第2話 誤想

 夏休みも終わり、2学期が始まった。


 あの日以来、例の少女とは一度も出会っていないし、見かけてもいない。


 気になって女子のテニス部のコートをたまに覗き込むこともあったが、それでも見つからなかった。


「よー海斗、久しぶり」


 教室の前の方から、冴えない顔をした男が右手を振りながらこっちに向かってきた。


 こいつは中学から同じクラスの、佐藤京介。


 夏休み明けというのに、未だに白い肌を保ち続けている京介を見ると、全く外出していないことがわかる。


「お前、夏休み何してたんだ?」


「え? なにって、パソコンいじったりゲームしたり漫画よんだり」


 こいつの表情と口ぶりを見ていると、それがホントの夏休みの過ごし方と言わんばかりに感じられる。


「そういうお前は、部活ばっかりだったって顔だな」


「まったくだよ」


 本当に夏休みはひたすら部活だった。


 こんがり焼けた俺の肌がすべてを物語っているほど、夏休みは練習の毎日だった。


「高校生だってのに、デートの一つもしてねえのか?」


 京介は隣の席に座りながら、呆れたように言った。


「そういうお前はどうなんだよ」


「俺は女子になんて興味ないね、時間の無駄だ。女子と遊ぶ金をゲームや漫画に使いたいぜ」


 こいつはもう手遅れなとこまで行ってしまっている。


「で、どうなんだよ!」


 机に乗り出し、何を期待しているのかわからないが食い気味に聞いてくる。


「さあな」


「んだよそれ」


 つまんねえ、とでも言いたげな表情で京介は前を向き直して座った。


 俺たちの席は一番後ろの窓際で、俺が窓際に座っていて、その隣に京介がいる。


 数人の女子グループが、前の教卓を囲んで談笑している。


 ふと、少女のことを思い出した。


 あれから2週間ほど経つが、今でも彼女の声や表情は鮮明に覚えている。


 そして彼女は去り際に言った。「また会えるといいね」と。


 セミの鳴き声と、視線の先に揺れる陽炎が脳裏に蘇る。


「おーい、なにぼーっとしてんだ?」


 気づけば京介が俺の目の前で手を振っている。


「まったく、俺の話聞いてたか?」


「全然」


 はあ、と溜め息をついて京介が話し始めた。


「だから、気になる女子でもできたのかって。さっきから女子ばっか見つめてるけど」


 そういえば女子を見つめていたことを今思い出し、ゆっくり視線を窓の外に移す。


「別に、いねえよ」


 無愛想に返事をすると、またしても京介はつまらなさそうにため息をつく。


 ふと、京介に例の少女について聞こうと思った。


「なあ京介、お前女子のテニス部と交流あるか?」


「女テニ? うーん、あんましいねえけど、どして?」


「俺、夏休みに不思議な女子に出会ったんだ」


 ほうほうと、今まで無愛想な返事をしていた俺が話し始めたのを聞いて、京介が興味津々に近づいてくる。


「クラスも名前も知らねえんだけど、多分同じ学年で女子テニス部」


「ほう、それで?」


 京介はイスを俺の方に向けて腕を組んでいる。


「それで、黒い長い髪で、あとお前より肌が白い」


 うーん、と組んできた腕を解いて顎に手をやる京介。


「女テニで黒髪ロングっつったら、美咲ちゃんか紅葉ちゃん・・・あと真菜ちゃんもか、って情報少なすぎだろ。もうちょっとなんかねえの?」


 そんなこと言われても、ほんとにそれしか情報がないのだが。


 困った俺も、京介と同じように手を顎にやって考える仕草をする。


 はっ、と思いついたように言った。


「あと、めちゃくちゃかわいい」


 おお〜、と驚いているのか喜んでいるのかわからない反応をする京介であったが、しばらく考えて酷い結論を導き出した。


「そんなやつ女子テニス部にいねえよ」


「お前、サイテーだな」


 そこで俺らの会話は一旦終わった。


 もう9月だというのに、ちらほらとセミの鳴き声が聞こえてくる。


 窓際の俺の席は、午前中は涼しい風が入ってきて、端に寄せられた二重のカーテンを揺らしている。


 地獄のような暑さの夏は好きじゃないが、夏の終わりはなんだか寂しい。 


「もう一回、会ってみたいな」


 声に出して言ったのか、心の中でいったのか分からないが、俺はそんなことを考えていた。


 鳴いていたセミが、最後のひと踏ん張りを出し切り、終焉を告げた。






 それから月日は流れ、秋冬と過ぎてゆき、俺たちは高校2度目の春を迎えていた。


「また同じクラスだな、海斗」


「今年もよろしく」


 不思議なことに、京介とは中学からいつも同じクラスだ。もはや家族より過ごした時間は長いんじゃないかと思うほどに。


 二人で靴を履き替え、初々しい新入生を横目に階段を上っていく。


「そういえば俺他の人あんま見てないけど、うちのクラスのメンツどう?」


「は〜?自分のクラスくらい確認しとけよな」


 呆れた顔でそう答えた京介だが、顔色を変えて話し続けた。


「俺らのクラスはな、アイドルが3人もいるぜ!」


「アイドル?」


「そうだ!まず、水泳部で焼けた肌が妙にエロい紗織ちゃん。そして、野球部のマネージャーにして生徒会副会長の真代ちゃん。最後に帰宅部でほとんど一人でいるが、隠れ美人と噂の楓ちゃん!」


 自慢げに話す京介は、ここが廊下だということを忘れているのか、大きな声を上げたせいで周りの視線は一点に集まっている。


「分かったから、そのアイドルたち早く見に行こうぜ」


 そう促し、京介の背中を押しながら教室に向かった。




 教室に入ると、明らかにクラスの人数を上回る生徒がいた。


「なんかここ、人多いな。これがアイドル3人効果か?」


 人の多さに圧倒されつつも、黒板にはられた座席表を見て席につく。


 俺はまた窓際の一番後ろの席だ。


 京介はというと、最前列中央に座っている。


 居心地が悪かったのか、京介はカバンを置いて一旦座ったが、すぐに俺のもとにやってきた。


「なんでお前はいつも神席なんだ?」


「苗字が如月だからな、ちょうどここくらいになるんだろ。」


「俺は佐藤だから絶妙に列の変わり目となり、最前列になると・・・」


「そういうことだ」


「まあどうせすぐ席替えすんだろ」


 そういって京介は俺の隣の席に座った。


「そういえば、さっき言ってたアイドルってどれだよ」


「なんだお前、気になるのか〜?」


 ニヤニヤしながら俺の肩を突く京介。


「えーと、あっ、あそこ。前の方に女子三人組いるだろ?」


「ああ」


「その窓際の子だよ」


「あれが例の水泳部の?」


 確かに京介の言った通り、きれいに日焼けした肌に美しい曲線を描く上半身、引き締まった身体。


 学校のアイドルになるのも頷ける。


「海斗、右を見ろ」


 そう言われて見てみると、そこには一人の座っている女子生徒を囲むようにして集まっているグループがあった。


「あの真ん中にいるのが真代ちゃんだ」


 いかにも女子グループのリーダーという雰囲気を醸し出している少女。長い金髪に整った顔が、まるで芸能人かのようなオーラを出している。


「確かに、可愛いな・・・」


「だろ?」


 なぜか自慢げな京介は、足を組んでドヤ顔でこっちを見ている。


「それで、もう一人はどこなんだよ」


「全く海斗は欲張りなんだから~」


 オネエ口調でそう言った京介は、俺の三つ前の席に座っている女子を指さした。


「あの子だよ」


 きれいで艶のある黒髪に、それとは対照的な白い肌。


 見るからに柔らかそうで、すらっとした身体。


 少女はその長い髪を、窓から入ってくる風でなびかせながら本を読んでいた。


 ここからは後ろ姿しか見えないが、その姿は俺の一年前の記憶を呼び戻すのに十分だった。


「どうだ、うちのアイドルたちは。これで俺らは一年間ハッピースクールライフだな」


 京介が空を仰ぎながら笑っていたが、俺には京介の笑い声も、騒がしい教室の雑音も聞こえなかった。


 もう一度、あの少女に会いたい。


 自分でも気づかないうちに立ち上がり、その足は少女の方へと向かっていた。


「おい海斗、どこ行くんだよ?」


 ほんの2、3メートル先が果てしなく遠く感じる。


 歩み始めた俺の足は次第に速くなり、少女の肩をつかんでいた。


「き、きみ!」


 俺は少女の肩をつかんだまま、そう呼びかけた。


 ゆっくりと振り向く少女。


「なんでしょう?」


 瞬間、自分のした行動を後悔し、全身から力が抜けるような感覚がした。


 違う。あの少女じゃない。


 突然知らない男に肩をつかまれ、声を掛けられた少女、楓はおびえるように震えながら俺を見ている。


「あっ、すみません。人違いでした」


 楓は軽く会釈をして、再び本に視線を移した。


 周りの視線が俺に集まっているのに気づいて恥ずかしくなり、ゆっくり自分の席に戻った。


 京介は驚きながらも、笑いながら俺を見ている。


「お前、結構大胆なことするな~。そんなにクラスのアイドルと関わりたかったか?」


 笑いをこらえながらも、抑えきれていない笑い声を漏らしながら京介がからかってくる。


「なあ海斗、物事には順序ってもんがあってだな」


 しきりに話し続ける京介だったが、俺の耳には届いてなかった。


 廊下で京介の話を聞いてから、もしかしてと思っていた自分がいた。


 そして、あの後ろ姿は、あの日であった少女そのものだった。


 天から地に一気に落とされた俺は、最悪の気分で新学期をスタートした。


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