第26話

  アイルたちの目の前に落下する巨大な魔物。洞窟全体に揺れるような衝撃が走り、風圧で松明の火が大きく揺らめいた。


  「うわぁ。こんな大きかったんだね……」


  「ああ。いつの間にここに入り込んで来てたのか……」


  もしかすると、アイルたちの監視の下、堂々と正面から入ってきたのかもしれない。それだけの擬態能力だった。 

  インフェルノに直撃してもなお、原型を留めているのは、この魔物が強化魔法が何かで身体を守っていたからだろう。普通なら、クロの投石を喰らった時点で、その部分はぺちゃんこになっていたはずだ。


  「もう動かないよね?」


  「おそらくな」


  あれだけの魔法を受け、逆に生きている方がおかしい。


  「ねえ、アイル?」


  「どうした?」


  「村人を襲ったのって、この魔物なんじゃないかな…… ?」


  ためらいがちにライラは切り出した。


  「こいつが? いや、そうなると目撃証言と食い違いが出てくるぞ」


  ソフィアが語った依頼の内容では、村人を襲った魔物は翼が生えていたとのこと。この魔物には、翼も、それと見間違えるような部位も認められない。


  「この魔物に襲われていたところを、あの子が助けてくれたとか?」


  そんなまさか、と否定しかけたアイルの脳裏には、炎で酸を防いでくれた竜種のことがよぎった。

  アイルたちは、一先ず竜種の元へ近づいた。幸いと言うべきか、竜種には酸が及んでいなかったようだ。


  「お前は村人を襲ってないのか?」


  アイルは単刀直入に聞く。

  しかし、竜種はうんともすんとも言わず、じっとこちらを見つめるばかり。アイルとしては、先ほどのように何か反応を示してくれると思っていたのだが。


  「どうして答えない」


  「アイル……」


  「ん? どうした、ライラ?」


  「ううん、なんでもない……」


  なぜか、ライラは呆れたように言う。

  しばらくの間、アイルは竜種を見つめていたが、ふいに一つため息を吐いた。


  「…… はあ。とりあえずその出血を止めてやる」


  アイルは竜種の胴体の方へ回った。

  横っ腹の辺り。比較的新しい傷から、未だに血が流れていた。どう見ても、タレスの魔法で受けたものではない。

  彼はライラに松明を渡し、ポケットから麻袋を取り出した。中身を手ですくうと、緑色の粉末が出てきた。もしもの時のために、妖精の翼片を粉状にすり潰しておいたのだ。


  「大人しいね」


  「ああ」


  死角に入られたというのに、竜種はこちらを見向きもしなかった。既に抵抗は無意味と悟っているのか、それとも、自分が治療されることを理解しているのか。


  「つけるぞ」


  一応声をかけて、それから粉を傷口に擦り込んだ。


  「グゥゥ……」


  痛むらしく、竜種が弱々しい声を上げる。

  効果はすぐに現れた。妖精の翼片は、傷に馴染むと淡い光を放ったのだ。徐々にだが、傷口が塞がってきているのがわかる。


  「血、止まったね」


  「すごいな。ただの葉っぱにこんな効力があるとは」


  アイルは思わずうなった。

  これが銅貨一枚の価値もないのだから驚きだ。


  「この子、どうしよう」


  「俺たちにできるのはこれだけだ。さっきの炎でだいぶ消耗したみたいだが、死ぬことはないだろう、たぶん」


  あまり動かなくなったのも、余計な体力を使わないためかもしれない。それに、その後竜種が耐え凌げなくても、それはアイルのあずかり知るところではない。


  「とりあえず、あの魔物を外まで持って行こう。翼の件は、どうにでも誤魔化せる。それに、もうこんな暗い場所はごめんだ」

 

  「そうだね」


  アイルたちは竜種の元を離れる。巨大な魔物はクロに運ばせることにした。

  途中、アイルはふと後ろを向いてみた。竜種と目が合う。すると、竜種は頭をゆっくりと動かしたが、それはまるでお辞儀でもしているように映った。


   「スキア・サラマンダーを二人で討伐したの…… ?」


  机に置かれた一枚の報告書に目を通していたソフィアは、口をぽかんと開ける。報告書は依頼主である村長が、その顛末を認めたものである。スキア・サラマンダーとは、先ほど対峙した擬態する魔物だ。


  「ええと、はい。紆余曲折あって、どうにか」


  「紆余曲折って…… そこが肝心なんだけど……」


  「あの、スキア・サラマンダーというのは、そんなに凄い魔物なんですか?」


  アイルは助け舟を求める。

  魔物の種類について疎い彼だったが、どうやらかなり上位の魔物を討伐してしまったらしい。


  「そりゃあ、お前、普通は熟練の魔法師が十人がかりで討伐にする魔物だぞ? それも、綿密な計画を立てて、先んじて罠なんかを大量に仕込んだりしなきゃならねぇ」


  「まあ、俺なら一人でも余裕で倒せるがな」と胸を張って付け加えるタイロン。だが、ソフィアやノエルの微妙な反応を見るに、最後のはハッタリのようだ。

  しかし、これではっきりした。あれは二人では到底倒せないような魔物だったのだ。厳密には二人と一頭なのだが。


  「スキア・サラマンダーは特定の住処を持たない竜種の一つなんだけど、稀に人里近くまで下ってくることもあるんだ」


  ノエルが説明を付け足す。


  「姿を消すという、特殊な魔法を使って狩りをするんだ。その他にもレベルの高い強化魔法を使うことで有名なんだよ。個体数は少ないけど、一つの村を壊滅させたという恐ろしい話もある」


  「なるほど……」


  だとすると、村人がスキア・サラマンダーに襲われていたところを、竜種が救ったというのはあながち間違いではないように思える。あんな魔物に奇襲を受けたら、なすすべもなかっただろう。


  「それで、一体どのようにして、あの魔物を討伐したの? 報告書によると、丸焦げになっていたということだけど」


  ソフィアは見定めるように目を細めた。

  そういえば、アイルは強化魔法、ライラは召喚術が使えるということしか伝えていなかった。相手を焦がすような魔法は、そのどちらにも存在しない。


  「自滅…… しました」


  「へ?」


  初めて聞く、ソフィアの気の抜けた声。


  「あの魔物、体内に酸を蓄えていたのですが」


  「そうね。確かに、あの魔物は相手を溶かすための酸を溜め込んでいるわ」


  「奴が偶然、松明の火を飲み込んで」


  「飲み込んで?」


  「内側から発火しました。それで、しばらくもがき苦しんだかと思うと、そのまま……」


  しばしの沈黙が訪れる。

  アイルは凛とした表情を崩さないが、内心顔を覆いたくなるほど羞恥に悶えていた。こんな出来すぎたおとぎ話、誰が信じるだろうか。

 

  「そいつはすげえ! まさか、松明がそんな役に立つなんてな! すごい幸運じゃねえか! はっはっはっ!」


  いた。

  一人だけ大層愉快そうに笑うのはタイロンだ。


  「タイロン君、さすがにそれは……」


  「なんだ? 松明が身体の中の酸に触れて、一気に燃え広がったんだろ?」


  「いや、そうなんだけど。そうじゃなくて……」


  「ノエルよぉ。言いたい事があるならはっきり言ってくれねえと。分かりにくい説明は、いざという時に伝達を滞らせちまうからな。もし、自分だけが敵の存在に気づいた時に……」


  タイロン節が炸裂し、すっかり押されてしまうノエル。もはや、話の真偽からは離れ、単なる説教に変わってしまっている。

  収拾のつかなくなってきた会話に終止符を打つように、ソフィアは大きくため息を吐いた。


  「わかったわ。僥倖が重なった末の、偶然の産物ということにしておいてあげる。スキア・サラマンダーを討伐したのは事実なんだし。これでギルドの評価も大分上がるはず」


  「はい……」


  全く信じてもらえていないが、タイロンのお陰でどうにか難の逃れることができた。


  「馬鹿馬鹿しい」


  一人の言葉が、緩みかけていた空気を一気に緊張させる。


  「どうせ元々弱っていたか、まだ成体ではなかったんだろう。つまらない作り話を考えて、そんなに皆の気を引きたいのか」


  「レナード!」


  ソフィアが声を荒げるも、レナードはアイルを最後まで睨みつけ、部屋を出ていってしまった。


  「副リーダーも突っかかるのが好きだなぁ」


  もはや、タイロンは感心しているようだ。


 「いや、別にあれは好きでやってるんじゃないと思うけど……」


 ノエルの顔はだいぶ強張っている。


  「相当嫌われてるみたいですね」


  アイルは他人事のように言う。


  「ごめんなさい。仲良くするよう、何度も言っているのだけれど……」


 ソフィアは少々げんなりしているようだ。


  「無理に仲良くなる必要はありません。だけど…… あそこまで俺を嫌うのには、何か理由があるんですか?」


  「たぶん、烈風焔刃が怪しい噂を立てながら跋扈している昨今だから、少し神経質になっているのかも。あなたたちみたいな人材、そう簡単に手に入ることなんてないから」


  確かに、アイルたちが戦力を公開すれば、引く手数多だろう。夢幻魔法が禁術である以上、そんな自殺行為できるはずもないが。

 そんな人間が、氷晶の薔薇が困り果てていた時にタイミング良く加入するなんて、できすぎた話ではある。

  だが、レナードが毛嫌いしているのはアイルだけだ。何か別の理由が、あるように思えてならない。


 「まあ…… 何にせよ、二人が無事で良かった。まさかそんな危険な魔物が潜んでたなんて思わなくて。ごめんなさい、いきなりそんな依頼を任せてしまって」


 「いえ、心配してもらえただけでも嬉しいです」


 これはアイルの本音だ。


 「初心者にしては、悪くないって感じだな。今後もこの調子で頼むぜ?」


 「うん」とライラは一毫の不満もなく頷いた。


 「どこまでも上からだね、タイロンくんは……」


 「当たり前だろうが。俺は先輩なんだし、実力も容姿も知識も、全てが上なんだからな」


 「どこからそんな自信が湧いてくるのやら……」

 

 呆れ果てたノエルの視線を受けてもなお、タイロンは得意そうに肩をそびやかしている。なるほど、ノエルがアイルたちを加入させたがってたのはこういうことだったのか。


 「さてと。アイルくんたちの無事がわかったことだし、僕たちもそろそろ依頼の準備をしないと」


 「え? 俺たちが戻るまで、わざわざ待ってたのか?」


 「当たり前だよ。いくら二人の腕が立つからって、一応新人さんなんだから。何かあったら、すぐ駆け付けられるようにね」


 さもありなんと、アイルは納得した。確かに、依頼の失敗はギルドのイメージダウンに繋がるから、何としても阻止したいだろう。


 「でも、本当は待機するのはソフィア様一人だけの予定だったんだけどね。なのに、タイロンくんが心配だからって煩くて」

 

 「おい、ノエル!」


 声を荒らげるタイロンに、ノエルはしてやったりと胸を張っている。微笑むソフィアは、離れた場所からこっそり見守る親のような体だ。


 「タイロンは、優しい人?」


 無垢なライラがとどめを刺す。


 「ば、馬鹿言うんじゃねえ! 俺はただ…… ただ……」


 タイロンは口を噤んだ。


 「ああクソ! なんだかムシャクシャするぜ! ノエル! さっさと依頼に行くぞ! 今日の俺はやべえからな! 山一つぶっ飛ばしちまうかもしれねえぞ! 覚悟しろよ、ノエル!」


 大声で喚くと、ノエルを置き去りにしてタイロンは早足に部屋を出て行った。「それじゃあ」と肩を盛んに上下させながら、ノエルもその後を追った。


 「タイロンはああ見えて、一番面倒見がいいのよ? 新しい人が入ると、いつもあんな感じなの」


 ソフィアが捕捉してくれる。


 「そうですか……」


 アイルはどう反応すればいいかわからなかった。

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