1-6 朝早くに来た人は
食事の終わった後、朱莉と明日香はダイニングテーブルに向いあって座り、話をしていた。蓮は隣のリビングで大好きなアニメのDVDを観ている。
「あのね・・・朱莉さん。明日・・朱莉さんはお母さんのお見舞いがあるのでしょう?だから私が代わりに蓮を1日預かってもいいかしら?」
「え・・?」
コーヒーを淹れていた朱莉の手が止まる。
「朱莉さんが蓮を翔の知り合いに預けているって話は知ってるわ。明日も午後からその人に預かってもらうんでしょう?だから・・代わりに私が蓮の面倒を見たいの。いいかしら・・?」
「明日香さん・・・。」
(蓮ちゃんと2人きりで明日・・・。)
朱莉の胸はズキリとしたが、明日香は蓮の本当の母親である。だから朱莉には明日香が蓮を1日預かりたいという提案を拒絶する理由はどこにもなかった。
「ええ、もちろんです。どこかへお出かけでもするのですか?」
朱莉は極力冷静に明日香に尋ねた。
「そうね・・・。動物園か遊園地を考えているわ。」
「それはいいですね、では蓮ちゃんに希望を聞いてみてはいかがですか?幸い明日も良いお天気の様ですから。」
「ええ、明日尋ねるわ。行ければ両方お出かけしてもいいわね。」
明日香が楽しそうに笑う姿を見て朱莉は思った。やはり本当の母親にかなうものはないのだろうと―。
「え?それじゃ明日はお姉さんと一緒にお出かけするの?」
蓮は朱莉の話を聞くと、明日香を見た。
「ええ、そうよ。どこでも好きな場所に連れて行ってあげるわ。」
「それじゃ水族館!修ちゃんと約束していたところっ!」
「修ちゃん?」
明日香は首を傾げた。実は明日香には修也の存在を知らせていなかったのだ。翔が日本を発つ前に明日香には修也の存在を知らせないように口止めされていたからだ。だが、なぜ話してはいけないのか理由は朱莉は聞かされていない・・・という、聞きにくかったからだ。翔は何故か修也の話になるといつも不機嫌になるので朱莉はどうしても聞くことが出来ずにいたのだ。
「あの、修ちゃんという方は現在アメリカに行った翔さんの代わりに代理の副社長をしている方なんです。」
朱莉は慌てて答えた。
「あら、そうだったの?でもそんなすごい人がよく引き受けてくれたわね。」
「ええ。子供が好きな方ですから。」
朱莉は必死でごまかした。
「まあいいわ。それじゃ朱莉さん。悪いけどその方には断りを入れておいてくれるかしら?」
「はい、もちろんです。」
朱莉が答えると、明日香は立ち上がった。
「さてと、そろそろおいとまするわ。もう20時過ぎてるし。」
「え?もう帰るの?」
蓮は明日香を見上げた。
「ええ。でも明日は早く迎えに来るわよ。8時には来るから・・蓮君。早く寝るのよ?」
「うん!分かったよ。」
蓮は元気よくうなずいた。
「明日香さん・・・でもそんな朝早くから大丈夫ですか?ご迷惑では・・。」
「いいえ、大丈夫よ。気にしないで。フフ・・・それより明日が楽しみだわ・・。」
明日香が嬉しそうな様子に反して、朱莉が寂しい気持ちでいることを明日香は気づくはずもなかった。
「それじゃ、また明日ね。」
明日香が蓮に手を振ると、蓮も笑顔で手を振る。
「うん!明日ね!」
そして玄関のドアが閉じられると、蓮は朱莉に言った。
「お母さんっ!お風呂っ!もうお風呂に入ろうよっ!僕早く寝なくちゃいけないからっ!」
「ええ、そうね。それじゃすぐに準備してくるから待っていてね?」
「僕、お手伝いするよ。」
朱莉がバスルームへ行こうとすると蓮が後からついてきた。
「それじゃあ、バスタオルとタオルを持ってきてくれる?」
「うん。僕とお母さんの分だよね?」
「そうよ。さて、では問題です。バスタオルとタオル・・合わせて何枚必要でしょう!」
朱莉は笑顔で問題を出した。
「う~んとねえ・・・・。」
蓮は小さな指を立てて一生懸命数を数えている。
「4枚・・・かなあ?」
「はい!正解です。それじゃあ、当たったご褒美にお風呂から上がったらジュースを上げるね。でもそのあとはちゃんと歯磨きするのよ?」
「うん。分かったよ。」
蓮は笑顔で答えた。
夜10時―
蓮はもう寝室でベッドに入ってスヤスヤと眠っている。
朱莉はスマホを握りしめ、ため息をつくと修也の番号を呼び出した。
『はい、もしもし。』
3コール目で修也が電話に出た。
「こんばんは、各務さん。夜分にすみません。今・・お時間大丈夫ですか?」
『ええ、大丈夫ですよ。実は今明日蓮君と一緒に行く予定の水族館のHPを観ていたところなんです。明日は水族館でちょっとしたイベントもあるみたいなので、きっと蓮君喜んでくれるかなと思って。』
電話越しから楽し気な各務の声が聞こえる。
「あの・・・それが・・実は明日はダメになってしまったんです。」
『え・・?明日はお母さんのお見舞いじゃなかったんですか?』
「実は・・・今、明日香さんが東京に来ているんです。そして翔さんのマンションに仮住まいしています。」
『!明日香さんが・・・?!』
電話越しから明らかに修也の動揺した声が聞こえてきた。
「はい、そ、それで・・・・明日は明日香さんと蓮君がお出かけすることになって・・・。なので明日は各務さんはどうぞごゆっくりお過ごしください。」
いつの間にか朱莉の声は涙声になっていた。
『あの・・・朱莉さん。』
「はい?何でしょう?」
『明日はお母さんのお見舞いに行くんですよね?』
「ええ・・・。行きますけど・・?」
『なら・・・僕も一緒にお見舞いに行かせて下さい。お願いします・・・。』
「各務さん・・・?」
朱莉は戸惑ったように修也の名を呼んだ―。
翌朝―
Tシャツにデニムのパンツ、ジャケットを着てリュックを背負った明日香が8時きっかりに尋ねてきた。
「あ、明日香さん・・・その恰好は・・・!」
朱莉は明日香の服装に驚いた。今までの明日香からはまるで想像もつかない服装だったからだ。しかし・・・よく似合っていた。
「フフフ・・・どうかしら?似合ってる?」
明日香は朱莉と蓮の前でモデルの様にポーズを取ると尋ねてきた。
「ええ、とてもよくお似合いです。」
「うん、すごく格好いい!」
蓮は拍手した。
「それでは行ってくるわね。」
蓮の右手をしっかり握りしめた明日香は玄関で朱莉に言った。
「はい、どうぞよろしくお願いします。蓮ちゃん、お利口にしていくのよ?」
「うん!」
「それじゃ、行ってきまーす。」
蓮は明日香に手を引かれ、朱莉に手を振ると言った。
「はい、行ってらっしゃい。」
朱莉も笑顔で手を振り・・・玄関のドアは閉められた―。
「ふう・・・。」
朱莉は1人になるとため息をついた。今日は日曜日だというのに、朱莉は1人きりになってしまった。明日香の話では夕食も食べさせてくるから食事の支度はしなくてもよいと言われている。
洗濯と食器洗いはとっくに終わっている。そこで朱莉は掃除を始めた。掃除機を掛け、お風呂場掃除とトイレ掃除を終わらせれば後はすることはなくなってしまった。通信教育の勉強も今年2月に終わり、無事に高校卒業資格を得ることが出来た。これと言って大した趣味が無い朱莉はもうすることがなくなってしまった。
そこでネイビーをサークルから抱き上げるとつぶやいた。
「ネイビー・・・蓮ちゃんがいないと・・・寂しいね・・。」
そしてネイビーを抱きしめた時、突然インターホンが鳴り響いた。
「え・・?もしかして何か忘れものでもしたのかな?」
朱莉はネイビーを床に降ろすと、玄関へ向かいドアを開けて驚いた。
なんとそこにはTシャツにジーンズ、ジャケットとラフな姿をした修也が笑みを浮かべて立っていた。
「え・・?各務さん・・?まだ約束の時間には早いですけど・・?」
母の面会時間は午後3時からだ。しかしまだ時刻は9時にもなっていない。
「ええ。実は・・・朱莉さんをデートに誘いに来ました。」
修也はそう言うと、優しい笑みを浮かべて朱莉を見つめた―。
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