流れ流され、浪にのまれて

クレナイ ヒビキ

第一話 小波

 丸山はいつも通り店の休憩室であぐらをかき、本を読んでいる。そして定期的に店内を歩き、働いている女達に不埒な事をしている輩がいないか確認して回る。廊下にはツンと、香の甘い匂いが漂っていた。それに女達の色を含んだ声も。

「チッ。」

 丸山は軽く舌打ちをする。彼がここで働いて一年以上になるが、やはりこの場所は好きになれない。給料の問題ではない、むしろその点ではこの仕事は高待遇だ。

 だが彼はここにいると、いちいち自分が武士をやめさせられた理由が思い出されて仕方が無いのだ。それに彼は元よりこういう場所が好きでは無い。給料さえ良くなければ、一生涯、近づきもしなかっただろう。

「アンタ、今日はいつになく酷い顔してるね。」

 丸山は不意に後ろから声をかけられる。正直、彼はコイツに関わりたくないと思っていたから、あえて下を向いて早足で歩いていたのに。

「そんなことは無い。酷いとしたら生まれつきだ。」

 とにかく丸山は、早く立ち去ろうと振り返りもせず、素っ気ない返事をする。

「それが雇い主に対する態度かい? もう一度求人でもしようかねぇ。」

 こう言われては仕方がない、不本意ながら丸山は振り返る。そこには黒髪を肩まで伸ばし、黒と赤を基調とした女物の着物を崩して着たこの店の店主兼商売女(男)の紅華がキセルを蒸していた。因みに紅華は一目見ただけでは女と見間違える顔と体だが、れっきとした男だ。

「何の用だ?」

「いや、本当に用とかじゃないよ。アンタ、見るからに相当疲れてるからさ。ちょっとこう、慰めてやろうかと。」

 そう言うと紅華は左手で丸を作り、右手の人差指をそこに挿し込む動作をする。おそらくこの店に来る客の大半からしたら、この提案ほど嬉しいものは早々ないだろう。事実紅華は常にこの店で最も人気だ。だが丸山はそういう連中とは違う。

「そういうのは、結構だ。」

 丸山はきっぱりと断った。

「つれないなぁ。まぁ、いっか。でもアタシに慰めて欲しくなったら、いつでも言いなよ。床(とこ)で待ってるから。」

「そんな時は一生来んぞ。」

丸山は最後にそう言い残し、再び休憩室へと歩いていった。


数時間後


 すっかり夜は更け、東には太陽が上り、辺りは薄っすらと明るくなってきた。丸山も今日の仕事が終わり、一度アクビと伸びをし、帰り支度を始める。そして支度を終えると、丸山は店の者何人かに挨拶だけして、笠をかぶり裏口から店を出て帰路についた。

 その道中、丸山をいつも憂鬱にする瞬間がある。

 夫婦や熱い男女の仲を見る時だ。

 丸山とて男だ。今の自分の仕事先は嫌いだが、そういうことに興味が無いわけではない。それに結婚だってしたい。

 しかし気がつけば、古い付き合いの友人たちの中で結婚していないのは、すでに彼ただ一人だった。言ってしまえば、彼は硬すぎるのだ。今までに何度か女に気に入られたこともあるが、あまりの彼の守りの堅牢さに結局皆離れて他の男のもとに嫁いで行った。

 そうこう考えつつ、丸山が普段通り家へと歩いていると、通りの奥の方から男の怒鳴り声が響いた。

「テメェ、何やってやがんだ。こんな馬鹿みてぇな物刷りやがって。誰が買うってんだ。」

 どうやら瓦版屋が弟子を怒鳴りつけている最中のようだ。丸山は喧嘩か何かなら止めようかとも思ったが、そういった事ではないとわかり、その前を通り過ぎようとした。が、次の言葉に一気に釘付けになった。

「だいたいこんな、二流とも三流ともつかねえ神社に縁結びの神なんているわけねぇ。神がいたとしても、貧乏神が関の山だ。」

 「縁結びの神」丸山にとっては今最も力になってほしい相手だ。彼は是非一部買おうと瓦版屋に話しかける。

「おい、お前ら。説教中すまんが、それ一部売ってくれんか。」

 瓦版屋は二人共ほぼ同時に丸山の方を向く。そして師匠の方が返事をする。

「誰だか知らんが、やめとけ。こんな物買うぐらいなら、尻拭き紙買ったほうがマシだ。」

「いや、どうしてもそれを買いたい。それとも俺には売れんか?」

 丸山はそう言うと左手をそっと刀の鞘に置く。こうすると町人は大概がビビって言う通りにするものだ。するとさっきまで、どうのこうのと言っていた師匠のほうが、急いで紙を数枚掴むと半ば押し付けるように丸山に手渡した。

「物騒な事は望んじゃいません。お代はただで良いんでいくらでも持って行ってくだせえ。」

 丸山はそれを受け取り、そのままそこに書かれている社へと向かった。

 道中、丸山は今の自分の有様について歩きながら考える。今回の事もそうだが、丸山はここ数年で、よくも悪くも、あることを学んだ。刀で人を黙らせる方法だ。武士だった頃の自分なら絶対にそんな事はしなかっただろう。武士が民衆を力で脅すなど、亡き父が見たらどう言うだろうか。

 そうして考えながら、小一時間ほど歩き、通りを抜け、石階段を登っていくと直ぐに例の社はあった。

 それは全体的に建物は崩れかけ、苔むし、黒ずんでおり最早廃墟に近かったが、辛うじて入り口に立つ鳥居と賽銭箱のみがそれを神社であると主張していた。

 丸山は賽銭箱の前に立ち自分の懐に手を突っ込み財布を出す。そして中から賽銭を出して箱に入れ、手を合わし願いを言う。

「どうか夫婦になる相手が、見つかりますように。」

 言い終わってからも丸山は、目をつぶり手を合わしたままでいる。そうして一分程が経ち、彼が目を開け鳥居をくぐり帰ろうとした時。

 ふと社の中から、何やら床がきしむ音がした。社の中に何かがいる。丸山は何者か確かめねばと思い、刀を何時でも抜けるようにし、社の戸に手を掛けた。一気に中に光が差し込む。その中にいたのは、、、

 

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