第9話 ブライアンと青年

 レストランを出ると、二人で駅に向かって歩いた。すでに夜も更けて、通りには人は誰もおらず、静かなものだった。ブライアンは何も言わず、ただ前を向いて歩いている。駅までは500メートルほどの道のりだったが、その間お互いに一言も発しなかった。あまりにも静かなので、駅の方から電車の走りだす音が微かに聞こえてくる。俺はこの沈黙の時間に、徐々に耐えられなくなってきた。


 何か話すことはないかと考えてみるが、アルコールが入っているからか思考がうまくまとまらない。酒を飲むと考えがまとまる、という考えはどこから来るのかと心の中で愚痴を言った。そして、とりあえず口から出てきた言葉がこれだった。


「今日は本当にご馳走になりました。ありがとうございます」


「ああ……」


 とこちらを向かずにブライアンは答えると、再び沈黙の時は訪れた。羊たちでももう少しは話すだろう、とくだらない考えが頭をよぎる。


 そんなことを考えていると、前方から黒人の青年が歩いてきた。ふと、ブライアンを見ると、彼は顔を俯かせて気付かれないように青年を観察していた。


 その青年と今まさにすれ違ったその瞬間だった。後ろから、


「手を挙げろ!」


 という声が聞こえた。どうやら、先ほどの青年のようだ。ブライアンも俺も手を挙げた。目線だけ動かして、後ろの様子が横の店のショーウインドーに反射して写っていないか確認しようとした。だが角度が合わずよく見えない。それでも青年の態度からして、どうやら銃をこちらに向けているようだった。


「こっちを向くなよ! 財布を出せ。今すぐだ」


 と声を荒げながら言った。そして、どうするのかとブライアンの方を見ると、なんとブライアンは少年の方に振り返るのだった。


「こんなことはやめるんだ」

 

 と少年をまっすぐ見ながらブライアンは言った。


「うるさい、俺の指示に従え!」


 と、青年は喚きたてた。そのタイミングで俺も振り返ると、やはり青年は銃を持っていた。そして、ブライアンに続いて言う。


「こんなことをして何になるんだ!」


「黙れ!!!」


 と青年が銃を俺に向けた瞬間だった。ブライアンの袖から、銃が飛び出して、ブライアンはそれを青年に向けた。某タクシー運転手みたいだった。


「もうやめろ」


 とブライアンは言う。


「お前の連れが死ぬぞ! 早く金をよこせ!」


 と青年は銃を俺に向けたまま、さらに大声をあげる。ブライアンは続けて、


「もうやめろ、こんなことをしていても意味はない・・・」

 

 と青年を説得しようとした。青年はブライアンと俺を交互に見ながら、どうするべきか考えているようだ。すると、ブライアンは銃を向けながら、青年に言った。


「頼む。やめてくれ……頼む……」

 

 その時のブライアンの話し方に俺は驚いた。まるで、青年に懇願するように言うのだ。ブライアンの方を少しみると、彼の瞳には少し、涙があふれてきているように見えた。そして、目の前の青年ではなく、何か遠い昔を見つめているようだった。


 ブライアンは銃を向けたまま、左手でポケットの財布を取り出すと、俺に差し出した。


「中にある紙幣を全部くれてやれ」


 「そんな!」と言おうとすると、ブライアンは青年に向かって話し始めた。


「ただし、条件がある。お前の持ってるその銃はここに置いていけ。どうせ安物だろ? 今日は結構財布に金が入ってる。これで取引だ!」


 と言った。青年は少し考えこんでから返答する。


「いや、だめだ!」


「こんなことをしても、意味はない。この先不幸になるだけだ。それにお前と俺の銃弾のどちらが先に届くか賭ける気か?」


 とブライアンは言った。そして最後に、


「なあ……頼む……」


 と心の底から願うように言った。青年はまた、しばらく考え込んだ。


 すごく長い時間がたったように思える。挙げっぱなしの手が少ししびれ始めた。

青年もブライアンも黙り続けて、お互いににらみ合っている。俺はその二人を交互に見て事の行く末を見守った。


 すると突然、少年が「分かった」と言った。ブライアンは俺に「やれ」と頭を動かして指示した。ブライアンの財布から、紙幣を取り出すと確かに先に言っていたように10枚ほど入っていた。


 それを少年に近づいて渡すと、ブライアンの横に戻り財布をブライアンに渡した。青年は銃を向けたまま、ポケットに紙幣をしまうと、少し考えるそぶりを見せて、もう一度こちらを交互に見た。すると銃を路上に置き、そのまま振り返って走り去って行った。


「また、あのお金で銃を買うかもしれませんよ?」

 

 と俺は言った。今のブライアンを見ていると、「どうして撃たなかったんだ?」とはとても言えなかった。


「ああ……そうかもな……だが、そうならないことを願うよ」


 とブライアンは言うと、そのまま駅に向かって再び歩き始めた。そんな、ブライアンを見ていると、なぜ、自分に銃を撃たせなかったか、さっきのレストランで彼がなぜ悲しげな顔をしていたのかわかる気がした。


 ようやく、自分が取り返しのつかない場所まで来たのだと嫌でも実感することになった。そう、ここがスタートだったのだ。

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