うちのクラスの天野は天使

橘トヲル

第1話 幼馴染は天使


 夜10時。この時間になるとここ数日いつもベランダに人影が現れる。

 と言っても別にお化けとかの類じゃない。

 大地陸はその時間になったことを確認して読んでいたマンガを本棚に戻した。

 予想通り背後のベランダの窓が開いた。


「おじゃましまーす」


 そう言って入ってきたのは黒髪をショートカットにした女の子だ。

 年は陸と同じ16歳高校二年生。

 幼馴染の天野空だ。


「美里ちゃんと水面さんは?」

「もう寝てる」

「そっか」


 ちょっとほっとしたような表情の空。

 どうやら妹の美里と母の水面には、この時間から陸の部屋に来ていることを知られるのが少し恥ずかしいらしかった。


「ね、今日もその……シよ?」


 頬をわずかに赤らめて、恥ずかしそうに言ってくる空の姿に陸はくらりと来る。

 深夜の自室、高校生の男女、間違いなど……起きることはない。


「今日もモリカーしようよ」


 空は笑顔で床に出しっぱなしだったゲーム機のコントローラーを手に取って言う。そのコントローラーは昨日二人で遊んでからそのまま出しっぱなしだったものだ。

 色気の欠片もないセリフに、一瞬自分の頭の中だけで広がった桃色めいた妄想をため息とともに吐き出した。


「……いいよ、やるか」

「やった」


 にへへ、と笑いながら空が床に四つん這いになってゲームの電源を入れる。

 その様を陸はテレビのモニターと対面になっているベッドの縁に背中を預けながら見ていた。

 空は幼馴染とは言えお互いにもういい歳だ。

 本当は夜中にこんなことをするべきじゃない。

 気恥ずかしさとか、そんなものがこみ上げてくるし、同時にかわいい女の子が自分の部屋にこんな時間にいること自体に何か嬉しさのようなものを感じてしまう。

 事実空の服装はラフと言っていい。

 上はキャミソール一枚だし、下はショートパンツに素足。服からはみ出た肩とか足とかが白くてまぶしい。綺麗な短い黒髪とコントラストを描いて綺麗だ。

 そしてその背中には小さな白い羽が一対生えていた。

 それが二人がこうして深夜一緒にいることになるきっかけだった。


「準備できたよー」


 そう言いながら空は陸のすぐ隣に並んで座った。

 ぴったりとくっつくと、羽があたる。

 ふわふわとした羽毛で、触りたい衝動に駆られるが意志の力でねじ伏せた。


「今日も勝つよー」


 無邪気に笑う空の笑顔は子どものころから何も変わっていなかった。

 空とはマンションの隣の部屋同士ということもあって、生まれた時からずっと一緒に過ごしてきた。このモリカー(モリ男という水道業者が仲間と車でレースゲームするもの)も小学校の頃から何度も一緒にやって来た。

 この歳になってもここまで白熱するとは思っていなかったが。


「くっ、この、ぬっ!」


 陸はコントローラーを無駄に力いっぱい握り体を右に左に動かしながらゲームをする。


「……」


 対して空はと言えば口を半開きにしてほとんど瞬きもせずに画面を凝視している。その指先はコントローラーのボタンを激しく叩いていた。


「っがぁー! 負けた!」

「えへへへ」


 何故か空はこのゲームが異常に上手かった。


   ◇


「それじゃ、りっくん、寝よ?」


 一通り白熱したゲームを終えて、夜の11時を回った頃合いで空が頬を染めて言い出した。


「……そうだな、寝るか」


 本当にただ一緒に寝るだけである。

 電気を消した陸の部屋のベッドの上。

 そこで空が陸に寄り添うようにして横になっていた。

 空が自分の部屋から持ってきた枕の位置は当然ながら陸の真横で、横を見るとすぐそばに綺麗な顔がある。

 夏も近づくこの時期、上掛けは薄い物で十分だ。

 その下では陸の左手と空の右手がしっかりと絡まり合っている。

 ふと視線を横へ向けると、暗がりの向こうじっとこちらを見つめる空の視線とぶつかった。


「にへへへ」

「どうした?」

「べつに?」


 どこか楽しそうで、これから寝ると言うのにご機嫌な空の声。

 本当に寝られるのか疑問に思う。


「りっくんこそどうしたの?」

「……羽、なんともないのか」


 陸が訊ねたのは背中の羽の事。

 数日前、空の背中に生えた謎の羽は医者もさっぱりわからず匙を投げたという。根元はしっかりと空の肩甲骨のあたりに接着、というよりは本当に生えている状態で引っ張れば痛むし抜けることもない。

 何の変化もないのかは気になっている。


「うーん、寝るときは邪魔だけど、他は変わりないかなぁ」

「そっか。ならよかった」


 良くはないのだ、良くは。

 だが、こうして空が笑顔を見せてくれていることが陸にとってはとても大切で、そう言うしかなかった。

 ただの高校生に過ぎない陸には何かしてやることなど出来なかったから。


「お休み、りっくん」

「ああ、お休み」


 次第に瞼が重くなってきたのだろう、空が目を瞑ってお休みを言う。陸がそれに返すが、既に空の呼吸は寝息に代わっていた。

 いや寝つき良すぎかよ。

 小学生の頃一緒に寝ていた時も思ったが空は寝つきが良すぎた。

 こっそりとため息をつくのと同時、つながった腕が引っ張られるのを感じる。

 だが空は眠ったままだ。

 その理由は――

 不意に空の体が浮き上がる。

 上にかけた薄いかけ布団ごと体がベッドから数センチ浮き上がっている。陸が手を握っていなければこの体は徐々に浮き上がっていくだろう。

 だから陸は今日も覚悟を決めて空の手を優しく引っ張った。

 徐々に空の穏やかな寝顔が近づいて来る。

 左手は握ったまま、体を包み込むようにして右腕を上から回して抱きしめる。

 がっちりと。

 そうすると腕の中にしっかりと空の体を抱きしめることになり、自分の顔のすぐ下に空の頭が来るようになる。

 ふわりと、空の甘い臭いがした。

 そして同時に空の体が重力を思い出したかのようにベッドにストンと落ちる。

 空の羽は、飛ぶことは出来ないくせに眠っている間だけなぜか体が浮くのだった。

 空からの頼みと言う名目によって「安全」のためにこうして添い寝が始まったのだが、実は空は手をつないでいれば浮かないと思っている。毎朝起きた時に空が陸の抱き枕状態になっていることは、陸の癖だと思われている。

 正直恥ずかしくて死にそうになるが、何となく伝えたくなくてそのままにしてある。

 もし知ったら……どんな反応をするだろうか?


「うぅん」


 腕の中の空が身動ぎする。

 腕の中を見下ろすと、安らかな笑顔を浮かべた空がスヤスヤと眠っている。

 いや寝られるわけねーだろこれ!

 絶叫したくなる気持ちを抑え込んで、陸はぎゅっと抱きしめる腕に少しだけ力を籠めた。

 腕の中に納まった空からはシャンプーのいい香りがしているし、こうして抱き寄せるとどういうわけかいつも顔を陸の胸にぐりぐりとこすりつけてくるのだ。それがとてもむずがゆいような感覚で、陸はいつもなかなか寝付けない。

 好きな女の子が一緒に寝ていて寝られるはずもなかった。

 涙をこらえながら結局眠れたのは深夜を回ったころだった。


   ◇


「おはよー、おにいちゃん」


 朝、洗面所で歯を磨いているとまだ半分開いていない目をこすりながら妹の美里が起きて来る。背中まである長い黒髪は寝癖であちこちが跳ね、パジャマはボタンが幾つか外れており肩が露出している。美里は朝が弱かった。

 そのまま二人並んで歯を磨く。


「ねぇ、昨日の夜部屋でゲームしてた?」


 そう訊いてきたのは後から来た美里が歯磨きを終わらせてからだ。


「んぇ?」


 歯ブラシをくわえたままの陸は変な声で尋ね返す。

 けれど小4の妹はそれでも理解したらしく、


「や、半分寝てたからわかんないんだけど、なんか部屋からモリカーの音が聞こえた気がしたから」

「あー、うん。一人でやってた」

「モリカーを一人で!? あれ、パーティゲームだよ? 一昨日の夜もやってなかった?」


 美里が信じられない、という目を向けてくるが、隣からきた空と一緒にやってましたとは言えない陸。さてどう答えよう、と口をもごもごさせていると美里は若干憐れみを含んだ目線になって、


「おにいちゃん、見た目不良なのにぼっちだよね……こんどみさとが相手してあげるから、やりたくなったら言ってね……」

「うるさい、余計なお世話だ」


 目の前の鏡には短い髪を茶髪に染めた男子高校生の顔がある。


「これでも学校に友達が二人はいるんだぞ」

「おにいちゃん、それ自慢になってないよ……」


   ◇


 ばたん、と音を立てて背後で家の扉が閉まる。

 とんとん、と床をつま先で叩いて靴を履く美里の脇で陸は家の鍵を取り出して閉める。母親の水面はもう出勤した後で家にはもう誰もいない。ちなみに父親は海外に出張していてしばらく顔も見ていなかった。

 美里が靴を履くのと同時、隣の部屋の扉が開く音がした。

 振り向くと、そこには学校指定のブレザーをきっちりと着た空の姿がある。

 こちらも部屋の鍵を閉めた後で、同じような体勢で固まっている陸とその脇の美里に気が付いたのだろう。


「おはようございます」


 そう言ってぺこりと頭を下げるとそのまま階段を下りて行ってしまう。

 今朝まで部屋で一緒だったとは思えない冷たさ。

 だが外ではこれが平常運転だった。

 ブレザーの背中からはしっかりと一対の白い羽が飛び出していた。


「はえー、そらねぇほんとに背中に羽生えてるんだぁ」

「知ってたのか?」


 口を半開きにして固まっている美里に尋ねる。


「うん、クラスの子が見たって言ってて話題になってたよ? 会ったのは今日が初めてだったけど……」


 そう言う美里の顔は少し寂しげだ。

 昔はこいつも一緒によく遊んでいた。空の方も本当の妹の様に可愛がってて近所では仲のいい姉妹っていう風に見られていた。

 その関係が壊れたのは――俺のせいだ。

 ズキリ、と陸の胸が痛んだ気がした。


「でもなんか、羽が生えてそらねぇすごくきれいになったっていうか、人間じゃない感じになったっていうか」

「ああ、分かるよ」


 陸はエレベーターに向かって歩きながら呟く。


「うちのクラスの天野は天使なんだ」

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