並走
萩村めくり
準備運動
私は六年前、小学生の頃。両足の機能を失った。
足枷とは実に言い得て妙な表現で、大人へ成るにつれ背負うはずだった荷は、足と共に虚空へと消え去った。
足が動かないのは不便で、でもそれは楽が出来ると同義であり、いま私が特に苦もなく生活していられるのはそれが起因している。
私は、失った足の代わりに色んな物を与えられる。
これが私の生き方。生き様。自身の事だが、反吐が出る。
放課後の帰り道。私はいつものように車椅子上で揺れていた。
押しているのは、小学校からの幼馴染みである鳴瀬だ。容姿は長い黒髪に泣きぼくろという大和撫子然とした風貌だが、それに性格が伴っていない。何というか、どっしりとした落ち着きがないのだ。
長い間、鳴瀬の淡麗な顔を眺めていたからだろうか。不意に目が合う。
「あれ、何か用?」
「あー……」
目が合ったのに話題を振らないのはおかしいかなと思い、以前から気になってたことを平静を装いながら口にする。
「鳴瀬は、さ。めんどーだと思わないの?こーゆうの」
これねこれ、と車椅子を指し補足する。
「全然。こーゆうのも好きだよ、私は」
「……ふーん。そっか」
顔には出すまいと意識し努めるが、胸中を安堵が塗り潰す。気を抜くと、顔がだらりと溶けてしまいそうだ。
そんな私に対し、鳴瀬は秋晴れの如く爽やかな面持ちで。双方の温度差を疎ましく思うも、でもそれならと、もう一歩だけ踏み込んでみる。
「じゃあさ、私に不満とか……ない?」
「不満かー……」
暫し沈黙が訪れて、頭上に視線をやると鳴瀬がうーんうーんと顔を歪ませ悩んでいる。時折、鳴瀬の髪が風でゆらゆら舞って、こそばゆい。
もっとこう、鳴瀬の膨らみが豊かだったら眼福なのになーとか邪なことを考えていたら、その困惑顔は豆電球を幻視する程の閃き顔へと取って代わる。
「鈍感なところ」
「え、鈍感?私が?」
「その反応こそ、鈍感だと物語っているようなものじゃない」
「まーそうかも」
しかしまぁ、鈍感と一括りにされても、痛覚が鈍い方の鈍感なのか感情の機微に疎い方の鈍感なのか、そこがいまいちピンと来ない。なんて自分の心に嘯いてみた。
そうやって益体のないことを考えていたら、突如頭に掌が乗せられる。
「ん、どしたの?」
「深月は私に不満とかないの?」
……不満、不満かぁ。こんなにも懇意にしてくれる友人に、不満を持つほど私は落ちぶれていない。いない、のだけど。敢えて作るなら、一つだけ。
「もっと自分を大切にして欲しい、かな」
「詳しく」
「いやさ、私のことなんか気にせずに、もっと鳴瀬自身がやりたいことをやれば良いかなって、思った。いや、思ってたの」
少し早口で捲し立てながら、もう後戻りは出来ないぞと覚悟を固める。
私は鳴瀬に、鳴瀬自身を優先して生きてほしい。身勝手なそれは、ずっと伝えたかった想いだ。でもこのままだと、なぁなぁで時が過ぎるような気がしていて。
人間、しっかり決別すべき所でしておかないと、どんどん深みへ落ちて行く。いまがその、落ちるか落ちないかの分岐点だ。自分の中で、一抹の決意を燻らせる……も。
「や……私にとっては、深月と過ごす時間は何よりも捨て難いんだけど。……気付いてよ鈍感。鈍感ばか」
さして着飾りもしない愚直な言葉に、あれほど昂っていた気持ちはしかし鎮まる。慎ましやかな蝋燭の火に、バケツごと水をひっくり返される様を脳内で想起した。
すると俄然、私も納得せざるを得ないわけで。
「あっ、そう……そうなんだ」
「うん……」
再度、沈黙が場を包み込む……が、まだ言い足りないのか、鳴瀬が徐ろに口を開ける。
「なんていうかその……深月、足動かないでしょ?何かと不便だろうし大変だと思う」
海を真っ赤に染め上げる夕陽を背景に、鳴瀬の声が波を打つ。
「だからさ。私が手助け?足助け?というか足の代わりに、みたいな?……ああもうもどかしいっ!」
陽光が水面を跳ね、成瀬の頬に駒美やかなグラデーションを体現させる。
「私はずっと、深月の傍に居たいなって。良い、かな……?」
「ぇ……?」
えっえっえっえっえっ。戸惑いや恥じらい等がごっちゃに混ざり血に宿って、熱いものが身体中を駆け巡る。それでも、鳴瀬の言葉を努めて嚥下する。
「…………」
つまり、だ。顎に手を添え長考の末、まとめると。
『貴方と過ごす時間は何よりも捨て難いので、ずっと傍に居させてください』だった。まるで、プロポーズじゃないか。うーんどうしよう。
少し、私と鳴瀬が添い遂げる未来を想像してみる。
もしこのまま両足が動かなかったら、大した働きは出来ないだろう。対し鳴瀬は私の介護と仕事。……そんな関係ダメだ、対等じゃない。
たとえ微量でも、尽くし費やす何かが欲しい。
「ねぇ鳴瀬」
「ひゃっひゃい!」
恐らく、先程の返事を期待してるのだろう。口と目元をギュッと窄めた鳴瀬の顔は、見るに堪えない。
でもごめん、返事は後で。
「走ろう。あそこのバス停まで」
言いながら、上り坂の中腹を指す。距離は目測でだが、だいたい三百メートル程。
「えっはっえっ?どゆこと?」
突拍子な私の言動に、鳴瀬は動揺しているようだったけど無視する。
「よーいどん!」
戸惑う鳴瀬を置いて、先に車椅子を漕ぎ始める。横目で後方を確認すると、鳴瀬も多少バタつきながら走り始めていた。
「まっ待ってー!」
鈍そうな声を出す鳴瀬だが、侮ってはいけない。勉強も運動もそつなくこなす優等生ちゃんなので、すぐ抜かれる。……ほら抜かれた。
けれどこれは競走ではない。ゴールまで走破することが重要なのだ。
躍起になってハンドルを回す。残す距離は、およそ三分の二。
比較的なだらかな坂だけど、早くも腕が疲れてきた。筋肉の疲れを意識すると途端、滑り落ちそうになる。
「くっ……」
歯を食いしばると同時に腕に力を入れ、何とか持ち直す。せっかく積み上げてきたものを、易々と手放す気はない。
前を見据えると、在るのは遠くを走る鳴瀬の後ろ姿。鳴瀬の後ろ姿を見るのは新鮮だ。いつも後ろにいるのに、いまは前にいる。それだけで気分が暗澹としたものになる。
それでも、鳴瀬に追いつきたい一心で気持ちを強く保ち、ハンドルを回す。必死に、必死に。
残す距離は、およそ三分の一。
さっきから脂汗がひどい、身体中が不調を訴えている。女子高生のしていいビジュアルじゃないなと自嘲する。
でも回す。まだ回す。
もう他人任せな私に戻りたくないから。誰かに施せる私になりたいから。
季節外れな湿気が肌を濡らす中、私は最後の力を振り絞り、バス停まで走り抜く。
「深月!」
もうとっくに着いていた鳴瀬が駆け寄ってくる。
「はぁ……はぁ……」
身体が悲鳴をあげ、息がまちまちになる。
「はぁ……少しだけ……自信ついたよ」
そんなに心配なのか、私の周りをわちゃわちゃ動く鳴瀬に向かって、大丈夫だよと返す。
「こんな私で良ければ、傍に居て欲しいな。ずっと」
「う、うん!よろしく!」
喜びか疲れからか、眼を充血させた鳴瀬も女子高生がして良いビジュアルじゃないなと笑い、言葉を重ねる。
「絶対、追いつくから」
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