第10話 庇護欲

 リンリは、学校が終わると帰宅せず、そのままの足で目的地へ駆け出した。


 所定の場所に、所定の時間で落ち合う口約束。


脱獄犯・場内造と合い、憲兵のもとへ連れて行く。


リンリはクソ真面目だった。場内造から娘の結婚式に行くために腕を切り落としたい

という話を聞いた直後も、尾野に任された仕事だからと、自分の気持ちを押し殺し

て、次に会う約束を取り付けた。


脱獄犯と待ち合わせする学生なんて、この世の中探し回っても自分くらいなものだろ

う、と嘲るように笑った。


「やばい…」


 待ち合わせの時間に遅刻しそうだった。


 クソ真面目なリンリは一分一秒でも絶対に遅れたくない。ましてや自分よりもずっ

と年上の人を待たせるなど言語道断。


 リンリは、昨日、場内造を追いかけたのと同じスピードで、場内造に会いに行く。


 「わあっ!」


 だから、全速力で駆けるリンリは、人通りの少ない細い道に油断して、角から急に

現れた人物に追突することとなった。


 「いってて…」


 「ごご、ごめんなさい! ケガは無かったですか?」


 言いたかったセリフを先回りしたのは、一人の女性だった。


 長い茶髪で、肌が白く、背丈はリンリよりも少し高い。二十代前半くらいの女性。


 「あっ、はい…」


 陶器でも扱うかのようにリンリのことを大事そうに心配してくれる彼女は、丸く大

きな双眸ですっと高い鼻筋をしている美人だった。


 「ごめんなさい! 本当に、すいません…すいません…」


 しかし、化粧気が無かった。よく見ると目の真下には隈が張っていて、肌も少しだ

けあれている。


 そして、何かに脅迫されているような態度で、何度もリンリに謝罪する。


 「あの…、いえ、お構いなく。…ていうか、僕のせいですから」


 「そんな…、私の不注意です!」


 学生服を着ているリンリに対しても、彼女は敬語と、かしこまった態度を崩さな

い。


 「じゃ、じゃあ…僕は、この辺で…、すいません…」


 リンリは、彼女に伝染したかのように、かなり申し訳ない気持ちになって、そこを

後にしようとした。


 が。


 しばらく歩いたところで、急に立ち止まり、彼女の方を振り返った。


 そして…。

 「あ、あの!」



 リンリは、過ぎ去ろうとする彼女の背中を呼び止めた。


 「は、はい! なんですか…?」


 忙しかったのだろうか、少しだけ早足で、呼び止めたことに後ろめたさを感じなが

らも、リンリは一息に言った。


 「よよっ、良かったら、連絡先を、交換…してくれませんか…?」


 自分の口から、こんな言葉が出てくるなんて思いもしなかった。


 リンリは、女子に興味がない。


憲兵学校でも、地元の中学校でも、男子から人気があった百葉に、女としての好意を

一切持ったことがなかった。


しかし。


リンリは、今日、この時、確かに、本当に。


一人の女性に、一目惚れしてしまったのだ。


「え、あっ…、えっと…」


憔悴したようでも、さらさらとした髪と、白い肌は、天然物の美人を感じさせ、哀愁

ただよう、か弱い感じも、リンリの男心を大いにくすぶった。


これは、庇護欲、というものなのだろうか。


弱っている美しい彼女を、自分が守ってやりたい。そう思ってしまったのか。


いや、いやらしさから来るものでもあるだろう。


リンリは、彼女の色っぽい表情と、半袖のニットから強調する胸元、そしてジーンズ

にピッタリと収まる、見るからに柔らかそうな太ももに釘付けだった。

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