恋と盲目

@hinosuzu

第1話

 「照太、起きろ、起きろって」

 直輝の優しい声と、一緒に頬に感触がある。指だ。

 どうやらいつの間にか寝ていたらしい。

 「離任式まで寝るなって、担任呆れてたぞ」

 その言節からは責めるような声音は感じない。むしろ優しく包み込むような暖かな印象を受ける。

 もう担任ってわけでもないかと、寂し気につぶやいた後、ゆっくりと僕を立たせる。

「今、何時?」

 寝足りない。目を擦りながら。尋ねる。

「15時半だな。あんなに騒がしかったのによく眠れるな」

「うとうとしていた僕を見て、少しボリュームを下げてくれたんだろ」

 なんというか、こいつは気遣いの達人なのだ。

「というか、今日が最後の奴も多いのに寝ててよかったのか?」

「いいさ、お前意外とはそれほど親しいというわけでもないからな」

 高校生にもなれば、周囲との付き合い方も分かる。正確には距離の置き方というべきか。

「悪かったな、今日まで」

 口から自然と詫びの言葉が出ていた。おかしいな、こんなことを言うつもりじゃなかったのに。

「おま、やめろってそういうの」

 直輝はバツの悪そうな声を出す。

「やりたくてやってることだし」

 そして、一拍置いて

「謝られるより、感謝される方がいい」

 小さな声、僕に伝えようとしたわけではないのだろう。けれど、聞こえてしまったものはしょうがない。

「ありがとうな」

 素直に感謝の意を伝える。

「ん?んん~~~~~~~~~~~~~~~」

 直輝が声にならない声を出している。鼻を啜る音も聞こえてきた。

「そこまでのことか?」

「そこまでのことだ!」

 ……今後はもっと感謝を伝えていった方がいいかもな。

「いや、頻度が上がったらこっちが持たない、からこれぐらいのペースで頼む」

 お前は何を言っているんだ。

「どうする、そのまま帰る?」

 聞かれて少し悩む。

「んーん、もうちょっとしゃべりたい」

 捻りだしたのはそんな答え。といっても本心から出た言葉であることには違いない。

「おけ、いつものところでいい?」

 うんと返事をする。

手を引かれ。カランコロンと気持ちがいい、音が聞こえる。馴染みの店についたようだ。

席に案内される。定位置でもあるその場所に座ると、コン、コロロと水と氷が入ったグラスが置かれる。ストローでよく冷えた水を吸うと気持ちがいい。

直輝はその水を一気飲みしたようだ。豪快な奴め。グラスを机にたたきつける音が鳴る。

「おっちゃん、いつもの」

「お前はいつも違うの頼むだろうが!」

 これがいつものやり取り。しかし、おっちゃんこと、マスターはトントンと包丁を動かし始めた。

 周りもざわざわし始める。誰かが、最後のメニューか、と呟いたところでなるほどの声が上がった。

「もしかして、ついに?」

「あぁ、これで全メニュー制覇だ」

 直輝とマスターの勝負にもついに決着か。

 感慨深くつぶやくと、マスターの娘でお店を手伝っている咲さんが小声で話しかけてきた。

「お父さん、直輝君が東京行くって聞いたときから新メニュー作るのやめてたんですよ」

 咲さんの声はニコニコしていて弾んでいる。

「勝ちを譲られたね」

 いつだったか、直輝がこの店の全メニューを制覇すると豪語した。それを聞いたマスターが制覇させまいとハイペースでメニューを作り続けていたそうだ。

 そうはいっても、料理や飲み物のクオリティは高いものであったそうだ。

 僕自身は食べてないけど、直輝の反応を聞いていればわかった。

「こいつのために、作ってなかったわけじゃねぇ。ただ、アイデアが枯渇しただけだ」

「直輝君が東京に行くって聞いた日から作らなかったのによく言うわ」

 娘に言いくるめられてマスターはうぬぬと唸って、静かになった。調理に集中し始めたようだ。

「東京、行くんだ」

「まぁな」

 直輝とは大体一緒にいたけど、進路の話はしなかった。いや、聞かないように、聞かせないようにしてきたのだろう。それでも、まったく話が入ってこないというのも無理がある。流石に、直輝の進路が進学だというのはわかっていた。東京に行くってのも、うっすら知っていた

 それでも話題にするのは、なぜか憚れた。

「そういうお前はどうするの?」

 直輝からの問いかけでハッと我に返る。

「僕はまぁ、実家の手伝いかな」

「そうだよな」 

 直輝はなぜか少しホッとしたような声を出す。

「お前、いろいろと心配だからさ」

「失礼な奴だな」

 こんなじゃれ合いも、もうできなくなってしまうんだろう。

「それに、来年にはお姉ちゃんが帰ってくるはずだし、卓志もいるし」

「瑠璃姉ぇかぁ。瑠璃も東京にいるんだよな」

「あぁ。それで、お前はいつ東京に行くんだ?」

「あー、明日」

「明日!?」

 急すぎないか?いや今日がもう3月25日だから、普通ぐらいか。

 次は何て言おうか考えてると、歓声が沸いた。続けて、目の前のテーブルにドンと重量感がある鈍い音が響く。

「おっさん、何だこの量は?」

「マスターだ。いやー、まさか最後のメニューがこんな大盛りになっちまうとはな。まさか残して、制覇とか言うわけないだろ」

 あからさまな挑発。しかし、そのあからさまな挑発に乗ってしまうのが直輝のいいところでもあり、悪いところでもある。

「いいぜ、食ってやる」

 直輝は、そこそこ食べるほうだとは思う。そんな直輝をビビらせるとは」

「こっちは照太君の分」

「ありがとうございます」

 直輝と違って僕はいつもプリンとアイスカフェラテを頼んできた。本当の意味でいつものって感じ。なんならこっちが何も言わなければ自動的に用意される。

 意外にも、マスターの手作りでこれはまた絶品だ。

「あーん」

 直輝がプリンを掬って、こちらによこす。あーんはやめろと言ってるのに最後まで治らなかったな。

 いまさら抵抗しても仕方がないので素直に口を開ける。

 うん、おいしい。掬ってある分量もちょうどいい。

 僕が食べたり飲んだりするペースを把握していて、自分で食べてる時よりもペース配分が出来てる程だ。しかも自分の食事も怠っていない。

 若干気持ち悪さが上回らないこともないが、とてもありがたい。

「これもしばらく、お預けか……」

 別になきゃないでいいのだが、ないのは寂しい。

「どうする?お代わりでもするか?」

「いや、いいよ。食べすぎもよくない」

 目の前で爆食いしている奴がいるところで言うことではないか。

「じゃあ、もうちょっと待ってな。すぐ食べ終わる」

「ゆっくり食べなよ」

 しばらく、咀嚼音が響いたあと、どんぶりと箸がぶつかった。

「ご馳走様」

 直輝が大声で叫ぶと、店内から拍手が響いた。

「今日の分はおごってやる。……また来な」

 意気揚々と退店と行きたかったが、周りがそれを許さない。直輝はしばらく店内の知り合いと話をしていた。

 うとうとしてきた……。


「待たせた、そろそろいくか。……また寝てるのか?」

「……起きてるよ……」

「嘘つけ、立てるか?」

「おんぶ」

「さすがにむ……いけるか?」

 やってみるかとばかりに、背中に僕を乗せようとする。

「むりむりむり、怖い怖い」

 おかげで目は醒めた。

 そんなこんなでようやく退店した。結構な時間になっているようだ。周りに人の気配がない。

 僕と直輝の足音だけ響く。

「ちょっといいか?」

 問いかけとともに直輝の足が止まった。

「改まってどうしたの」

「えっとな」

 しばらく沈黙が訪れた。無限にも一瞬にも思える時間が流れる。風の音や鳥のさえずりなどが余計に大きくなった。

「俺、絶対に迎え来るから」

「え?」

 迎えに来るって誰を?

「いや、この流れだったらどう考えてもお前だろ」

「僕!?っていうかなんか告白みたいな雰囲気だな」

「いや、まちがいなく告白だ」

「な、直輝が僕に?」

「うん」

「直輝って女の子だっけ?」

「間違いなく男だよ」

いくら目が見えてないからといってそんなどんでん返しはない

「いやいやいや、男同士だし」

「令和の時代にそれはないだろう」

「そうかもしれないけど……」

「続けていいか?」

 首を縦に振る。

「それで俺が行く大学、医学部なんだけど」

「医学部!?」

 聞いてない聞いてないよそんなこと。

 飲み込めない情報がどんどん出てくるが、直輝は続ける。

「お前の目を治せるようになりたくて」

「目を治す……。そんなこと……一言も……」

「ずっとずっと、思ってたんだ」

 正直びっくりしていた。

 もちろん直輝の気持ちはありがたい。

「少しぐらい相談してくれたらよかったのに……」

「相談したら気にするだろ。俺が勝手に決めたことだから」

「わかったよ。うれしいし、ありがたい」

 もちろん言いたいことはまだある。けれどそれを言うことは直輝に対して失礼になる。好意は素直に受け取ろう。

「それで、告白の返事は……」

 うっ、やっぱり返事しなきゃダメか。

「告白っていうのはやっぱりボクと付き合いたい的な」

「違う」

 なんだ、勘違いか。恥ずかしいけど良かった。

「結婚したい」

 違くなかった……。

「結婚って気が早くない?」

「そんなことないよ」

「東京でもっといい人がいるかもしれないし」

「いい人がいても、結婚したいのはお前だけだ」

「……今でさえ迷惑かけてるし」

「迷惑なんて思ってない。もっと頼ってほしい」

「なんで……」

「好きだから」

「そんなの一時の気の迷いだよ……」

「ちがう!」

 今までに聞いたことがないほど大きな声。

「お前にあってから、15年ずっとお前が……照太が好きだった。だから頼ってもらいたくて……」

 ずっと、そんな前から……。僕はどうしたら……。

「じゃあ、こうしよう。僕は待ってるよ」

「う、うん」

「でも直輝が他に好きな人が出来たとしてもそれはそれでいい。それじゃダメかな」

「え?どういうこと?」

「直輝の好きにしていいってことだよ」

 これは、僕自身のための提案。

「う、うん?」

「大丈夫、待ってるから」

「ありがとう」

 それから、家までのわずかな時間。僕たちの間には少しだけ距離があるような気がした。


「ただいまー」

「お帰り、卓志。あっ、誕生日おめでとう」

「は?兄貴なんでいるの?」

「えぇ、お兄ちゃん、家にいるのそんなにいやなのか……」

 めちゃくちゃショックだ。

「そういうわけじゃなくて、今日あいつ、東京行くじゃん」

 あいつとは直輝のことだろう。卓志は直輝の名前を呼ばない。なんでかはわからないけど仲良くしてほしい。

直輝の告白から1晩開けて今日、帰ってからも全然眠れなかった。いったい何時に眠れたのか、自分でもわからない。

「あー、直輝が見送りはいいって」

「素直に従っちゃうのかよ、このバカ兄貴は」

「バカとは何ですかバカとは」

「ってか指輪は?」

 指輪?と首をかしげていると、卓志はやべっっとつぶやいた。

「なんか知ってるの?」

「なんかというかなんというか、なんで兄貴に話さなきゃいけないんだよ。あいつの告白のことなんて何も知らない」

「なんで告白のこと知ってるのかな」

 昨日のことは家族にも誰にも話していないのに。

「まぁ、黙れと言われてないから言っちゃうけど、兄貴がいないときにあいさつに来たんだよ。あいさつというか予告というか」

「へ?」

「だーかーら、兄貴に告白するって言ってきたの。そのあと一緒に指輪買いに言ったの」

「えぇ、ちょっと重い……」

「笑えるよね、それでフラれてるんだから」

「別にフッてはないけど」

「え?きっぱり断ったんじゃないの?」

 昨日の返事をかいつまんで伝えた。

「うわー、我が兄貴ながらドン引きだわ。えぇ、なにその返事。流石にあいつに同情するわ」

 そんなにひどかったのか、僕の返事……。

「酷いというか、非道だな」

「まぁでも。それで直輝が僕のこと嫌いになったならなったで……」

「なるわけないじゃん、あいつ兄貴のこと気持ち悪いぐらい好きだし。気持ち悪いし」

「なんで気持ち悪い2回言ったの?」

「どうでもいいでしょ、とにかくさ断るならちゃんと断ったほうがいいよ」

「う、うん」

「あと1時間……、間に合うか」

「ここから最寄り駅まで歩くと1時間はあるけど」

 父さんも母さんも忙しいから車出してもらえないだろうし。

「別に兄貴の為じゃないけど、免許。今日取ってきたから、大丈夫」

「いや、そんな勘違いはしないけど……」

「……さっさと行くよ」

 なんでこんなに不満げなんだ?

「まって……、格好変じゃないかな?」

「兄貴なんて、どんな格好してても一緒でしょ、時間ないんだから早く」


 車に乗せられ約十分。歩いて行ったら1時間はかかるというのに。車とても便利。

「あいつは、……いた」

 卓志によって直輝のところに連れられる。

「照太……」

「終わったら呼んで」

 卓志は早々にどこかに行ってしまった。気を遣ってくれたんだろう。

 えっとなにをい

「昨日はごめん」

 考えをまとめている間に、先んじられてしまった。

「急にあんなこと言って……、びっくりさせちまったよな」

「僕の方こそごめん。あんなことしか言えなくて……。今から、返事、やり直していい?」

「う、うん」

 動揺しているのがわかる。

 直輝は素直な気持ちは伝えてくれた。こっちもちゃんと気持ちを伝えないと……。

「直輝の気持ちはすごく嬉しかった。でも同時に申し訳なかったんだ……」

「申し訳……?」

「うん、だって。僕なんかのためにいろいろしてくれるのに、これからも、うんん、進路だってなんだって……。全部僕のことを考えてやってくれてるから……」

「それは俺が、俺自身がやりたくてやってるんだよ」

「うん、ありがとう。うれしいよ。すごくうれしい」

「……」

「だからさ……、だから。これからも直輝と一緒にいたい」

「う……ん……」

「あ、これは離れてても一緒とかそういう意味で物理的じゃなくてね」

「別に一緒に行ってもいいんだぞ」

「そこまで迷惑かけられないよ」

「おまえからかけられるものを迷惑だと思ったことは一度もない。これからも」

「うんまぁとにかく、そういうことだから」

 返事としてはしどろもどろで、全然うまくいかなかったな。

「あぁ、すごくうれしい。勇気を出してよかった」

 でも、伝わったから大丈夫だよね。

「あぁそうだ」

直輝に向かって、右手を差し出す。

「……卓志の奴、余計なことを……」

 薬指に少しひんやりとした感触。サイズはぴったりだ。

「じゃあ、そろそろ。駅に入るわ。いつでも遊びに来いよ」

「うん」

「じゃあ車のほう行くな」

「エスコートよろしくね」

「はいよ」

「あぁ、そうだ。浮気とかしたら許さないからな」

「俺がするわけないだろ。お前の方が心配だ」

「早く迎えに来てね」

「いやいや否定とかしてくれよ」

 ブーと大きなクラクションが鳴った。

「何、イチャイチャしてるの?見せつけないでよ」

 卓志が今世紀最大級にごきげん斜めな声を出す。

「照太のこと、頼んだよ」

「お前に頼まれるまでもないんですけど?」

「卓志ほんと直輝のこと嫌いだよね……」

「誰のせいだと思ってるのバカ兄貴。ほら、電車来ちゃうよ」

 なんで怒られたの?

 少しして電車の音がした。きっとこれに直輝が乗るんだろ。

「手ぐらい振ってあげたら?」

 不機嫌な割に結構親切だなこいつとか思いながら手を振る。

 直輝の声が聞こえた。

「チッ、キザ野郎が。行くよ」

 卓志の悪態とともに車は進んだ。

 

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