POTATO~into the sky~

真上犬太

0、はじまりの夢

 アルトが初めてサラマンダー・ブレイズを見たのは九歳、メルカルートサーキットで行われた最終戦のときだ。

 あの時のことは今でも思い出すことができる。

 自分が始めて空にあこがれ、そして初めてあこがれた人を見た場所。

 ライル・ディオスというプレイヤーを知った場所のことを――


 通用口を抜けたアルトは、目の前に広がった光景に興奮を抑えられずに叫んだ。

「うわぁ、でっかい!」

 それまで開けた空間といえば小学校の校庭くらいしか見たことがなかったが、今いる観客席からみえる景色はそれを十個入れてもあまるほどの広さがある。地面には砂が敷き詰められ、無数の白黒のストライプ模様に塗られた柱が立っていた。

「すごいだろ? メルカールートサーキットは、世界でも三本の指に入る広さがあるんだ」

 いつもは難しい表情ばかりしている緑色の顔がうれしそうに笑み崩れている。アルトにとって世界一おっかない父親であるはずの<ドラゴン>の表情も、今日ばかりは上機嫌だった。

 この世界――アルトたちが住むフェオリアと呼ばれる惑星――には、二つの<種別>が存在している。

 一つはドラゴン。青や赤、緑などの色鮮やかな体色を持ち、顔の前に突き出す長い口吻(マズル)や二本の角を持つ頭、長い首と屈曲した足、太い尻尾といった特徴に加え、空を飛ぶことができる翼を持っている。

 もう一つはヒュー。あるいは「人間」と呼ばれている存在。この二つの<種別>を、総じてフェオリア人と呼んでいる。

数百年前、地球と呼ばれた惑星からのやってきた移民のわずかな生き残りと、惑星の地殻変動による大気汚染で死滅しかけたフェオリア人は、お互いの技術と遺伝情報を一つに融け合わせ、新たな世界と文化を築いた。それ以後、<ドラゴン>は外見上の特徴として扱われるようになった。

「さて、そろそろ始まるぞ。早く席に行こう」

「うん!」

 先を行く父親の白いチュニックのすそを握り締めて、アルトも一緒に移動する。握った手の色は空をそのまま写したような青。赤についで珍しい青い体色は人に会うたびに注目される。

 時々こちらに投げかけられる、ヒューやドラゴンの好奇の視線をくすぐったく思いながら、青い仔竜はチケットに記された最前列の指定席に陣取った。

 座席に腰を落ち着けたアルトは、ふとサーキットに設置された奇妙な箱に目を留めた。高さ五メートルはある巨大な金属の箱。縦横の幅はさまざまで、ストライプの柱の間やその前後に設置されている。

「ねぇ、おとうさん、あの箱はなに?」

「ん? ああ、あれは……」

 父親が説明をつけようとした途端、金属の箱が巨大な火柱を上げた。雲ひとつなく晴れ渡った空に吹き上がっていく炎。耳をつんざくような轟音にアルトは思わず絶叫していた。

「な、なにあれ!? 怖いよ!」

「大丈夫、すぐ収まるよ」

 次々と赤い咆哮を上げる金属の箱。それは観客席の近くにあるものから順に次々と点火されていき、やがてすべての炎が消えた。だが、金属の箱からは絶えず甲高い音が響き、中に入っている機能がいまだに動いていることを感じさせた。

「びっくりしたぁ~。あれ、なんなの?」

「『ブレイズセレモニー』だよ。あの金属の箱、ジェットスポットが動き出したって合図なんだ」

 まだ心臓が高鳴ったままのアルトの背中をそっとさすると、父親はサーキット入り口で手渡されたパンフレットを手に説明してくれた。

 サラマンダー・ブレイズは、ドラゴンのプレイヤーによって行われる空のレースだ。

 チェックポールと呼ばれる二本一組の柱の間を決められた順に通り抜け、スタート地点に戻ってくる。これを一周回とし、決められた週回数をいち早く消化したものが優勝者となる。

 カーレースを空中に持ってきたようなものだが、カーレースが二次元の動きであるのに対して、ブレイズは三次元――高低差による動きが加わる。そして、チェックポールを通る順番や配置によって表現されるコース形状が、この競技に複雑な変化と面白さを与えていた。

 そして、サラマンダー・ブレイズをよりスリリングにしているのが、ジェットスポットの存在だった。

「ジェットスポットからはものすごい勢いで熱い風が吹き上げているんだ。飛行機用のジェットエンジンが入っているんだよ」

「な、なんでそんなことするの?」

「スポットから吹き上げる風で、プレイヤーを高いところへ押し上げたり、加速をつけさせたりするためさ」

 航空機のような自前のエンジンを持たないドラゴンの飛行は、基本的に滑空するか上昇気流を利用して風任せに移動するしかない。だが、ジェットスポットのような人工的な強風を作る装置を利用することで、通常の飛行では考えられない加速力を急制動を可能にしていた。

『スタート三十秒前……』

 観客席に木霊するアナウンスにすべての視線がコースの一点に集中する。高さ三十メートルほどはある巨大な鉄骨の塔。スタートポートと呼ばれるレースのスタート地点だ。

 サーキットの中に設けられた巨大な液晶ビジョンに、はるかな高みにいるプレイヤー達がスタートラインに整列している様子が映し出される。体を被うぴったりしたスーツには、いたるところに企業のロゴマークやチーム名らしい文字がプリントされている。

 その中に佇む深い藍色のドラゴンがアルトの目に留まった。すぐにヘルメットを着けてしまったため顔立ちは分からなかったが、真剣な光をたたえた目の印象がくっきりと脳裏に焼き付けられた。

「お、おとうさん、あの青いドラゴンって――」

「青いって、ライルのことか? <シエル・エアリアル>のライルってプレイヤーだよ」

「ライル……」

 その名前を呟くと同時に、画面の向こうと実際のポートのドラゴンが同時にコースへと躍り出た。

 アルトの座っている左手から、ドラゴン達がまっしぐらに地面へと降ってくる。飛んでくるのではなく、文字通り地面に墜落するような勢いで。

 ごおっ、という轟音を残して一塊になったプレイヤーが飛びすぎていく。まるで小型の台風のような疾風にアルトの黒い髪がめちゃくちゃにかき乱された。

「なにあれ……」

 仔竜は呆然と呟いた。

 瞳の奥でちらつく残像がまだ信じられない。同じドラゴンでも、郵便や宅配ピザを運んでいる竜便の人たちとはまるで違う。日常生活でつかうのんびりした飛行ではない、高速で繰り広げられる戦いのための飛翔。

 気がつけば、プレイヤー達はサーキットのはるか彼方でレースを繰り広げていた。ジェットスポットを通り過ぎるたびにその体が不自然に跳ね上がり、高みに上った体が急降下と加速のために地面にぶつかりそうな勢いで落下する。

 めまぐるしく移り変わるレースの様子を、アルトは瞬きもせずに追いかけた。次第に先頭集団のドラゴンの姿が少なくなり、やがて一つの姿がトップをキープし始めた。

「あ、あれ、ライルって人でしょ!? ねぇ!」

「ああ! すごいだろ!」

 アルトの興奮に父親の上ずった声が重なる。ライルというプレイヤーの行動はそれだけ注目したくなるような動きをしていた。

 常に垂直に体を立て、背中がポールにこすれるぐらいにコーナーをすり抜けていく。強力なジェットスポットのある場所では確実に急降下を決めて、絶対に速度を落とさない。無謀ともいえる果敢な彼の攻めに合わせて観客の声もどんどん高まっていく。

 いつしかアルトは座席から立ち上がり、目の前に張られた金網にしがみついていた。

 ライルの飛ぶ姿をもっと見たい。あんなに速く自由に飛ぶ姿を。

「……が、がんばれー!」

 思わず喉から飛び出した声に応えるように、液晶画面のライルの姿がぐんぐんと青空に向かって急上昇した。

「がんばれライルー!!」

 その姿が画面の中の太陽を覆い隠し、

 地面を貫くほどの急降下をかけながら、銀色のスーツに身を包んだ体が観客席前のホームストレートを飛びぬけた。

 直線の果てに立っていたヒューが巨大なチェッカーフラッグを打ち振るい、それに合わせて観客の声がブレイズセレモニーのスポット以上の轟音になって鳴り響く。

 渦巻く音と興奮の中で、青い仔竜はただ見つめていた。

 まだ飛び足りないとでも言うように、コースの向こうへ消えていったライルの姿を。


 帰りのバスの中でも、アルトは今日の出来事を思い返していた。呆然としている仔供に、父親がそっと声を掛ける。

「大丈夫か? アルト」

「……おとうさん」

「ん?」

「僕も、あんなふうになりたい」

 きょとんとした顔になった父親は、しみじみとした笑いを浮かべて頷いた。

「そうか。好きになったか、ブレイズ」

「うん。でも一番はライルかな、うん。ライルが好きだよ」

「じゃあ、また見に行くか」

「うん!」

 頷いて、アルトは車窓の向こうで小さくなっていくサーキットを見つめた。夕日に照らされて赤く染まったあの世界で、これからもドラゴンは飛び続けるんだろう。

 僕もいつかあそこに行きたい。ライルみたいに飛んでみたい。

 その日から、アルトの夢はライル・ディオスのような、ブレイズのプレイヤーになることになった。


 そして、それから三年たった十二歳の夏。

 アルトは、一度も空を飛べないドラゴンの仔供として生きていた。

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