第91話 間違いさがし

「ほっほうー、なるほどー……」


 オデイエが、頷きながら笑う。


「二人きり。密室。美味しい食事。窓の向こうには、沈みかけた夕陽と静けさを増す海辺の景色。……それで?……隣じゃなくって、向かい座って?……テリーヌ食べて?……お疲れだろうから? 令嬢はもう休ませた、と」


 こくり、と頷くと、オデイエは叫んだ。


「……ああっ!! もうっ!! 何やってんですか!! どこの聖職者ですかっ!?」


「いや、しょうがない、しょうがないよ。あのウェイン卿だよ? 無感情冷凍人間。キング・オブ・変わり者騎士。それにしては頑張りましたよ! ねぇ!」


「……まあ、そうだな。人と置物の区別が、ようやくつき始めたんだ。それにしてはよくやった。むしろ、予想通りだ」


「…………」


(……人と置物の区別は流石についていた、と思う……)


 キャリエールとラッドの励ましの言葉に、そこはかとなく胸をえぐられながら、考える。



 柔らかな言葉遣い。優しい世界を映す瞳。

 

 幻じゃないことを確かめたくて、抱き寄せた体の温もり。掌で触れた、絹糸のような髪の滑らかな感触。甘く優しい香り。


 きっともう、一生忘れない。



 ……どこかで、間違えていなければ、


 自分のものにと望んでも、許されるような男になれていただろうか?


 

 §



 ハイドランジアから帰還する馬車の中で、ノワゼット公爵は言った。


『王都に戻ったら、望みの褒美が貰えるぞ。爵位でも何でも、貰えるものは貰っておけよ。子爵位か……ブルソールあたりに邪魔されても、陛下に直接頼めば、男爵位なら絶対に貰えるだろ』


『要りません』


『……またー、そんなこと言って。爵位、持っといたら得することあるよ? 将来、貴族の女の子と恋に落ちるかもよ?』


『あり得ません』


 辺境の子爵家での暮らしから、貴族には嫌悪感を抱いていた。

 あの時は、全く必要ないと思った。


(あの時、……素直に、貰っておけば)


 ただの騎士爵では、伯爵令嬢に手が届くわけない。求婚する権利すらない。

 これから手柄を立て、爵位を賜れたとしても、きっともう、間に合わない。




 聞かなくてもいいことを、つい、ぽつりと訊いてしまった。


『ロンサール伯爵と……ロブ卿も、令嬢を心配されて、伯爵邸に泊まり込んでらっしゃいました』


 ―― まあ、そうですか。


 あの人は、嬉しそうに頬を染めた。


『王都に戻られたら……どこか、行きたい場所はありますか?……ロブ卿とは、何処かへ行かれるお約束を?』


 頬を染めた彼女は、瞳を輝かせた。


 ――はい、ランブラーと一緒に、色々と考えてくださって、……珍しい本を沢山お持ちだそうで、今度、お屋敷にご招待してくださると、仰ってくださいました。


 そうですか、と言いながら、俺の方が、と思う。


 ――俺の方が、愛している。俺の方が、必要としている。俺の方が、命だって差し出せる。


 俺の方が、もっと前に出逢っていたのに。



§



「好きな、花……?」

「はい」


 目の前で、月の妖精は、子どもがするみたいに細い眉を寄せ、真剣に考えて見せる。


「……えっと、……申し訳ありません。……今は思いつきませんので、考えておきます」

「そうですか」

「はい」


 申し訳なさそうに、にこり、と笑いかけてくれる。人形のように可憐な顔に浮かぶのは、心からの笑顔じゃない。頬が引きつっている。


(……無理、させている)


 短い会話が終わると、ほっとしたように視線は逸らされる。



 王都に戻る馬車の中。

 はす向かいに座るリリアーナの視線は、車窓に向く。


『無感情冷凍人間』キャリエールに慰めるように言われた言葉が今頃、突き刺さる。


(……会話を弾ませるって、どうやるんだ……?)


 人付き合い……面倒がらずに、ちゃんとやっておけば良かった。


 ウィリアム・ロブに向けていた、花が咲き零れるような笑顔を思い出す。



 気ばかり焦る。


 王都に戻り程なくして、リリアーナは誰かの求婚を受けるだろう。


 これから先、伯爵邸を訪れて、運良く会えたとする。


 その隣には、別の男が立っている。


 リリアーナは、その男を潤んだ瞳で見上げる。頬を染めて、微笑みかける。その男にだけ聴こえるように、砂糖菓子のように甘い声は囁かれる。

 細く白い指は、男の腕に置かれていて、男は、柔らかく艶やかな黒髪を愛おしむように撫でる。


 俺は、とても耐えられない。


 嫉妬に身を焦がし、手足がもぎ取られるような苦しみに苛まれながら、それでも、微笑んでみせるだろうか?


 欲しい、欲しいと、溢れる心に蓋をして。



「……好きな、食べ物?」

「はい」


「ええっと……そうですね……」


 目の前の妖精は、困ったような顔をする。ぱちぱちと、夜空みたいな瞳を縁取る長い睫毛を瞬かせる。


「あの……今は思い付きませんので……考えておきます」

「はい」


 ずっと見ていたいと焦がれる顔は、申し訳なさそうに眉尻を下げ、無理して微笑んで見せて、また窓の方を向く。


(……もう今更、話したくなんか、ないか)



『あのー……ウェイン卿?』


 初めて会った日、リリアーナは、俺に話し掛けた。


 あの時、くだらない、面倒だな、と思ったことだけは、覚えている。何を言われたのか、それすら、覚えていない。


(もう、今更だって、本当は、わかっている)


 あの時、彼女は俺の本当の目的を知っていたのだから、俺に興味があった訳でも何でもない。それでも……


 それでも、あの時、あの質問に答えていたら、何か、違っていただろうか?

 また、話し掛けてくれただろうか?


 くだらなくて、しょうもなくて、どうでもいいのに、たまらなく世界を輝かせる、他愛ないことを、嬉しそうに笑って。


(今なら、わかる)


 あの時、俺が取り零したのは、この灰色の人生に、奇跡が起きた瞬間だった。


 

 

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