時に人はエゴすらも愛と呼ぶ

夜凪ナギ

第1話 少女

「今日は楽しかったね!」




 鮮やかに輝く夕日をバックに、抱きしめたくなるような可愛い笑顔で、彼女はそう言った。




「そうだな」




 俺はそんな彼女に微笑みを返して、そう答えた。




 その時の俺は本当に幸せで、ほんの一か月もたたないうちに、この幸せな感情が別のものになるとは、想像もしなかった。








 


 俺の名前は如月海斗。


 ピカピカの高校一年生で、サッカー部に入っている。


 成績は普通。顔は自己評価ではあるが、悪くはない。部活のおかげで運動神経もそこそこ良い。


 どれもあまり自慢できるものではないが、そんな俺にも自慢できることがある。


 そう。


 俺には彼女がいるのだ。 めちゃくちゃ可愛い。




 出会いは部活だった。


 夏休み。


 俺たちサッカー部はギンギンに照らしつける日光を浴びながら、汗をだらだらと流していた。


 うちの高校のサッカー部はそこそこの強豪で、練習もそれなりにキツイ。


 真夏だというのに、平気でダッシュ100本とかもある。


 俺は体力には自信があるほうだったが、その時は少し体調がすぐれなかった。


 ダッシュ69本目に入ったところで、足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちるように熱々のグラウンドに倒れた。


 それからはみんなの声だけが聞こえ、視界はもうろうとしてよく見えなかった。


 どれだけの時間がたったかわからないが、目が覚めた時俺は、グラウンドの隅にある大きな木の陰に寝転がっていた。


 練習で使うマットが敷いてあり、頭にはビニールに入った氷が載せてある。


「俺、倒れたのか・・・・」


 その時の俺はパニックで、この時やっと自分の置かれた状況に気が付いた。


 重い上半身を起こし、グラウンドを見る。


 まだほかの部員は走っている。


「てことは、まだそんなに時間は経ってないのか」


 どうせなら起きたときには部活が終わっていれば、なんて考える甘い自分がいた。


「そうだよ」


 独り言を言う俺の隣から、静かで、透き通るようなきれいな声が聞こえてきた。


 思わず身体がビクッと震えてしまった。


「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」


 ゆっくり隣を見ると、俺と人ひとり分ほど離れた距離に、一人の少女が体育座りをしてこっちを見ていた。


 胸のあたりまである長くて艶のある黒髪に、真夏とは思えないほど白い肌。


 そんな少女が小さくなって座っている様子に見とれてしまい、どうやら俺はずっと見つめてしまっていたらしい。


「そんなに見つめられたら、恥ずかしいな」


 口ではそう言いつつも、恥じらいを見せる様子のない少女。


 ミーンミーン。


 ジリジリジリ。


 うるさいセミの鳴き声も、少女の美しい声と重なれば、心地の良い音色に聞こえる。


「あの、君がこれを?」


 俺は氷の入った袋をつまみ上げて少女に聞いた。


「違うよ?」


 グラウンドの方を見て微笑む少女は、あっさりとそういった。


「・・・・・・」


 少しの期待を抱いていた自分が恥ずかしくなり、再びマットに寝ころんだ。


 二人の間に、沈黙だけが流れていく。


 その沈黙さえも、なぜか心地よく感じた。


「君は、どうしてここにいるの?」


 顔の上に氷を置いて寝ながら、俺は少女に尋ねた。


「君と同じだよ」


「え?」


 同じ、という部分がなぜかうれしかった。


「まあ、君ほどかっこ悪くはないけどね。ここまで自分で歩いてきたし」


 ふふ、と笑いながら少女は答えた。


 彼女はおそらくからかって言っているのだろうが、その笑顔に意識を奪われ、話の内容なんて頭に入っていなかった。


 袋の隙間から彼女を見ているの、ふと、俺の方を向いた。


 唐突に目が合い恥ずかしくなった俺は、いまさら目をそらすのも不自然だし、でも、ずっと見てたと思われるのも恥ずかしい、なんて考えながら、しばらく彼女と見つめあっていた。


 遠くで声を出しながら練習しているサッカー部。


 ここから見ると、陽炎と人が混ざり合い、みんながゆらゆらと揺らいで見える。


 その隣のコートでは、ネットの柵で覆われたテニスコートが4面あり、女子テニス部が練習している。


 ふと、隣に座る少女の姿が目に入った。


「もしかして君、テニス部?」


「そうだよ」


 少しの間をおいて、彼女はそう答えた。


 白いポロシャツに短パンを着ていて、彼女の白い肌ととても似合っている。


 再び、沈黙だけが過ぎてゆく。


 ・・・・・・・。


 その沈黙を切り裂くように、少女は立ち上がった。


「私、そろそろ行かなきゃ」


 軽そうな身体をすっと持ち上げ、お尻についた砂を払う。


「ああ、うん」


 こんな時、なんて声を掛けたらいいのかわからない俺は、言葉にもならないような音を発していた。


 数歩あるいて木陰から出たところで、少女が振り返って言った。


「また、会えるといいね」


 心地よい風が汗をかいた肌にあたり冷たく、セミの声が鳴り続ける。


 そんな夏の風物詩も、少女が話すたびにピタッと時間が止まったかのように鳴り止み、まるで世界に二人だけのように感じられる。


「おーい、海斗! 部活終わるぞ、戻ってこーい!」


 遠くで俺を呼ぶ声が聞こえる。


 起き上がり、マットと溶けきった氷袋をもつ。


「俺もいかないと」


 そう別れを告げようと、立ち上がって少女のいるほうを見た。


 しかしそこにあったのは、カンカンに照り付ける日光と、セミの鳴き声だけだった。

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