嗤う不死身と二周目の世界

かんばあすと

序章 世界が終わった日

 20××年、4月。


 その日は彼女とのデートだった。


 雑誌を見ながら行きたい場所を話し合って、お互いのスケジュールを擦り合わせて、それこそ一月ぶりくらいの逢瀬だ。この時はコレを生きがいにして働いていた。


 付き合ってから3年は経つっていうのに、いざ会った時はお互い、照れ笑いしながら話していた。会える機会が少なかったし、これは自惚れかもしれないけど……きっとお互いがお互いに惚れ込んでいたから。


「ねえ、これってアレだよね。ほら、えっと……」


「こっちじゃない? この前話してたブランドの事だろう?」


「~~~~! あっは、お恥ずかしい!」


 明るい人だった。自分の事を明け透けに見せてくれる彼女が、たまらなく愛しかった。大切にしたいと心から思っていた。彼女とずっと一緒に居たいという思いは、付き合ってから日に日に増していく。


「あのさ、ちょっと……他に行きたい所があるんだけど」


「うん? いいよ。行こう行こう!」


 3年も我慢していたのは、我ながら凄い事だと思う。なんなら1年目から言ってもおかしくないのが僕だ。

 それでも言えなかったのは、どうしようもなく彼女を愛していたからだと思う。


「え? ここって……え?」


「まあまあまあ」


 付き合った当初の僕はまだまだ未熟だった。このままじゃいけないと思って、彼女を幸せに出来る様に、自分なりに努力を続けてきた。

 そして今。積み上げてきた自信と、彼女への気持ちを胸に、一歩を踏み出す。


白月小夜しらつき さやさん―——この指輪、受け取って頂けませんか」


「~~~~~」


 彼女は顔を真っ赤にして、見開いた目を光らせて、開いていた口をぐっと持ち上げてから―——満面の笑みで、受け取ってくれた。


「やれやれ! まったく! ようやくですか! まったく!」


「あれー、なんで怒られてるのかな僕」


「ほんとにまったく! ほんとにまったく!」


 帰り道。彼女はずっとそんな口調で、ずっと指輪を見ていた。

 口角も上がりっぱなしで、見ていた僕も上がりっぱなしだった。


「っとね。私もね。お返し……じゃ、ないか。なんて言って良いかわかんないけど、コレあげるね」


「……え。マジか。凄い嬉しい」


 彼女がカバンから取り出したのは、ネックレスだった。

 シンプルなデザインで、太陽の様な輪郭をしていて、中央に蒼い石が入っている。石は複雑で深みのある光り方をしていて、とても綺麗だ。

 

 もちろん僕はすぐに身に着けた。

 どう? とか照れながら聞いてみると、彼女は「よいよい」と照れながら答えた。


 なんの変哲もない時間だった。

 街灯がチラホラ見える程度の地味な街道。

 それが人生で一番、幸せな風景になった。


 そう。その時が。

 きっと人生で、最幸の瞬間だったから。


 僕はこの時を何度も、思い出す。


「……あれ。なんだろう。流れ星かな」


「流れ星? ……じゃ、なさそうだよ。綺麗だけど」


 小夜が見上げた先には、不思議な光があった。白……とも言い切れない不思議な発光をしていて、明滅して動いている様に見える。


「ちめたっ」

「どうしたの? 雨?」

「いや……ん? んん? これ、なんだろう。雪?」

「まさか、この時期に雪なんて―——」


 疑ったまま見上げて探してみると。


「うそ……」


 確かに雪のような何かが街灯に照らし出されている。ふわり、ふわりと落ちてきたソレを受け止めようと手を伸ばす。うまく掌にのせたソレは、瞬く間に溶けてしまった。


「あ―——」


「やっぱり雪なのかな? いや、でもこれなんか黒いし、 やっぱり雪じゃ―——」


「嘘……だって、まだ―——」


 彼女の困惑した顔———僕の困惑した顔。

 彼女は空を。

 僕は彼女を見て。


目を見開いた。


 雪の落ちた小夜の肌に―——ドス黒いシミがジワジワと広がっている。


「ごめん、小夜っ!!」


 反射的に僕は彼女のソレを拭おうと腕を伸ばした。不安に駆り立てられて幾分、力加減を間違えてしまったと思うのだけど、彼女は全く動かない。

 ずっと空を見上げたまま放心してしまっている。


 シミは消えなかった。


 ―——拭っても拭っても、まるで肌の下で墨汁が広がる様に増えていく。

自分の鼓動の音が聞こえていた。


なんなんだよこれ、なんなんだよ。

彼女は口と目を開いたまま空を見ている。

 シミは止まらない。


 拭っている自分の腕にさえそれが見えた。

 さっき手に乗せたから―——僕にも?


 あらゆる恐怖に精神が食まれていく。

呆然とする彼女。焦り涙を流す僕。


 やがて彼女はその口をゆっくりと動かし。

 音を漏らした。


「———天使が、来る」


 意味を理解できないまま、そこで初めて彼女の視線を追う。


 そこには、大きな光があった。


 球体ではない不自然な発光体。それが幾多も空から降りてくる。雲から生った果実の様に、発光体は糸のような光で空とつながっていた。


 そして、その隙間を埋める様に。


 たくさんの ゆきが ふって いる


「うぁああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 叫ぶことしかできなかった。

 もはや俺の体は真っ黒になり。

彼女の体も真っ黒になった。


 小夜、と叫ぶ自分の声が全く奇妙なモノに変わっている。雪に包まれた街灯は、実を落とす様にぼたりと頭を落下させた。


 雪に包まれる世界、全てがぐにゃりと溶解する。


 俺も。小夜も。

 その体がどんどん、恐ろしい形になって。

 お互いがお互いと、もはやその形で分からなくなったとき、彼女は。


「ぁ———い し、   て  ……」


 べしゃりと 崩れた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


 誰の物かもわからない奇妙な音が、滅ぶ世界に轟いている。


 世界はその輪郭をどろりと歪ませ。

 天使はそれを睥睨する。


 すべては黒い雪と共に泥となって大地に流れる。

 文明はそれに抗う力を持たない。


 ―——この日。世界は終わりを迎えた。

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