センパイ、遠慮なく吐いちゃっていいですよ。
五月雨ムユ
センパイ、遠慮なく吐いちゃっていいですよ。
とある日の朝。
特に寝坊するでも、かといって早起きするわけでもなく、いつも通りにいつも通りの通学路をぼんやりと歩いていた俺は、ふと、後ろから聞こえてくる誰かが走って来る音に、具体的で生々しいイヤな予感を抱いた。
多分、あいつだ。
「セーンパイ、おはようございます~」
「……おう、おはよう」
口が裂けそうなほど不気味にニヤリと笑ってこちらを覗き込む、黒がパーソナルカラーだとでも言いたげな、いかにも不吉そうな雰囲気を纏うこの女は、俺の2つ下の後輩、
今年の初め、入学直後のこいつと俺はひょんなことから知り合ってしまい、そこからこうしてずるずると交流と呼べるかもわからないようなドロドロした交流が続いてしまっている。
……などと思わせぶりに言ったのは、何も俺とこいつが恋愛関係にあるだとか、そんな胸がキュンキュンするような理由ではなく、こいつの抱える負のオーラが原因、とだけ言っておこう。
「どーしたんですか~センパイ。朝から元気ないですねぇ」
「お前のせいだ、お前の」
「あら、人を疫病神か何かみたいに。失礼ですねぇ」
「実際、疫病神みたいなもんだろうが」
「いやいやー、週末の模試の出来が悪かったのは私のせいじゃなくて、ひゃくぱーセンパイのせいですからねぇ~?」
「……なぜ知っている」
「えー、センパイのことなら私、なんでも知ってますよぉ?」
そう言って相変わらずの背筋がぞくっとするほど可愛くない笑みを浮かべる大波加。
そう、俺がこいつを単に“付き合いのいい可愛らしい後輩”として処理できない最大の理由は、こいつのこういう不気味な所だ。
しかも、おそらくそれを無意識ではなくわざとやっていることも、彼女の不気味さに拍車をかけている。
などと考えていると、大波加は「別にわざとじゃないんですけどねぇ」と、俺の心を読んだかのようなことを呟く。
「センパイだって、それはご存知でしょうに」
「……そう、だな」
過去に、俺はこいつがあまりに俺のプライベートな部分まで赤裸々に把握しているのを気味悪く思い、自意識過剰かとも思いつつ、知り合いに頼んで逆に大波加の行動を調べたことがあったのだ。
まあ、有体に言って彼女が俺のストーカーなのではないか。そう思ったからだ。
しかし、その結果は白。
彼女の言動とはあまりに正反対なほどの潔白。疑いの余地が一切ないほどの潔白という結果に俺はただ愕然とし、さらに翌日、大波加から「センパイ、乙女の私生活を調べ上げるなんてことしちゃ、ダメですよぉ?」と忠告を受ける始末。
以来、俺はこいつに対して何か積極的に動くことはしないようにしてきた。
でも、なぜこいつは──
「“俺に絡み続けてくるんだろう”ですか~?」
「……いや、何も言ってないだろ」
「いえいえー、顔にばっちり書いてあったので~」
楽しそうにニヤニヤ笑う大波加を見て、俺は心底不愉快になる。
まったくその通りだ。
なんだって朝の爽やかな雰囲気の中、こんな負のオーラを背負ったやつと一緒に登校などせねばならないのか……
そこまで考えて、わざわざ口に出さずに色々考えたところで無駄だなと変な悟りを開く。
「……俺は、お前みたいなのと一緒に登校するんじゃなくて、もっとこう、キラキラした雰囲気の美少女と一緒に登校したいよ」
「あらあら、失礼ですねぇ~。私だって、結構な美少女だと思いますが?」
「お前は顔以前に雰囲気で失格だな」
「えー、つれないですねぇ。でもほら、じゃあ雰囲気には目をつむるとして、私の肉体だけ見てみるとかどうですか?」
「雰囲気見ないで肉体だけ見るって、ほとんど美術品鑑賞じゃねぇか」
「そうですかー。それは残念ですねぇ。せっかくセンパイ好みの程よいサイズなのに」
そう言っておもむろに自分の胸に手を当ててニヤリと笑う大波加。
もしこれを美少女がやったら、男子ならば間違いなくドキッとするであろうその動作も、どこか色っぽさは感じるものの、それよりも体を突き抜ける不吉さが勝ってしまい、思わず顔をしかめる。
「えー、そんな顔しないでくださいよぉ」
「……お前は、逆あざといな」
「なんですか~、その聞いたことない日本語は」
「何となく意味はわかるだろ」
「ええー、もちろん~。私のことですよねー?」
「……ああ、そういうところだよ」
笑みを浮かべ続ける彼女に、最早軽い吐き気すら覚えつつ、俺は早く学校に着かねぇかなと焦りにも似た感情を抱く。
「セーンパイ、早い男は嫌われますよ~」
「……暗い乙女はモテないぞ」
「私、別に暗くはなくないですか~?」
「ああ、そうだな。黒いだけだな」
「えへへ~」
にいっと人間という生物の限界だろというほど笑った、それでも奥は全く笑っていない、1秒だって見つめていたくない真っ黒な目が、俺の目を的確に射貫いてくる。
大波加と話していて、この瞬間が最も不愉快で今すぐ逃げ出したくなる時だ。
吐き気をこらえるように深呼吸をし、「あのなぁ」と無理矢理話したくもない言葉を絞りだす。
「お前、俺以外に絡む相手、いないのか?」
「えー、なんですかその質問~? 寂しいんですけど~」
「また思ってもないことを」
「センパイこそ、私くらいしかまともな話し相手いない癖に~」
「いや、それは」
「それでいいんですかー、受験生~? 私以外に誰か、気晴らしにお話しできる人作っとかないと、いざって時キツいんじゃないですか~?」
「……まあ、確かに、勉強辛いときにお前と話したりしたら、そのまま首つりかねないな」
「でっしょー?」
……なんで得意気なんだよ。
「まあ、別に俺のことはどうでもいいんだが……問題はお前だよ」
「ほうほう、私のこと、心配してくれるんですか~」
「心配はしてないな、うん」
それだけは即答できる。
あくまで、なんとなく話し始めた話題だし、そこまで何か考えがあるわけじゃない。
すると大波加は相変わらずの真っ黒な笑みを浮かべたまま、
「つれないですねぇ。でも、そうですねぇ、私の絡み相手、ですかぁ」
と、少し考えこむような仕草をする。
そういえば、こいつが何か考えている姿って始めて見た気がするな。
と、そこまで考えたところで、俺たちは学校の手前の交差点に到達する。
赤信号で足を止めて、はあ、あと少しで解放される、なんて考えていると、ふと、隣を歩いている大波加が足を止めずに、そのまま交差点に入っていくのが視界の端に映る。
「お、おい、大波加」
「はい?」
危ないぞ、と、彼女の手を掴もうとした、その刹那──。
明らかに法定速度を大幅オーバーした勢いのトラックが、一切の減速なしに交差点に進入し、そして、大波加が立っていた地点をそのまま通過した。
その瞬間耳に入ってきた、今まで聞いたことのないような“何か”が潰れる音に、俺の思考回路は完全に沈黙してしまう。
「……おお、は、か……?」
まさか、そんな。
周囲の音もロクに耳に入らず、その場にしゃがみ込んでしまった俺の視界には、いつもの、いや、いつもより数倍薄気味の悪い笑みを浮かべた大波加が、何事もなかったかのようにその場に立っている光景が映し出されていた。
「……うーん、私、考えたんですけど、やっぱり私には今のところ、センパイしか絡む相手はいないですねぇ」
大波加は何でもないかのようにそう呟くと、静かに俺の側に寄って、そして俺にしか聞こえないように耳打ちで、「だから、よろしくお願いしますね、センパイ」とささやく。
俺のすぐそばの真っ黒な目と、ささやかれたその言葉に、俺は一気に胸が苦しくなり、そのまま限界を迎えて嘔吐してしまった。
「大丈夫ですか、センパイ」
そうして彼女が一言囁くたび、さらに俺の腹の中身がその場にぶちまけられていってしまう。
頼むから、消えてくれ。
その瞬間、心の底から俺は彼女にそう願った。
センパイ、遠慮なく吐いちゃっていいですよ。 五月雨ムユ @SamidareMuyu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます