お題で書いた短編集

柳なつき

IT、病院、秋「近くて低い祈り」

 枯れ葉も朽ちていく晩秋のきょう、入院している万里加まりかのところに見舞いに来たら、べッドに腰かける彼女は開口いちばんこんなことを言い出した。


「ITってさー」

「……IT?」


 俺の返事が曖昧になってしまうのも、無理はないだろう。いきなりなにを言い出すんだ、このひとは。まあたしかに、万里加はだいぶぶっとんだやつだ。それは認めよう。それにしたって、いきなりIT、とはこれいかに。

 薄暗い大部屋の一角で、目をらんらんと輝かせて、万里加は俺を見上げている。いや、そんな目で見られても。いったいおまえは、俺になにを期待しているんだ。とりあえず、テーブルの脇の椅子に座る。

 パジャマすがたの万里加の頬には、しかし紅が差していて、元気じゃねえかこいつ、と思う。いきなりITなどと言い出すのだから、むしろからだよりその頭が心配なくらいだ。


「そう、IT」

「どうしたー、だいじょうぶかー」

「なに、病床のあたしを心配してくれてるの? ふふん、勇太ゆうたもかわいいとこあんじゃん」

「違えよ、頭がだいじょうぶかって訊いてるんだよ」

「あー、なにそれ、ひっどいー! あたしの頭はまるくて丈夫!」


 ああ、だいじょうぶじゃねえな、と思いながら、俺は話をもとに戻す。


「で、ITがどうした?」

「あっ、そうそう。ここでクイズです。ITとは、なんの略でしょー?」

「……インフォメーション・テクノロジーだろ?」

「あっ! なんで知ってるの! あたし、それやっと知ったっていうのにー!」

「知らねえよ」

「でねでねっ、インフラ、っていうのも知ってる?」

「知ってるよ」

「なんでっ!」

「なんで、じゃねえよ……常識の範疇だろ」

「またー、はんちゅー、とか難しい言葉をつかう!」


 俺は苦笑する。こいつは、ただ理系の知識がなかったりあるいは常識がなかったりするだけで、範疇、なんて言葉じつはすらすらとつかいこなす存在だということを、俺はよく知っている。


「そう、インフラ……インターネットも、つまり、インフラなんだよねっ?」

「そうだけど」

「病院は、インフラじゃないのかなあ?」


 俺はその質問について、しばし考え込む。


「……病院なんか、インフラにしたら、税金とかやばいだろ」

「ふーん、そっか」


 万里加はすこし下を向いて、足をぶらぶらと遊ばせている。

 そして首を大きく傾げて、言う。


「なんかねー、そういうのって、すくいがないね?」


 出た、万里加のこういう発言。一見電波なようでいて、本質を突いているような、突いていないような、そんな気がするこういう発言……。

 俺は、むずむずとする奇妙な感覚に襲われながら、かろうじて反論をこころみる。


「すくい、とか、そういうんじゃないだろ。当然、のことだろ」

「えー、あたしわかんないなあ」


 万里加は、どこか遠くを見ている。俺にはわかる、万里加ははるか遠くを見ている、と。


「……もったいないね、そういうのって。ほら、いま、人類って秋じゃん?」


 俺はどう返事をしていいかわからず、意味のない声で相槌を打つ。


「その秋を回避するには、病院がインフラになるくらいの革命、起こってもいいと思うんだけど……」


 俺は、黙った。

 万里加の見ているところは。

 遠すぎる。

 そして、高すぎる。

 きっと――。

 だから俺は、万里加の頭に手を置いて、こんなことを言うしかできないんだ。


「まあ、とにかく、病気治せよ。そしたらなんでもできるだろ」


 万里加は、笑った。

 その笑顔は年相応にかわいらしいもので、俺は、できることならばこういう万里加をずっと見ていたい、などと思ってしまったのだった。


 たとえそれが、近くて低い祈りだとしても。

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