第28話 すばらしい計画ー04(ランブラー・ロンサール&レクター・ウェイン視点)

 その日、政務室はいつもと変わらず平穏だった。


「……あのさ、ランブラー?」


 口を開いたのは、眉間に深い皺を刻む同僚、ジョセフ・シュバルツだ。

 その視線は書類に落ち、彼の右手は一心不乱にペンを走らせている。


 僕――すなわちランブラー・ロンサールはというと、北部で発覚した酒税法を無視した酒の密造及び密売を防止するための罰則強化に関わる条例案を纏めた書類に集中していた。

 今日は可愛い妹リリアーナと一緒に定時で帰るつもりであるからして、残業はまっぴらごめんである。

 顔も上げず、手短かに応える。


「――何だ?」


 ジョセフは低い声で言う。


「僕たちは、同期だな?」

「そうだな」


「君と、僕とウィリアム・ロブ。王宮政務官試験会場で会った時、僕は十七、ウィリアムは十六、君はまだ十五だった。痛いくらいのアオハルだった。そっからかれこれ、十年の付き合いになる」


 お前と一緒にするな、この僕の青春に痛いところなどなかった――と返したいところではあったが、残業はまっぴらごめんである。適当かつ手短かに応える。


「そんなになるか」


「長い付き合いだ」

「ああ」


「ならば……何故だ?」

「何が?」


 ジョセフ・シュバルツはガッターンと盛大に椅子を倒して立ち上がり、叫んだ。


「何故っ!? 君の従妹が誰かと婚約してしまう前に、この僕に紹介してくれなかった!?」


 しいん……と政務室が静寂に包まれた。


「…………あ、ウィルトン卿、ここ、間違ってる」

「え、マジっすか? あーほんとだ」


「無視するな!」


 僕は短い嘆息を落として背を正し、同期の篤実な群青の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「……ジョセフ。僕と従妹たちが和解したとき、彼女たちはもう恋に落ちた後だった。縁がなかったと諦め、現実を見ろ。一枚でも多く、目の前の書類を片付けるんだ。そして今週こそ、連続休日出勤記録に終止符を打て。そして今週こそ、どっかの夜会に繰り出して来い。はっきり言う。この政務室に籠っている限り、出会いなど降ってこない」


 ジョセフ・シュバルツはがっくりと肩を落とし、顔を両手で覆った。


「……そうか」


「そうだ。それはさておき、この前の査察旅行は楽しめたか? 春に南部の海岸に査察に行った時には、盛大にぼやいていたじゃないか。ビーチでカクテル片手に日光浴三昧――という浮かれ気分で行ったら、大変な目に遭ったって。今回はどうだった?」

 

 ジョセフはさっき倒した椅子をやるせなさそうに自らの手で起こしながら、軽く肩を竦めた。


「ああ、あれか。またしても滅茶苦茶だった。そういや、春に行った南部では、杜撰な書類仕事によって生み出された被害者を救うために、この僕が英雄のごとく活躍した話、してやったっけ? ランブラー、あのあとすぐ夏休みとったろ。また今度、暇なときにゆっくり話してやる」


 皮肉の利いたジョークとも取れるジョセフの台詞に、政務室が朗らかな爆笑に包まれる。

 後輩のアシュレー・ウィルトンが肩を揺すって笑いながら、ジョセフに達観した眼差しを向ける。


「いやだなぁ、シュバルツ卿ってば! 冗談キツいんですから! このブラックな政務室に暇なときなんて、訪れるわけないじゃないですか!」


 ジョセフは遠くを見つめて、切ない瞬きをして見せた。


「……そうだったな、悪かった。少しばかり、夢を見たくなったのさ。それはさておき、今回の西部もまた酷かった。何だって、世間の人々は四角いものを丸く書く? 矛盾だらけの書類を見逃す? 空欄だらけの書類を提出する? 不備のある書類って、ふつう、一見するだけでぞっとして鳥肌立って、何を置いても無性に正したくなるもんだろう?」


 その問いかけには、政務室にいる同僚全員が大きく頷いて同意して見せる。ジョセフ・シュバルツは真面目くさって続ける。


「それはさておき、ランブラー――」


「なんだ?」


 ジョセフは真剣な眼差しで、僕を射抜くように見つめる。


「君、――他にも縁を切っている親戚の女性、いるんじゃないか?」


「…………いないよ」


 という、いつも通り他愛のない遣り取りをしていたとき、窓の外から金切り声が聞こえた。


 ――「なんですって!」


 歌劇の一幕にあるような声の調子に、同僚たちは揃って手を止めた。


 ――「卑怯者――」


 窓の向こうで、若い女性同士が揉めているらしい。


 書類の山に飽き飽きしていた政務官たちは揃ってペンを置き、ぞろぞろと席を立つ。

 どんだけ忙しくても、これはこれ、それはそれ。野次馬根性丸出しで、二階のバルコニーに顔を出す。


 地上の運河沿いの遊歩道で、美しく装った令嬢が数人固まり、金切り声を上げていた。


「うわー、すごいな。あれ、ダーバーヴィルズ侯爵令嬢じゃないですか。なんか噛みついてる」


「こえー……」


「あ、レディ・リリアーナもいますよ」


 ここからでは遠すぎて表情までは伺えないが、何か言い合っている三人の令嬢の傍で、そわそわしている様子のリリアーナの姿が確認できた。


「本当だ。ブランシュの友人令嬢と一緒か……。絡まれたか?」


「止めに行きます?」

「そうだなぁ……」


 他者の揉め事を仲裁するには、かなりの配慮が必要となる。

 フィクションなどで描かれるように、呼ばれてもないのにのこのこ出てってどちらか一方の肩を持ち、上から目線で勝敗をつけるなんて真似、実際には絶対やっちゃダメである。禍根を残し、最悪、血を見る。

 

 あくまでも穏便に、両方にとっていい感じのウィンウィンに持ち込むのがベター。

 階上からでも、ダーバーヴィルズ侯爵令嬢が、完全に頭に血が上っているらしいことが伺えた。

 どう言おっかな――と思案を巡らせる。


『北風と太陽』で云うところの太陽作戦で――


「僕が行ってこようか?」


 こういう案件における卒のなさでは右に出る者のいないウィリアム・ロブが穏やかに口にした時、マージョリー・ダーバーヴィルズは何か叫びながら腕を伸ばした。


「あ!」


 隣に立つウィルトンが声を上げた。


「危な――」



 リリアーナの細い身体が、人形のようによろめく。


 紺色のドレスの裾が、風に乗ってふんわり翻った。

 まるで綿毛のように軽やかに、ゆっくりと傾く――


 手摺の向こうは、運河だ――――



 どぼん――と落下音が辺りに響いた時、政務官達は一斉に戸口に向かって駆け出していた。



 §



 ――公開演習が始まるまで、あと少し。


 観客が座れるようシートが敷かれた大階段は、もうほとんど埋まっていた。

 最前列には、セシリアと子どもたちの姿があった。こっちに向かって大きく手を振っている。オデイエやラッドらが、それに手を振り返す。

 

 だだっ広い、古代の円形闘技場を模した演習場に白、黒、青の騎士がそれぞれ現れると、観客席から黄色い歓声が上がった。目当ての騎士でもいたんだろう。


「――しっかし、うち、団長が面倒くさいから欠席って、なんなんだろ?」


「な? なんなんだろうな?」


 キャリエールのぼやく声に、アイルが観客席に向かって手を振りながら応えている。ぼやき返しながらも、サービス精神たっぷりの笑みに、観客席から黄色い声援が上がる。


 ノワゼット公爵は、「ブランシュが来ないなら退屈だからいいや、あとよろしくー」と悪びれもせずに言って、執務室に籠もっている。

 ま、気持ちはわからないでもない。


 ほっと息をつく。


 ――結局、来たいとは言われなかった。助かった……。


 ――しかし……。



「しかし、本当にレディ・リリアーナ、招待しなくて良かったのか?」


 ラッドが心を読んだように訊いてきて、ぎくりとする。


「ねー、わたし、招びたかったのにー。令嬢がいてくれたら俄然張り切ったのにさ。やる気でないわー」


 準備運動で右腕をブンブン回しながら、オデイエも不満顔である。


「オデイエ卿はやる気ないくらいで丁度いいんじゃないですか?」とアイルにしらっと言われ、「あ?」とドスの効いた声で返している。


 肩を回しながら、キャリエールが悪戯を思い付いたガキ大将のように、にやーっと笑う。


「ああ見えて実は、機嫌損ねてるんじゃないすか? 今頃、レディ・ブランシュに愚痴ってるかも」


「やめろ、縁起でもない」


 じろっと睨むと、さらににやーっと笑う。


「だってほら、レディ・リリアーナはあれ、顔に出ないタイプですよ? 春の事件、思い出してみてくださいよ。のほほんとしてるって思い込んでると、痛い目見ますよ」


「………いや、そんな、まさか、たかだか公開演習ごとき――」


 フッ、とアイルが失笑を漏らす。


「まったく――ウェイン卿ってば、剣の腕は良くっても、何っも分かってないっすね。地雷は思わぬとこに埋まってるからこそ地雷です」


 どこか身につまされた風の台詞に、三日月型に目を細めたオデイエまでが同意する。


「そうそう、今回のは、なにげにヤバい予感がするわー」


 心臓がバクバク鳴る。


「……そ、そ、そうかな……?」


 ものすごく、心配になってきた。公開演習、適当にさくっと終わらせよう。

 今日の仕事ノルマに一刻も早く取りかかり、早めに切り上げて伯爵邸に――



 絹を裂くような悲鳴が、王宮の方角から微かに届いた。


 演習場にいる騎士たちの顔に緊張が走る。鋭い視線が、一斉に悲鳴の方角に向く。

 衛兵は残っているが、騎士は演習場に集まっている。王宮の警備が手薄になっているということだ。


 階段席の上の方にいる観客が数人立ち上がり、そっちを向いて指差し、何か騒ぎ始めた。

 王宮に近い位置にいた白獅子が数人、その方角に駆けて行く。



「何かありましたかね?」


 キャリエールが、誰に言うともなく緊張気味に呟いた。

 さあな、と眉をひそめて応えていると、運河沿いを男が駆けてきた。演習場の手前で立ち止まり、声を張り上げる。


「女性が二人、運河に落ちた! 何人か来て、引き上げるのを手伝ってくれ!」


 額に汗を滲ませている男には、見覚えがあった。確か、王宮政務官の一人で――ロンサール伯爵やウィリアム・ロブと一緒にいるところを見かけたことがある。


 ――名前……何だっけな?


 その声を聞いて、白獅子がさらに数人、運河の方に駆け出す。


 緊張していた他の騎士たちの顔が途端に緩んだと同時に、俺も軽く息をつく。


 ただの落水事故か――それなら、何人か行けば事足りるだろう。

 あの運河の水は澄んでいて、底まで見通せる。流される前に引き上げられるはずだ。


 早く伯爵邸に行って、機嫌を損ねていないことを確認したい。イレギュラーな仕事が増えなくて助かった。

 

「うわー、あの運河の水、夏でも冷たいのに、気の毒に」

「アルディ山脈から引いた水だからね。凍えなきゃいいけど」

「わりと深いけど、大丈夫だったかな? しかも女性かよ、可哀想に」


 ドレスはあれ、水吸うと重くなるからなー、とのんびりした調子でキャリエールたちが言い合っている。


 名前を思い出せない政務官が、こちらに向かって叫ぶ。


「それから、レクター・ウェイン卿、いるか!? ロンサール伯爵が呼んでる!!」


 伯爵の名が出ただけで、観客席が凄まじい程にどよめいた。どの騎士が姿を現した時よりも、大きな黄色い歓声が演習場に巻き起こる。


「……伯爵? なんですかね?」


 キャリエールが隣で、耳を押さえる真似をしながら不思議そうに首を捻る。


「さあな、ちょっと行ってくる」



 俺は軽く肩を竦めて、駆け出した。



 


 

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