表情と感情(theme of d ①)

春嵐

雪の降る音

 冬の夜。


 終わった関係。あのとき、どうすれば、取り戻せただろうか。


 そればかり、考える。


 恋人。最後に見た顔。店でたまたま、すれ違った。こちらを見たような、気がする。そして私も。


 私は。


「どういう顔してたんだろうな、わたし」


 恋人の顔。感情を、読み取ることが、できなかった。なにを、考えていたのだろう。わからない。


 昔から、顔を見ることでその人間の感情が分かる体質だった。心で泣いてるのに笑ってる人、泣いてるけど心のなかで笑ってる人。そういうのばかりだった。そして、それが人間の本質だと思っている。


 恋人は、心に深い傷を負っていた。それがなんなのか、最後まで分からないまま。というよりも、その傷に触れようとして、関係が、壊れた。


 顔を見れば感情が分かる。わたしを、拒む。恐怖。畏れ。違和感。それが直接、わたしの心を傷つけた。


 誰もいない部屋。恋人が帰ってくることは、もう、ない。


 恋人のほうが出ていった。私に遠慮したのだと、思う。私には仕事がある。相手の顔さえ見てればいい仕事だから、いつも業績は一位だった。


 恋人は、アルバイトをしていると言った。

 嘘だった。

 それも気になってしまった。

 そして、関係はどんどん壊れていった。


 私が、知ろうとしたから。好奇心と特殊能力で、人の心を無用心に覗き込もうとしたせい。


 生まれてはじめての、関係の破綻。


 心が、つらく、重く、私自身にのしかかってくる。


 叫びたい。今から走っていって、恋人に謝りたい。もうあなたの心を覗き込んだりしないから。私を好きにならなくていいから。側にいさせて。


 いくら考えても、仕方のないことばかり考えてしまう。


 恋人は、もう、戻ってこない。私の中途半端な好奇心で。人をひとり、傷付けた。


「はあ」


 この目が、わるいんだろうか。目がなくなれば、人の感情を見ることも、なくなるのかな。


「違う。目のせいじゃない」


 目は、私の見たいものを見せているだけ。私が覗き込もうとしたから、感情が見えてしまうだけ。


 わるいのは、私。


 部屋を飛び出した。


 鍵もかけずに。


 外。


 さっきは降ってなかった、雪。


 寒さが、私を冷静にさせた。


「だめだ。これじゃ」


 迷惑がかかる。


 部屋に戻った。


 机。紙とペン。何か書いておかないと、恋人にも仕事仲間にも迷惑がかかってしまう。人の心を覗き込んでしまったことが罪なのだから、最後ぐらいは人の心に負担をかけないようにしないと。


「なんて書けばいいかな」


 端末を取りだして、検索をかける。


「おっ」


 ええと。


 生きることにつかれました。

 ごめんなさい。

 みんなに会えてしあわせでした。


「これでよし」


 縦読みしたら生ごみになっちゃって美しくないけど、まあいいや。人の心を覗き込む人間なんて、生ごみ以下だ。それはまちがいない。


 財布と端末と、鍵をもって、コートを着て、部屋を出る。


 鍵をかける。


「あ、せっかくだから」


 生ごみも捨てておこう。夜だけど、ごめんなさい。もう帰ってこないから。


 袋にごみを詰めて、それも持って、外に出る。


 雪。さっきよりも強くなってきている。


 歩く。


 ごみを捨てる。


 捨てながら、なんとなく、川かな、なんて、考えていた。綺麗な景色と、川が、いいかな。


 そして、振り返る。


 彼が。


 いた。


 気がした。


「あはは」


 ごみのほうに目を戻す。


 いま彼に会って、どうするっていうんだ。また彼の心を、覗き込むのか。彼の心の傷を、私には分からないそれを、興味本意だけで。


 歩き出した。振り向いた方とは、逆側。


「待てよ」


 声。


 彼の。


「おかしくなっちゃったかな、わたし」


 立ち止まって、なにかを、待った。


「待て」


 彼の声を。待っているわたしがいる。


「やめて」


 雪を踏む音。


「来ないでっ」


 音が、止まる。


 雪が降る。無音。



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