ムサシノジェネシス

 昔々、武蔵の地は、住むには酷な地域だった。北からの熱風は武蔵野全土に渡り、南からやってくる雨雲は、度々洪水を引き起こしていた。


 やがて武蔵野の住人は北と南に分かれて、食料を奪い合い、ひたすら屍を重ねていった。住人たちは疲弊し、ただただ毎日泣くことしかできなかった。


 そんなある日の早朝、大きな地震が起こった。住人たちは被害状況を確認しようと表に出ると、武蔵野の大地の真ん中に、山が連なっていた。


 天候に苦しんで、争いで多数の人が死に、地震も起き、次は山が出来て噴火が起こるのかーー。絶望に絶望が重なる状況に、人々は生きる希望を失いかけていた。


 しかし、事態は驚くほど好転していった。


 すぐに変化が起きたのは争いごとであった。山を挟んだことで、必然的に一時休戦状態になった。


 そして、天候は大きな変化が起こった。北の地域は雨雲が多く来ることが無くなり、南の地域は熱風が来なくなった。南と北、それぞれに適した作物を作れるようになり、武蔵野地域全体に、豊かな実りをもたらした。

 

 きっとあの山が出来たからに違いない。武蔵野の人々は、その連なった山を崇めるようになった。春には豊穣を願って、山に祈りをささげ、秋には農作物を納めて祭りを行い、感謝の気持ちを伝えた。


 しかし時が過ぎて、食料も当たり前のように手に入れるようになってくると、いつからか山への恩恵の念も薄れていった。信仰の対象だった山に、人々が足を踏み入れるようになり、自然を破壊し、ごみを散らかした。


 やがて、この山は南北を遮る邪魔な山だ、という人も出て来るようになった。まずは手始めに、北と南両方から山を削り、道を作ることになった。


 その初日。山に鍬を入れて崩し始めようとしたとたん、その大きく横に連なる山は突如、大きな地響きを立てた。直後、大男が起き上がるかのように、空に向かって一直線に立ってしまった。


 山が塔のように立ち、遮るものが無くなった武蔵野の台地は再び、熱風と雨雲が全土を支配した。さらに、この塔のように空高く伸びた山のせいで、日中大きな影が出来るようになり、特に北の地域で日照時間が大幅に減った。


 その結果再び、いや以前にも増して、作物の栽培が困難になった。そして食料を奪い合い、争う日々に戻った。自分たちで山を作ろうという動きもあったが、争いと食糧不足によって、その気力も続かなかった。


 このような困難な状況の中、一人の青年はあることを思っていた。あの山はひょっとすると、生きているのかもしれない。そして今、怒っているのではないかーー。


 その青年は命の危険を顧みず、塔のように空に向かったそびえ立つ山に登り始めた。いや、山に登るというよりは壁に登る、そのような感じであった。


 青年は山に登っては、ごみを拾い、荒れた場所には土を足す、という地道な作業を繰り返した。争いを繰り返していた住人たちは、その青年の勇気ある行動に感銘を受け、皆が協力するようになった。


 やがて、その塔のようにそびえ立つ山の頂点までたどり着いた日、住人たちは大きな祭を開いて祝った。私たちはこの青年のように、争いをやめて困難に立ち向かおう、そう皆で誓い合った。


 住人たちが祭で騒ぎ疲れ、すっかり寝静まった翌朝。大きな地響きが起き、皆叩き起こされた。すると、塔のように立っていた山が、以前のように横たわっていた。


 住人たちは歓喜に沸くと同時に、この山を大切に扱おう、そう皆で誓い合った。山に登った青年を守りの主として、武蔵野の山を壊されないよう、代々守ってきたーー

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