第15話 女心(トマス・カマユー視点)
「どうした? カマユー、二日酔いか?」
市場からの帰り、衝撃の告白を受けてから四時間と少し後のことである。
公爵邸内の騎士団の食堂で、隣のテーブルで血の滴るステーキ食ってるアルフレッド・キャリエールが声をかけてきた。
「失恋したんだって」
「今朝、きっぱりフラれたらしい」
隣とはす向かいに座るエルガーとアイルが、声を落として囁く。
途端、アルフレッド・キャリエールの紅茶色の垂れ目は、きらっきら輝き出した。
一見すると人が良さそうに見える、底意地の悪い男は内心を隠そうともしない。
「え! マジで? レディ・リリアーナの新しい侍女の、あの涼しげな――えーと、アナベル……だっけ? 追っかけ回してたのにフラれちゃったのか」
顔を輝かせたキャリエールは、ナイフとフォークを皿に載せると、トレーごと目の前の席に移動してきた。すとんと座る。
「そうかそうかー。気の毒にな。カマユーの魅力を分かってくれる子、この世のどっかにはきっといるって。ほらっ、俺のトマト、やるから」
人の不幸は蜜の味がするらしい。
いらない、と言う前に、ミニトマトがひとつ、食べかけのスモークサーモンサンドが乗った白い皿の上にころりと転がってくる。
アルフレッド・キャリエールは、信じられないことに、年下の後輩である。
しかしこの男ときたら、団長、副団長、ラッド卿以外にはタメ口を貫き通している。
入団以来所属の班が、オデイエ卿、ラッド卿、ウェイン卿という最強メンバー構成。ぜったい、つられてやがる。
普段はどうでもいいのに、失恋の後は心が狭くなる。ちくしょう、先輩に「卿」くらいつけろ! いや、本当はどうでもいいけど。
「しかし……そうか、ロンサール伯爵か……」
「『白馬の王子様』が相手じゃなあ……」
エルガーとアイルが、気の毒そうに呟く。
「え? あのこ、ロンサール伯爵が好きなの? そっかそっかぁ。そりゃもう無理だな、諦めるしかない。カマユー、ブロッコリーもやるよ」
内心から溢れる喜びを駄々もれにして、垂れ目の目尻に皺を寄せる。
ブロッコリーもころりと皿に載る。ちなみにキャリエールは野菜が嫌いである。
無駄に彩りがいいのがまた、腹立たしい。
「……諦めないし」
「は?」
フォークを手に取り、目の前に転がるミニトマトを親の仇のように睨みつけ、ぶすりと刺す。
「このくらいで、諦めるかよ。大体、ロンサール伯爵相手の恋が叶うはずないだろ――いや、伯爵に聞いてはいないけど、あの人はたぶん無理だろ」
ええー、と目の前の三人は痛いものを見る目をして、眉をひそめる。
そんな冷たい現実からは目を背け、俺は続ける。
「……それに俺、伯爵と似てないこともない気がする。金髪で、瞳の色も同系色だ」
はたと我に帰る。
俺、今、だいぶやばいことを口走った?
案の定、キャリエールだけでなくエルガーとアイルもぎょっとしたように目を瞠った。
「えっ……お、お前……! カマユー、しっかりしろ! 髪の色が同じなだけでロンサール伯爵に似れるなら、俺も染める。みんな染める。世界中の男が金髪になる」
キャリエールに続き、エルガーが優しく教え諭すような口調で言う。
「そうだぞ、カマユー。俺達は所詮、人間界のイケメンだろ? ちょっとした集団にはそこそこ混じっている程度の顔が、制服の力を借りて一時的にもてはやされているに過ぎない。一方で伯爵はあれ、天界の人だよ。格が違うんだ。分をわきまえて慎ましく生きていこう」
アイルもまた、落ち着いた声で諭してくる。
「カマユーにはさ、カマユーのいいところがあると思う。だけどさ、ロンサール伯爵と張り合うのはどうかと思うよ。あの人は天上人クラスの顔だけじゃなく、地位、財力、頭脳、人望、全てを持っている。世界最高峰を目指すアルピニストが、その辺の山で妥協してくれると思うか? 無理だよ、潔く諦めろ。今度おごってやるから」
「…………容赦ないな、お前ら」
幻聴でなく、本当にポキッと心が折れる音が聞こえた。
ミニトマトに突き刺したフォークを皿の上で捏ねながら、額を押さえてポツリと呟く。
「……俺のいいとこって、なんだろう?」
三人は、瞬きを繰り返す。しばらく考えてから、ゆるゆると口を開いた。
「……優しいとこ?」
「……いいやつ、かな?」
「……優柔不断?」
「……なんか一個、悪口らしきものが混じってねえか?」
睨み付けると、えへへー、と垂れ目を下げて笑われる。
うん、こいつが失恋したら、パーティー開こう。
優しくって、いいやつ――が女性の心を射止められるなら、世の中の男、誰も苦労しないだろう。
『あなたは優しくていい人よね』はイコール『だから、お友達でいましょうね』って意味であることくらい知っている。
しかしながら――
「世の中、どんな奇跡が起こるか知れないだろ? あのノワゼット公爵がレディ・ブランシュと婚約できたんだぞ? ネバーギブアップ精神、あの人はそれだけで不可能を可能にしてみせた」
良いこと言った気がしたが、三人は揃って、処置なし――と言いたげに目を細めた。
「いやー……あの人は特殊な例だろ」
「奇跡は滅多に起こらないから奇跡なんだよ」
「あれだぞ、カマユー、偉人の名言的なもの持ち出して自分を正当化するのはストーカー危険信号の黄色辺りだぞ」
「……………お前ら、ほんっと容赦ねえな」
「何やってんの? カマユー、二日酔い?」
通りがかりのオデイエ卿に問われて、キャリエールが代わりに応える。
「カマユーのいいところを、皆で考えてた」
へえー、と笑ったオデイエ卿は、にやりと口角を上げる。
「しぶとい」
あーたしかに、と三人は半眼で頷いた。
§
「来ないでほしいって、言ったのに……」
ぽつりと恨めしげに、なよなよした台詞を吐き出したのは、この俺の口である。
ここは、ストランドに向かう途中、一泊する為に寄ったブーゲンビルのドーン公爵所有の古城である。
儚げな眼差しで街並を見下ろしていたアナベルは、珍しく反応した。
ちなみにあれ以来、何事もなかった風にめげずに明るく話しかけてみたところ、ことごとく無視されている。
目を合わせてもらえるのは久しぶりである。長い銀の睫毛を瞬いて、アナベルは口を開く。
「……知人が、ストランドにおりますので」
「アナベルさんも何となく察しているでしょうが、今は危険です」
真面目な口調で伝えると、アナベルは海色の瞳を柔らかく細めた。
お仕着せに包まれたほっそりした身体に夕陽が照りつけていた。
雪のように白い肌と腰まである白銀の髪が燃えるような茜色に染まっている。
それはまるで儚い幻のようで――やはり、めちゃくちゃタイプだった。
「騎士様がこんなにいらっしゃるのに?」
可笑しそうな口調で言う。それもそうか、彼女は事の深刻さを知らないのだ。令嬢たちにも、伝えないことになっている。か弱い女性を怖がらせるのは忍びないから。
「俺たち騎士は、レディ・ブランシュやレディ・リリアーナのことは身を挺して守ります。ですが、周りにいる人まで助ける余裕があるかどうかは――」
何しろ、剣や銃ならどうとでもなるが、相手がそう出てくるとは限らない。かけるだけで人を害する毒物――騎士にとっては、まったく厄介な相手だった。
言葉を濁すと、アナベルは、ふっと軽やかな笑みを浮かべる。
「ブーゲンビルは、いい街ですね」
古城の建つ丘からは、ブーゲンビルの町並みが見下ろせた。
旧市街をぐるりと囲む、城壁と川。
中央の広場に聳える鐘楼。
統一された茜色の三角屋根に、夕陽が照りつける。
……どこにでもよくある町並みだが、良く似た造りの街、どっかで見たな。
どこだっけ?
「……ええ、まあ。綺麗っすね。それより、道中は俺から離れないようにしてください。着いたら、俺がストランドにいる間にお知り合いを訪ねましょう。一緒に――」
ストランドにまで刺客が現れるとは考えにくいが、とにかく心配である。何しろアナベルは人目を引く美人だし、一人歩きってだけでも心配である。
しかし、言い掛けた言葉は遮られた。
「元カレです」
「――は?」
「ストランドにいる知人、元カレです。ですから、一人で訪ねます」
雪の精のように冷たく美しい笑みを浮かべて、アナベルは言い切った。
§
――――解せない。
ロンサール伯爵しか目に入らない……んだよな?
ならばなぜだ? なぜ、元カレを訪ねる?
わからない。不可解だ。姉が七人いるからって、知ったかぶりしてました。神様ごめんなさい。浅かったです。
……さすがに、脈がなさすぎるか……。
諦めるか。
俺は男で王宮騎士で、彼女はか弱い女性で、侍女。
あんまりしつこくしたら、嫌われるだけじゃ済まなくなる。怖がられる。
伯爵邸で働くアナベルとは、これからも仕事でも顔を合わせる。
これ以上は、気まずくなるだろう。
ちらちら視線を送ると、こっちの気も知らず、向こうは平然としている。不自然なほど、俺の方を見ない。なるほど。
……完全に、避けられている。
ロンサール伯爵は、少し離れたところで城の家令となにか話していた。相変わらず、どの角度から見ても恐ろしく出来のいい人である。
伯爵が好きなら、他の侍女のいない隙に伯爵の身の回りの世話を買って出るのかと思ったら、そんな素振りでもない。
レディ・リリアーナがウェイン卿と出かけている今は、レディ・ブランシュに寄り添って立ち働いている。
まったく、不可解だ。
――――運命、感じた気がしたんだけどな。
魂の片割れと巡り会って、瞬間、時が止まって、この世界に二人しかいないような、初めての感覚に肌が粟立った。
はあっ、と大きな溜め息をつく。
一方通行の、勘違いだったらしい。
――忘れよ……
ブーゲンビルの街の中心にそびえる鐘楼が、夜の入りを知らせる鐘を鳴らす。
綺麗だけど、どこか寂寥感を覚える音色――ああ……そうだ。
この街、ハイドランジアの王都と造りがよく似てる。
趣があって、歴史を感じさせる、いい街だった。
湖になった場所に、王城の塔と鐘楼だけが立っていた。
ふいに過った記憶に、胸が圧されて息が詰まった。
思い出すたび、いつもこうなる。
――「そんな顔すんなって。使者を害すのは国際条約違反だ。いくらハイドランジアでも、そんな真似するかよ」
「でもなあ……。近衛騎士は、精鋭らしいですよ」
心配そうに顔を曇らせるキャリエールの紅茶色の頭を、大きな手がぐしゃぐしゃと撫でた。
「俺が代わりに、一人で行きます」
無表情でそう言ったウェイン卿の銀色の頭も、ぐしゃぐしゃと撫でる。
ウェイン卿にあんな風に接するの、あの人だけだった。
「お前みたいな無愛想な奴が行ったら、纏まるもんも纏まらんわ」
「俺たちに任せとけって」
「誰もが認めるこの天錻のコミュ力で、無血開城、させてくっから」
いつもみたいに豪快に笑っていた四人。
ロイ・カント副団長、ノヴァ・ヘルツアス、ペーター・フランフェルト、ジェイ・コーネル――
堤の上に立ち、俺達は見送った。
「情けを、かけてやろうと思ってさ」
ノワゼット公爵が言った。
「ここを切ったらすぐ終わるけど、それは流石にね。僕らが欲しいのはドゥフト=ボルケ地方だけだ。割譲に合意させたら、和平条約結んでとっとと帰るぞ。ロイのとこ、三人目が生まれるだろ、早く帰らせてやらないと」
下流を堰止め水嵩を増した川は、行き先を求めて怒りの渦を巻き、唸りをあげていた。
「大丈夫さ、僕の計画は完璧だ。ここまで追い詰められて、まだ戦いたがる奴いるわけない。誰だって命は大事だろ」
昔から自信家で冷徹なとこはあったが、あの頃のノワゼット公爵は今みたいじゃなかった。
そんなの、自殺行為ですもんね――オデイエ卿が、どこかほっとしたように呟いた。
王城の前でロイ・カント副団長が衛兵に呼びかけると、門は僅かに開かれた。
白い制服の――ハイドランジアの近衛騎士に取り巻かれ、門の向こうに消えて行った。
風に吹かれて、舞っていた砂埃。
翻っていた、黒いマント。
あの日、俺たちはちょっと浮かれていた。
何しろ、ノワゼット公爵の戦局の読みは外れたことがなかったし、ロイ・カント副団長の強さは神がかっていて、しくじるところを想像することも難しかった。冬の終わりを告げる暖かい風が吹き始めていたし、枯れていた木々からは小さな芽が顔を出していて、堤の上から見えた夕焼けはたまらなく綺麗だった。
れんげ畑みたいに染まる空を背景に――――
王城の塔のてっぺんに、黒い影が四つ、ぶら下がった。
どっからか湧いたように、その周りを飛び交う、無数の鴉。
翌朝、ノワゼット公爵は堤を切らせ、ハイドランジアの王都を沈めた。
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