 ランブラーの勤め先である政務室は、騒ぎの起きている部屋の真下の二階に位置する。政務室のバルコニーにも、浅葱の騎士が溢れていた。


「このままじゃ、事態は悪化するばかりだな。どうするか――」


 ノワゼット公爵が、うんざりしたように、苛々と顎を撫でる。


「ほんとうに、大変なことですわね――」


 わたしはゆっくりと言った。


「ああ、収拾がつかな――」


「これは、大変なチャンスですわ」


 言い切ると、「へ?」とノワゼット公爵がわたしを見た。


「だってほら、バルコニーの上、目を凝らしてようく見てください。あれは、悪者が人質を取っている……というより、ナイフを握らせたリーグの手を、コンスタンスの華奢な指ががっちりと掴み、自分の首に巻き付けているように見えます」


「――え? ほ、本当に?」


 確かにねぇ……とじーーっと食い入るようにバルコニーを眺めていたブランシュの唇が、にやーっと弧を描く。


「コンスタンスあの目! 本物のエメラルドよりも生き生きと輝いてる。彼女が去年の夏、シークレットガーデンでのサプライズパーティーを計画してた時、ちょうどあんな目をしていたわよ」


 わたしは大きく頷く。


「一方でほら、布の隙間から覗くリーグの目ときたら、グリズリーと鉢合わせしたシャケみたいに焦って泳いでいるように見えます」


「えー、ここからじゃ遠くてよくわからないけど、言われてみると……そうかなぁ……」ランブラーが目を細めて首を傾ける。


「仮にそうだったとして、でも、何のために?」


「それはわかりません」


 わたしはあっさりと首を竦めて降参する。


「でも、これだけは言えます。彼らは、女性を人質に取って立て籠るタイプではありません。そうですよね? アナベル」


「ええ、それは、まあ……」

「うん、むしろ、卑怯者の謗りを受けるくらいなら、潔く死を選ぶタイプだよ」

「俺たちと違って、融通利かねえんだよ、あいつらは」


 アナベルたちが答えるのを聞いて、ブランシュは自信たっぷりに胸を叩く。


「コンスタンスたちは、わたしの親友なの。わたしにはビビッとわかる。あれは、たぶんきっと狂言よ!」


「狂言……?」


「理由はわかりませんが、コンスタンスたちは何か目的があって、リーグたちに協力してもらっているんでしょう」


「コンスタンスたちは、賢いし、仁義を通すし、何よりとても義理堅いわ。狂言に協力させた彼らを、まさか絞首台に送り出したりしない。たぶん、何か策があるのよ」


 美しいブランシュの唇から飛び出した「仁義、義理堅い」という単語を聞いて、ノワゼット公爵らは何か言いたそうな顔をしたが、ただ大人しく一言、「なるほど」と頷いた。


「それで、一体何がチャンス?」


「この場で、それに気づいているのは、今のところわたしたちだけです。それも無理はありません。コンスタンスの悲鳴は真に迫っていましたし、リーグたちの正体が騎士道精神に忠実な騎士であることを知っているのは、わたしたちだけですから。

 とにかく、あっちは一先ず、様子を見ることにしましょう。そのうち要求があるでしょうけれど、それまでは膠着して、できることはありません。幸か不幸か、この騒ぎのせいで、修道士モンクの刺客も政務室に近づけないはず。ならば、わたしたちが今やるべきことは、『観察』です」


 一同は、ゆっくりと首を傾げる。


「観察……?」


「だって、修道士モンクは、貴族の中にいるのでしょう?」


 視線を庭園に流しながら言う。騒ぎを聞きつけ、続々と集まってくる人々。上質の燕尾服や、流行のドレスに身を包んだ貴婦人たち。昼餐会出席のため、枢密顧問官は全員、今もこの王宮にいる。


 先ほど、国務卿の後を追って行ったダーバーヴィルズ侯爵が、ちょうど駆けつけたところだった。額には、うっすらと汗が滲んでいる。


「マージョリーも人質に取られている? 確かなのか? うちの娘は、結婚を控えた大事な体なんだぞ――」


 呆然とバルコニーを見上げる侯爵のその後ろを、三人の紫紺の騎士や付き人に囲まれ、ゆったりとした足取りのブルソール国務卿がやってくる。つまらなそうな不満顔で、集まる貴族たちを眺め見ている。


「今、王宮におられるほとんどの貴族の方が、集まって来られています。ほら、執務室を占拠されたバルビエ侯爵様は、激昂して第三騎士団の騎士様に詰め寄っておられます。つまり、あの方は明らかにシロです。この暴力的な事態に動揺されていますし、もし、彼が修道士モンクなら、落ち着き払って自分の手下にリーグ達を始末させようとするでしょう」


「なるほどねぇ……」とランブラーは頷いてから、唇の端を皮肉っぽく歪めた。


「それじゃ、あそこで息を呑んで成り行きを見守っている野次馬貴族たちも、シロだね。世間の話題をひっさらうに違いない『王宮立て籠もり事件』の一部始終を目撃したいあまり、煌めく瞳は瞬きもしない。修道士モンクはまさか、パーティで井戸端会議の中心になりたがる人物じゃないだろう」


 そう話している間にも、続々と人々は集まってくる。

 様子を見に来たらしい一人の深緑の騎士が、慌てた様子で戻ってゆく。おそらく、主人であるヒューバート・ディクソン公爵を呼びに戻るのだろう。


 ばさりばさりと静かな羽音だけを立てながら、鴉たちまでが葉を落としきった梢に集まっている。


「わたしね、春の終わりに馬車が襲撃された時、すごく怖かったんです……。ウェイン卿に、もしものことがあったらどうしよう……って。生きた心地もしませんでした」


 あの時感じた恐怖が不意に蘇り、思わず自身の両腕を抱く。「令嬢……」とウェイン卿の手が優しくわたしの肩に触れる。


「それにね、新聞を少し読みましたけれど、先日摘発されたクラブには、ハイドランジアから連れて来られた、まだ幼い少女たちが監禁されていたのでしょう?」


「そのようですね」とレオンが真顔でそっぽを向いて言うと、アナベルとオウミは無言で頷く。


 庭園の真ん中に配置された噴水から、さわさわと水が噴き出していた。ローゼンダール王国の建国神たる太陽神が、戦馬車を引いて正義の鉄槌を下す一場面を象った彫刻。美しい水音が、音楽のように流れる。


修道士モンクが、わたしを友人と仰ってくださっている……? ええ、確かに、わたしには限りなく社交性が足りません。お友達が少ないことを、ものすごく気に病んでいますとも。ですが、だからと言って、友人は選びたく存じます。大人が守るべき子どもから欲望のままに搾取し、ウェイン卿に怪我を負わせようとした方――そんな方と、良好な友人関係を結べるとは思えません。……ほら、太陽神様のお声が、噴水の音色に乗って聞こえてくるようじゃありません?」


 わたしはどうやら、怒っていたらしい。


 集まってくる人々をそっと見遣り、顎を上げてひっそりと笑む。

 どうしてか、ぎくっとしたみたいに目を見開いて、ウェイン卿とレオンが揃って半歩下がった。おっとりと言い放つ。


「『修道士モンクを、あぶり出しておやりなさい――』って」



 



 

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