第6話:フラウディア王国へ行こう

【Ⅰ】エルフと吸血鬼の慌ただしい朝

「何故じゃ……」



 夜の貴族とも名高い吸血鬼の少女――ローザ・ミスティカ・ヴァニシアルはプルプルと震えていた。


 彼女は別に、寒くて震えている訳ではない。

 今現在、彼女が主人に強要された格好が恥ずかしくて、赤い瞳に羞恥の涙をいっぱいに溜めて震えているのだった。



「何故、わらわ侍従メイドの格好をせねばならんのじゃーッ!!」

「うわうるさッ」



 狭い宿屋の一室で、ローザは周囲の迷惑など考えずに甲高い声で叫んだ。


 彼女はその言葉の通り、侍従の格好をさせられていた。

 黒いワンピースに純白のエプロンドレス、艶やかな金の髪の上には白いヘッドドレスを装着している。どこからどう見ても、貴族の屋敷で働く侍従である。


 頬を赤らめ、涙で瞳を潤ませたローザは怪訝な表情でこちらを見やる美しきダークエルフ――ゼノに食ってかかる。



「妾は吸血鬼ぞ!? 何故このような格好をせねばならんのじゃ!! 不敬であるぞ!!」

「オマエは自分の立場が分かってねェようだな。鏡でオマエの首元を見てこい」

「うッ」



 ゼノに指摘されて、ローザは口を噤む。


 ローザの首には、ユウに施された隷従魔法の証である黒い刻印が肌に焼き付いている。

 この魔法は簡単に解ける代物ではなく、隷従魔法をかけた魔法使い本人しか解除できないのだ。


 しかも、ユウは優秀な魔法使いである。最上級魔法すら「《どかーん》」だの「《ぴょーん》」だのふざけた呪文で発動してしまうほど、超優秀で天才的である。

 隷従魔法の仕組みも、普通の解除方法ではないだろう。何重にも呪いのようなものがかけられているので、さすがのローザでもお手上げの状態だった。


 ゼノはひらひらと長い自分の耳たぶをいじりながら、



「オマエの格好はただでさえ目立つんだ。シュラの提案に感謝するんだな」

「ううッ」



 言い返すことが出来なくなってしまったローザは、ギリギリと歯軋りした。


 この格好をするように提案したのは、あの若き騎士の少女――シュラである。

 シュラの家は裕福な家庭で、屋敷で働く侍従の格好をさせてはどうかとユウに提案したのだ。白と黒を基調とした清楚で可憐な侍従の格好はローザによく似合い、ユウも気に入った次第である。


 ローザは純白のエプロンドレスの布を握りしめると、



「じゃ、じゃが、もっと他に格好があっただろうに……何故にこのような恥ずかしい格好を……」

「可愛いじゃねェか。もっと誇れよ」

「誰が誇れるかァ!!」



 ガーッ!! と叫ぶローザにゼノは「あー、聞こえなーい」などと戯けた様子で耳を塞ぐ。


 もう何を言っても無駄だと諦めたらしいローザは、深々とため息を吐いて、



「仕方がない。主人が侍従を望むのであれば、妾はそうするしかあるまいよ。――どれ、ならば主人を起こして朝食の用意でもすればいいんじゃな?」



 ローザはちらりと狭い寝台に視線をやる。


 そこにはすやすやと規則正しい寝息を立てて、夢の世界から帰ってこない銀髪の青年が横たわっていた。

 あれだけローザが騒いでいたというのに、彼はまだ眠ったままである。それだけ眠りが深いのか、それとも単に耳が悪いだけなのか。


 ユウ・フィーネ――彼がローザに隷従魔法をかけた魔法使いである。


 仕方がないとばかりに肩を竦めたローザが、眠るユウに手を伸ばす。

 あともう少しでユウの髪に触れるとなったその時、真横から伸びてきたゼノがローザの手を掴んで阻止してきた。



「な、何じゃ!? 何をするんじゃ!! 妾は侍従としての役目を果たそうと――」

「誰がそんなことをしろって言った? オマエは確かに侍従の格好をしているが、オマエの役割はユウ坊の愛玩動物ペットだ。愛玩動物は愛玩動物らしく、愛想でも振りまいてろ」



 ゼノはローザのツンと尖った鼻先を指で弾き、



「ユウ坊の世話はアタシの役目だ。オマエはそこに座ってろ。いいな? ユウ坊と遊ぶ以外の仕事はするんじゃねェぞ、世間知らずの役立たず」

「だ、誰が役立たずじゃ!! 家事ぐらいは出来るわい!!」

「ユウ坊の腹に入るモンを得体の知れねェ奴の手で作らせる訳ねェだろ」



 ビシッとゼノに釘を刺されてしまい、ローザは渋々と寝台の端っこに腰掛ける。


 朝食の用意をしに行ったゼノを見送り、彼女はすやすやと眠るユウを見下ろす。


 言動は子供のようであるが、黙っていれば見目麗しい青年である。

 さらに飛び抜けた魔法の才能と魔法の知識があり、その腕前はこの世界で最も強い魔法使いと言えるだろう。漏れ出る魔力も上質なものだ。


 ごくり、とローザの喉が鳴る。


 ローザは吸血鬼だが、吸血鬼は他人の血液から魔力を回復する。上質な魔力は、吸血鬼にとってはご馳走だ。

 そして今、その上質な魔力を持つ魔法使いが、無防備な状態で眠っている。



「す、少しぐらい……いいじゃろ……?」



 さらりと垂れ落ちる自分の髪を耳にかけ、ローザは身を屈めてユウの首筋に口元を近づける。

 そっと口を開いて、小さな牙で彼の綺麗な首筋に牙を立てようとして、



「――おう、嬢ちゃん。そのまま殺されたくなければ大人しくしてろ?」

「ひえッ」



 背後から感じた殺気に、ローザは悲鳴を漏らす。


 ギギギ、ギチギチと錆び付いたブリキの人形のようにゆっくりと振り向くと、そこには銀色の長弓ロングボウを構えたゼノが立っていた。



「ユウ坊に指一本でも触れようモンなら眼球に弓矢をぶっ放すからな」

「はい……」



 主人の近くにはとびきり恐ろしいダークエルフが控えている――そう学んだローザだった。

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