第4話 転機

「荷物の整理でもしてみるか。」

 野球ができなくなって東京にいる意味もなくなった僕は田舎に帰る事を考えなければなない時期にきていた。その前に両親に言わなければ…。その事が心に刺さった棘の様にチクチクと僕の心を苦しめた。あの日から、もう2ヶ月が過ぎようとしていた。

 ダンボールをいくつか空けた時、僕は思わず声をあげた。

 「こんな物、持ってきてたんだ。」

 それは旧式のカメラで、僕がまだ小学生だった頃、今はもう亡くなったおじいちゃんが買ってくれた物だった。当時は最新式でかなり値がはった記憶がある。

 「一生のお願いだから。これから一生おもちゃを欲しいなんて言わないから。」

 自分でも嘘だとわかっているのにそう言い切って、おじいちゃんに買ってもらった。

 これを最後に使ったのはいつだろう?

 「まだフィルムが残ってるや。」

 古いカメラを手に持ってポウに向けた。ずっしりと重たいカメラを右手に持つと流石に手首に痛みが走る。左手でカメラを持って、

シャッターボタンを右手で押す事にした。

 「せっかくだからアップな。」

 ポウの顔がファインダー一杯になる程のアップでポウの顔を捉えた。

 「カシャン」

 カメラが懐かしい音を立ててポウは写真に納まった。

 そんな写真の事はすっかり忘れていた頃、僕は立ち読みしていた雑誌に「大切な物の写真募集」の広告を見つけた。

 “物でも人でも何でもかまいません。あなたの大切な物、教えて下さい”

 確かそんなうたい文句だったと思う。

 「そういえばあの写真、もう現像されてるはずだな。」

 雑誌をパタンと閉じて、僕はカメラ屋に向かった。

 現像された写真には中学生の僕が写っていた。まだ東京に来る前で中学の野球のユニフォームを着て写真に写っている。これは確か、中学三年の最後の試合で僕がさよならホームランを打った日だ。みんなの羨望の眼差しを思い出して僕の胸は熱くなった。監督の胴上げ、その後のお疲れ会、その日起こった事をしっかりとこのカメラは記憶していたのだ。

写真の中の僕は自信と希望に満ち溢れている。その笑顔が眩しすぎて、僕は急いで写真をめくった。

 最後の一枚は先日僕がポウを撮った写真だった。同じカメラの中で6年間の月日が流れている。そして思いがけず、ここにはポウが写っている。

 写真一杯のポウはじっと僕を見つめている。 

 「えっ?」

 写真のポウの目の中に、左手にカメラを構えた僕の姿が映っている。そしてファインダーを覗いている僕は嬉しそうに笑っている。僕の笑顔を僕は久しぶりに見た。

 「なかなかいい写真だぞ。」

 ポウに見せてあげる。ポウは「ポウ」と小さく鳴いた。


 写真応募にはたった一つ条件があった。タイトルをつける事。僕は写真を見た時の直感で

 「見守ってるよ」

とタイトルをつけた。


 その写真を投函した夜に田舎の母からの電話が鳴った。

 「監督さんから話しば聞いたよ。もう、帰って来んしゃい。野球だけが人生じゃなかっちゃけん、こっちに戻ってきて田舎で就職ば探せば良かたい。あんたが落ち込んどりゃせんかと思って、お父ちゃんもお母ちゃんもそればっかりば心配しよったとよ。どげんなっても、あんたは父ちゃんと母ちゃんの子やけん、何も心配せんで良か。気持ちの整理がついたらこっちに帰って来んね。」

田舎の両親宛に監督がお詫びの電話をかけたらしかった。「プロの選手にすると約束して大事な息子さんを預かったのに、本当に申し訳ない事をした」と両親に謝ったそうだ。あの診察室以来、監督とは連絡も取っていなかった。恥ずかしくて僕は息苦しくなった。田舎の両親に怪我の報告をする件でもそうだが、監督の事も、申し訳なさと感謝と、あれだけお世話になっておきながらいまだに挨拶一つしに行けない弱さにものすごい情けなさを覚えながら何一つ行動を起こせずにいた。僕がプロの選手になる事への情熱は、もしかしたら僕よりも監督の方が上だったのかもしれない。診察室での監督の顔を思い浮かべると、監督の夢をも奪ってしまった様で罪悪感がさらに加わり、あれから数ヶ月経った今も、結局僕は監督に連絡を取る事すらできなかった。


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