屋根裏の魔女、恋を忍ぶ
如月 安
第一部
第1話 そもそもの始まり
「最も疑わしいのは、リリアーナというあの妹でしょう」
――何故、こんな羽目に陥ってしまったか?
つらつらと考えるに、やはり、どこかで間違えたのだ。
聞きたくもないのに耳に響くのは、胸が締め付けられるほど大好きなあの人の声。
わたしの秘めし想い人と姉の婚約者は、階下の書斎で、
『誰が毒を入れたのか?』
という不穏極まる難題に対し、意見を酌み交わしていた。
まさか、煙突口を通って階上のわたしの部屋まで音が漏れ聞こえているとは、思いもよらないらしい。
会話の中で実の姉に毒を盛った第一容疑者として挙がっているのは、驚いたことに、このわたしである。
『姉だけが幸せを掴むのが妬ましくて』
『殺し損ねたと知って、次はどう出るか』
『生まれてきたことを後悔させてやろう』
『気味の悪い妹』
うっかり盗み聞いてしまった耳を塞ぎたくなるような剣呑な言葉が、次々と現れてはぐるぐると頭の中で渦巻き、容赦なくこの胸を内側から切り裂いてゆく。
極めつけ、想いを寄せる相手の口から放たれた言葉は、
「ドブネズミは始末しておきます」
だった。
わたしはたった今、恋い慕う相手に『ドブネズミ』という不名誉なあだ名で呼ばれ、始末されることが決定した。
話が終わったのを見計らって、隠れていたクローゼットのドアをそっと開くと、屋敷の外で吠え猛る嵐の声が聞こえた。
横殴りの雨が叩きつけられ、窓はガタガタと激しい音を立てている。
ベッドの淵にへたり込み、鋭く差し込む雷光に泣き濡れた頬を照らされながら、記憶の糸をそっと手繰り寄せる。
きっと、どこかで間違えたのだ。
うん、ひとまず落ち着いて、それがどこだったのか、遡って考えてみよう。
§
五歳のその朝、わたし、すなわちロンサール伯爵家の次女、リリアーナは、父に良く思われたくて、背筋をぴんと伸ばして椅子に腰掛けていた。
目の前には、大陸最高峰、アルディ山の頂のように盛り付けられた甘いクリームと熟れた苺がたっぷり載ったパンケーキ。
出来るだけ器用に見えますようにと願いながら、ナイフとフォークを使って丁寧に切り分け、決して落とさないように集中して口に運ぶ。
侍女が朝から時間をかけて結ってくれた、
身に纏うドレスは天使の羽みたいに繊細で軽いレースがたっぷり使われた、お気に入りの一着。タイツも、足元を覆う柔らかな革靴まで、ぜんぶ真っ白だ。
淑女として、この積もり立ての雪のような純白の上に苺とクリームを落とす粗相など、やらかしてはならない。もってのほか。
自分ではわからないけれど、身支度が整った後、気立ての良い侍女たちは溜め息をつきながら、本当にお可愛らしいですわ、まるで天使のようです、と口々に褒めそやしてくれた。
父にもそう思ってもらえますように、と祈るような気持ちで食卓についている。
父は、生まれてからもう五年も経つというのに、初めてわたしの存在に気付いたかのように、こちらに視線を向けた。
「リリアーナ、お前ももう、ずいぶん分別がついたようだね?」
とうとう、念願叶って美しい父から話しかけられて、飛び上がるほど嬉しかったことを覚えている。
「おとうさま、ありがとうございます」
瞳を輝かせ、目いっぱいの笑顔で答えたと思う。
少し考えてから、父は形の良い唇を開いた。
「あとで、少し話をしよう」
かしこまりました、と答えた後、わたしは、嬉しくて、幸せで、大好物のふわふわのパンケーキでさえよく味わえないほど有頂天だった。
屋敷の東棟の一角にあるホールには、東庭のテラスへと続く大きな掃き出し窓がいくつも並び、そこから
床はマーブル模様の白大理石。ペールブルーで塗られた壁には、蔦を象った白い飾り枠。
舶来品だという大きな長方形のテーブルに隙間なく貼られているのは、濃淡のある青いモザイクタイル。
天井のシャンデリアからは、アクアマリン色のクリスタルが朝日を集めていくつもの輝きを跳ね返す。
わたしを産んですぐ亡くなった、顔も知らない母の趣味で
まるで、人魚姫になって海の底のお城にいるみたいじゃない? とブランシュが言い出してから、ここで朝食を摂ることはわたしたち姉妹の楽しみの一つになった。
父に話しかけられた喜びと嬉しさに頬を赤らめて顔を上げると、テーブルを挟んで差し向かいに座る二つ違いで七歳の姉、ブランシュの
お揃いの純白のドレスを着て、はちみつ色の髪を同じように結い上げたブランシュは、天使そのものの可憐さ。わたしに向かって、声は出さずにさくらんぼ色の唇をパクパク動かして見せる。
「よ・か・った・わ・ね」
それは、そう読み取れた。
小さな胸を弾ませ、夢見心地で頷き返す。
そんな幼い姉妹の様子を見て、周りにいる給士や侍女たちも目を細めて微笑み、目配せし合う。
その眼差しは一様に、
「良かったですね、リリアーナ様」
と優しく語っていた。
後になって、『幸福』というものに想いを馳せるとき、わたしはいつもこの朝の風景を思い出す。
その朝の『海底』は、眩しいくらいに輝いていた。
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