第18話

 紫髪の男は仕方ないと息を吐いた。


  「…… わかった。だが、気絶させるだけだ。怪我も負わせてはいけない。私たちは犯罪者ではないのだから」

 

  「ああ、わかってるよ」


  彼らの会話からして、どうやらアイルは相当なめられているらしい。


  「作戦会議は終わったか?」


  「おいおい。そんな軽口叩いてられるのも今のうちだぜ?」


  大柄の男は不敵な笑みを浮かべると、片腕を横に伸ばした。すると、彼の手のひらを中心に光が現れる。その光は上下に伸びていき、何かの形を象っていく。光が消えると、そこには先端が大きく膨らんだハンマーのような鈍器が。


  「具現化魔法か」


 物質を生み出す魔法のことだ。


  「それだけじゃないぜ?」


  タイロンは前傾姿勢になる。そして、一歩踏み込んだ。常識はずれの驚異的な加速。彼はアイルに急接近すると、そのまま後ろへと回り込んだ。

  おそらく強化魔法の一種、身体強化だろう。


  「あばよ」


  聞こえてきたのは、勝ちを確信した声。だが、それは極めて早計だ。

  アイルは軽く頭を下げる。すると、コンマ数秒後、背後からの横薙ぎが彼の頭上を通過していった。


  「なっーー ぐっ!」


  タイロンの驚嘆は直後に短い悲鳴へと変わる。

  攻撃を避けたアイルは素早く振り向くと、鈍器を振り切る前にタイロンの腕を掴み、軽々と投げ飛ばしたのだ。彼は三、四メートル先で、地面を派手に転がる。

  周りから大きなどよめきが起こった。


  「こ、こいつ……」


  さっきまでの威勢の良さは何処へやら。腕をついてこちらを睨むタイロンは、何が起こったか分からないという様子だ。


 「タイロンくんがこんなに簡単に……」


  「まさか…… 彼も身体強化の使い手なのか。それも相当の手練れ」


  ノエルも紫髪の男も相当たまげているようだ。

  彼の言う通り、アイルは今身体強化モドキを使っている。

 身体強化とは、表皮を硬質化させたり、運動能力を大幅に上昇させる魔法だ。彼はインフェルノと同時進行で、この魔法の訓練もしていた。

 なんだか小難しそうなイメージを抱くが、実際はインフェルノよりも発動は容易である。自分の身体を思い浮かべて、皮膚を鋼のように硬く、そして筋肉をより強く。その型に"力"を流し込めば良いだけだ。自分自身を対象とした魔法は、少し抽象的なイメージでもどうにかなるらしい。まあ、専門書で筋肉の構造を調べたり、いわゆる筋トレを行なって毎日筋肉と向き合っていたのだが。

 そして、都合の良いことに、これには夢幻魔法特有の黒い発色は確認されないのだ。つまり、通常の身体強化と同じ見た目をしている。


  「それなら、僕が動きを止める……!」


  次に動いたのはノエルだ。彼が手をかざすと、魔法陣が手のひらを覆う。


  「はあっ!」


  放たれたのは幾重にも枝分かれした高電圧の眩い光線。


  「タレスと同等ってところか」


  悠長に分析するアイル。

  彼は地面を一蹴りし、横へ大きく跳躍する。何に当たることなく、電撃の魔法はその短い寿命を終えた。


  「そんな!」


 相手の狙いが再び定まらぬ内に、アイルは一気に距離を詰めた。そして、力を抑え突き飛ばした。


  「うわっ!」


  「この! 調子にのるなよ!」


  横からタイロンのがなり声。

  見ると、巨大な鉄の塊は目前まで迫っていた。

  先ほどよりも数段速い。こんなものを生身の人間が食らえば、たちまち肉のペーストと化すだろう。もはや彼には手加減もクソもない。

  アイルは軽やかなステップでそれを躱し、男の腹に掌底お見舞いする。もちろん、十分な手心を加えて。


  「ぐあっ!」


  鈍器と合わせ百キロは超える男の身体が、軽々と吹き飛んだ。干し草の積んであった荷台に彼が着地したのを見届けると、アイルは最後の一人に向き直る。


  「残るはお前だけだ。もう終わりにしたらどうだ?」


  最後通告を提示するアイル。できれば、これ以上無益な争いははしたくない。


  「ふっ。ここまで小馬鹿にされて、黙っていられるか……」


  だが、紫髪の男はあっさりと拒絶する。

  突如、彼の周囲の上空に幾多の魔法陣が展開される。そして、その内の一つから何かが勢いよく射出された。岩が砕ける音がすぐ横で聞こえる。見れば、石畳みの地面に透明な何かが杭のように突き刺さっていた。

  氷柱だ。


  「当たったら死んでいたぞ?」


  「これは警告だ。これ以上我々の邪魔立てするようなら、本気でこれを当てる」


  「殺しはしないんじゃなかったか?」


  「貴様っ!」

 

  男にとって今のは禁句だったらしい。全ての魔法陣から氷柱の先端が顔を覗かせる。

  しかし、アイルは微動だにしない。

  理由は、彼の目からは、タレスのような狂気を感じないからだ。氷柱が向く方向も、アイルを狙っていないように見える。気高い理念が、彼の憤怒をコントロールしているのだろう。だから、避ける必要などない。

  何より、万一それらの一つが彼に向かっても、避けられる自信が彼にはあった。感情に大きな変化はない。


  「はあああっ!」


  飛来する氷弾の雨。


  「やめなさい」


  ふいに女の声が聞こえた。静かな、しかし、澄んだよく通る声だ。

  一拍置いて、二人を隔てるように分厚い氷の壁が立ちはだかった。


  「なんだ……?」


  アイルは向こうから歩いてくる人影を認めた。スカイブルーの髪を垂らした女であった。

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