第80話 秘められた過去⑤

 「雪野をご存じでしたか?」

 「ええ…。いや、正確には、雪野さんのお父様を良く存じ上げております。彼女のお父様は地元では名士でいらっしゃいまして…。私が独立して会社を立ち上げる際には、大変お世話になりました。当時、右も左もわからず、加えて事業資金も持たない私に本当に良くして下さいました。雪野の旦那様から、有形無形の支援を受けた人は、私以外にもたくさんいらしたはずです。」


 彼はそう言うと、静かに目線を落としました。

「いやぁ、世の中狭いものですね。彼女を呼んで来ましょう。彼女もきっと喜びますよ。」

 そう言って席を立とうとする僕を、彼は至極慌てた様子で引き止め、

 「お嬢さんが今お幸せならばそれでいいんです。雪野さんが元気で暮らしていらして、そして菅原社長の元でご活躍されているという事がわかっただけでも、私はこの会に出席

した甲斐がありました。」

 そう言って深々と頭を下げました。訳が分からず、怪訝そうな顔をしている私を見て、彼はこう続けました。

 「お嬢さんは、きっと私にはお会いになりたくないと思います。私が社長に、「雪野さんか」と確認したのは、実は私が私自身を安心させたかったに過ぎません。ですから、どうか…、どうか私が雪野さんの事をお尋ねした事は彼女には内緒にしておいて下さい。そして又、せっかくの機会でしたが、先ほどのお仕事の話もなかった事にしては下さいませんか?」

 そう言うと、膝に頭がつくのではないかと思う位に頭を下げ、

 「私から申し上げるのも大変おこがましく、失礼極まりないのですが、どうぞ雪野さんを宜しくお願いします。」

 とだけ言うと、彼は真奈美を避ける様にして会場を後にしました。

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