3-5 それぞれに迫りくる泥沼
翌朝7時―
明日香が朱莉のマンションの玄関前に立っていた。
「それじゃあ、私長野へ帰るわね。」
「明日香ちゃん・・・本当に長野へ帰っちゃうの・・・?」
蓮が寂し気に明日香を見上げながら尋ねる。
「大丈夫、またすぐにこっちへ戻ってくるから。長野のお家を片付けたら今度はずっとお隣さんよ。」
明日香はニコニコしながら蓮の頭を撫でる。仲良さげな2人の様子を朱莉は寂し気に見つめていたが、顔をあげて明日香を見ると言った。
「明日香さん。お気をつけて行ってらして下さい。」
「ええ、それじゃ2人とも、またね。来週にはまたこっちへ戻ってくるから。」
そして明日香は手を振ると部屋から出て行った。
バタン
マンションのドアが閉じられても、蓮はじっとドアを見つめていた。
「蓮ちゃん?どうしたの?朝ごはん食べないの?」
朱莉は蓮に声を掛け、ハッとなった。蓮の目に薄っすら涙が浮かんでいたからだ。
「蓮ちゃん・・・。」
すると蓮は両目をゴシゴシとこすると朱莉を見上げて笑った。
「お母さん、ごはん食べるっ!」
それはまるで泣いてる顔を見た朱莉を心配させまいとしている姿に見て取れた。
「蓮ちゃん・・・。」
「お母さん、今日の朝ごはん何かな?」
「え、えっと・・・三角おにぎりとタコさウィンナーに卵焼きとお味噌汁よ。」
「うわーい、おいしそう。早く食べよっと!」
蓮は駆け足でダイニングキッチンへ向かうの朱莉は寂し気に見つめるのだった。
(蓮ちゃん・・・・あんなに明日香さんを慕って・・・。もう・・・私はそろそろ用済みって事なのかも・・・。)
朱莉は暗い考えに囚われるのだった―。
蓮を幼稚園に送り出た後、朱莉は家の家事を済ませると明日香から返してもらったマンションの部屋の鍵を持って翔の部屋へと行った。
そして換気の為に部屋の窓を開け、明日香が今まで使っていたシーツカバーと布団カバーを洗濯機に入れて、バルコニーに布団を干した。その後部屋の掃除を行い、洗濯を干し終えた頃にはすでにお昼近くになっていた。
「ふう・・・さっぱりしたわ。明日香さん・・・来週からはずっとここで暮らすわけだから綺麗に片付けておかなくちゃね。」
そして朱莉は戸締りをするとマンションへ戻り、昼食の準備を始めた―。
午後2時―
二階堂と琢磨は社員食堂で大きな窓が並ぶ窓際の席で2人で向かい合って遅めの昼食を取っていた。食堂の中は昼休みの時間を過ぎているので、社員の姿は誰もいない。二人きりである。
「どうだ、九条。朝は忙しくて話が出来なかったが・・・朱莉さんとは会ったのか?」
和風ハンバーグ定食を食べながら二階堂は琢磨に尋ねた。
「・・・・・・。」
かつ丼を食べていた琢磨の手が止まる。
「どうした?九条?」
すると琢磨は黙ってコップに手を伸ばし、水を一気飲みした。そしてコップを置くと二階堂を見た。
「・・・会えませんでした・・・というか・・会うのをやめました。」
「何?会うのをやめた・・?一体どういう意味だ?」
「別に意味なんかありませんよ。会うのをやめただけです。」
そして再び琢磨はどんぶりを手に取ると、とんかつを食べ始めた。
「おい、その様子だと・・・絶対に何かあっただろう?言ってみろ。」
しかし琢磨は二階堂の顔をチラリと見るだけで返事をしない。
「人の話、聞いてるのか?九条。折角俺が親身になって尋ねているのに・・。」
すると琢磨が言った。
「親身?どこがですかっ?!先輩が面白がって興味本位で尋ねてきているのは知ってるんですよっ?」
「興味本位?俺のどこがだよ。」
「二階堂社長は・・・自分がどんな顔で尋ねているのか気づかないんですかっ?!」
琢磨はやけくそのように声を荒げた。
「何だ?どんな顔って・・・。」
「そんなに知りたければ鏡を見てくればいいじゃないですか・・・っ!」
琢磨はぶつぶつ言いながらかつ丼を食べている。
「ふん・・・まあいいか・・。」
二階堂はハンバーグに箸をつけながら言った。
「ところで九条、話は変わるが・・お前知ってるか?そろそろ鳴海グループの会長が引退するんじゃないかっていう噂を。」
「え?何ですって?」
琢磨は食事する手を止めた。
「その話・・・本当ですか?」
「ああ・・・。あくまで噂だが、何でも体調不良気味で・・・休養を望んでいるらしい。会長には現社長がなるが・・・次の社長を・・そろそろ決めるらしい。今までは鳴海翔が社長になると誰もが思っていたが・・もう、そうも言ってられなくなってきたようだな。」
二階堂は食事を終え、口元をナフキンで拭きながら言った。
「今の新しい社長候補は鳴海翔と・・・。」
二階堂の言葉の後に琢磨は続けた。
「各務・・・修也・・ですか?」
「ああ・・そうだ。今頃は鳴海グループは大変な騒ぎになっているかもしれないな?」
二階堂はにやりと笑みを浮かべると言った。
「と言うことは・・ひょっとすると翔が帰国してくるのも・・・そろそろなのかもしれない・・・。」
琢磨の胸中には得体のしれない胸騒ぎを感じていた―。
その頃、航は父に事務所に呼び出されていた。弘樹は神妙な面持ちでデスクの前に座っている。
長椅子に座った航は弘樹の方を見ながら言う。
「何だよ、俺に話って。もしかして依頼人が何か文句でも言ってきたのか?だけど俺は金曜日の張り込みは問題なくやってるからな?」
「いや・・・その話じゃない。別件だ。」
「別件・・・何だよ?」
「実は・・昨日、美由紀さんから連絡が入ってきたんだよ。」
「え?!美由紀がっ?!」
航は長椅子から立ち上ると、弘樹のデスクに近づいた。
バンッ!
机の上に両手を勢いよく置くと航は尋ねた。
「一体・・どんな要件だったんだよ。」
「DV相談だ。」
「は?」
「美由紀さんは・・今DV被害で苦しんでいる。」
弘樹の言葉に航は耳を疑った。
「・・何だよっ!そのDV被害って言うのはっ?!誰からだ?親かっ?!」
航は興奮気味に言う。
「いや・・相手は美由紀さんの恋人だ。」
「え?」
航は耳を疑った。
「DV相手は・・・美由紀さんの新しい恋人だ。」
淡々と語る弘樹を前に航は信じられない気持ちだった。
「う・・嘘だろう?美由紀に新しい恋人が出来ていて・・・その男からDVを受けているって?」
「ああ・・俺もその相談を聞かされた時は正直・・驚いた。しかもよくよく話を聞いてみると・・この事務所を訪れた後に付き合うことにしたらしい。」
「は?何だよ。その話は・・・。」
「・・・おそらく美由紀さんは新しい恋人ができたから朱莉さんの調査依頼を取り下げてきたのだろうな・・・。ところが今度は新たにその男からのDVで苦しんで・・連絡を入れてきたんだよ。」
「・・・。」
琢磨は唇をギュッと嚙み締めた。
「最初は警察に相談したらしいんだが・・・相手は暴力ではなく精神的暴力で美由紀さんを追い詰めているようで・・警察もあまり相手にしてくれなかったらしい。そこで俺に連絡を入れてきたんだよ。何とかしてほしいって。」
「・・・・。」
「どうする・・・?俺は今別の調査で手が離せない。引き受けられるのは・・お前かアルバイトの・・2名だけだ。俺は出来ればお前にこの調査を引き受けてほしい。だが・・そうなると美由紀さんと会わなければならなくなる。」
弘樹はじっと航を見た。
「俺の責任だ・・。俺が・・・美由紀を振ったから、美由紀はそんなろくでもない男に引っかかって・・・苦しめられる事に・・・!」
「航・・。」
「金なんかいらない・・・!俺が・・何とか解決してみせるっ!」
「分かった。引き受けると俺から美由紀さんに連絡を入れておくからな?」
「ああ・・・頼む。」
そして航は弘樹に背を向けると事務所を後にした―。
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