第九章 - Ⅵ

 身体中の力が抜けていくような感覚。アミナの最終的な目的が人間界を滅ぼすことならば、ヒドゥンと同じ歪みを使って人間界に来た方が都合がいい。その結果が、今、執行兵たちがここに存在しているということ。

「ですが、アミナにも誤算がありました。それは、次の代の執行兵が生まれてしまったこと。執行兵の組織化と次世代の執行兵の派遣を上層部に打診したのは、ルーシャでした。ルーシャはきっと、その段階で気づいていたのでしょうね。アミナがヒドゥンと何らかの関わりを持っていることに」

 だからこそ、ディカリアではない、本当にヒドゥンを狩る執行兵が追加で派遣された。それが、クレインたちだ。

「当然、アミナとしては自分がヒドゥンに加担していることを悟られる危険もありますし、後輩の執行兵とルーシャの存在は邪魔なものでした。ですから、ルーシャを殺した。これがアミナの犯した罪です」

 遠巻きに、アミナとクレインが戦う様子をジッと見据えるササコ先輩。僕を殺す前に、最後だからと話したのか。しかし、先輩は刃を振るうことなく、自身の左胸に手を当て、更に言葉を続けた。

「本人はこの世にいないとはいえ、ルーシャの意志は死んでいないようですね。ルーシャがアミナに伝えたかったのは、ヒドゥンとの共存を図れば、やがて人間界のみならず私たちの世界も滅ぼされてしまうということです。「友人」である私には、ルーシャは話してくれました。今はクレインさんが、その意志を継いでヒドゥンと戦っています。まあ、私としてもひとりで戦い続けるのは辛かったので、後輩の執行兵が来てくれてだいぶ助かりました」

「ひとりで、戦い続ける?」

 目を大きく見開いて、相変わらずの笑みを浮かべるササコ先輩を凝視する。

 彼女は、いったい何を言っているんだ?

 アミナと同じ、ディカリアの構成員のはずなのに――。


「ええ。さっきアミナが言っていましたよね? ヒドゥンの数にも限りがある、お前たちが殺しまくったせいで……って。クレインさんたちが、そんなに数多くのヒドゥンを殺していましたか? いえ、そんなに多くのヒドゥンを殺せると思いますか?」


 ヒドゥンの個体数がどれだけいるのかは定かではない。ただ、これまでの話を総合すると数匹、数十匹単位ではなさそうだ。そして、ずっと彼女たちと行動を共にしてきた僕だから分かる。彼女たちが殺したヒドゥンの数は、二桁にようやく乗るか乗らないか程度だ。

 つまり、それ以外の誰かが、ヒドゥンを狩っているということ。ディカリアの構成員はあり得ない。普通の人間にはヒドゥンは殺せない。仮定に仮定を重ねると、導き出される結論はたったひとつだけだ。


「――ササコ先輩、あなたはいったい……?」

 先輩は、こんな状況にも関わらず、僕に向け微笑みかける。

 あの日と同じように。


「タカトくん。あのとき、言ってくれましたね。「今だけは、高校の先輩でいてくれますか?」って。とても嬉しかったです。そして、これからもずっと、私はあなたの先輩ですよ」


 くるりと僕に背を向けたササコ先輩。クレインやホノカとは一線を画すような挙動で、戦闘を続けるホノカとキララに迫る。

「な、生徒会長ッ……?」

 ホノカにとっては、文字通り悪夢のように映ったはずだ。敵に挟み撃ちにされる状況、どちらの攻撃を受ければよいのか奥歯を噛み締めていた。しかし。

「心配には及びませんよ、ホノカさん。すぐには信じてもらえないと分かった上で言います。私に合わせてください」

 仕込み刀を抜き放ち、ボウガンに次弾を番えようとしていたキララに迫るササコ先輩。

「はぁ? ササコ、何の真似を――」

 キララの疑問も無理はない。突如乱入してきただけではなく、仲間が自分に刃を向けようとしているのだから。

 そんなキララを冷たく突き放すように、ササコ先輩は小さく呟いた。


「ごめんなさい、キララ。私はルーシャを裏切れない」


 刃が空気を断つ音が、何度か残響する。遅れて聞こえたのは、板張りの体育館に何かが落ちる音。その光景の一部始終を、僕は見ていた。キララの武器、トリプタが、番えていた矢と共に床へ散らばる。キララの正面に、ササコ先輩の姿はない。まさに、刹那の出来事。

「え――?」

 呆けような声を上げるキララの背後、ササコ先輩は武器を納める。その瞬間、キララの太股と腕から、真っ赤な鮮血が飛び散った。

「っは、あああああぁぁぁッ!?」

 甲高い声を上げつつ、自分の見に起きた出来事を上手く理解できない様子のキララ。立っていた箇所があっという間に彼女の血で染まる。その場にいた、誰もが困惑している。そんな中、唯一冷静なササコ先輩が、再びホノカへ言葉を投げた。

「ホノカさん、今ですっ!」

 一瞬だけビクッと肩を震わせたホノカだったが、すぐさまサトラを煌めかせ、バランスを崩しそうになるキララへと迫る。

「そんな、そんな……嘘でしょ? ササコぉッ!」

 目尻に涙を溜めつつ、痛々しい叫びを上げるキララ。ホノカのサトラは、そんな彼女の腹部を正確に、そして無慈悲に断ち斬った。

「く、はぁ……ッ!」

 ホノカの攻撃を受けバランスを崩したキララは、既に満身創痍だ。膝を突き、何度か痙攣しながら、この状況を作り出した本人であるササコ先輩を見据える。

「ササ、コ……なんで――」

「遠距離攻撃を持つヴァリアヴル・ウェポンは脅威です。早めに排除するに越したことはありません」

 昨夜の公園で聞いた言葉がフラッシュバックする。アミナがヒメノを斬った際、僕たちに向けて放った言葉だ。既に致命傷を受けたキララの身体や武器からは、あの眩い光が放たれていた。光の粒となり消え去るのも、時間の問題だ。

「キララたちは仲間……じゃ、なかったの?」

「仲間、そうですね。確かに私たちは同期。でも、あなたはアミナの意見に従順でしたから気づかなかったのかもしれないですが、ルーシャも仲間でした。その絆が、あなたやアミナとは比較にならないほど強かった。それだけのことです」

「ッ……」

 ササコ先輩の言葉は、まるで氷の刃だ。絶望に満ちた視線をササコ先輩に向けたキララは、奥歯を強く噛み締めつつ拳を握った。それからキララの身体が光の粒となり虚空に消え去るまで、それほど時間は掛からなかった。

 キララがそこにいた痕跡は、全て抹消された。ササコ先輩の意識は、もうそこにはない。

 大きく息を吸って、吐き出す。鋭い眼光の先にいたのは、クレインとの戦闘を中断したアミナだ。


「おい、ササコ」

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