8-10 労いの言葉

 朱莉は今、修也と一緒に二階堂夫婦の結婚式が行われたホテルの1Fにあるカフェにいた。蓮は朱莉が持参したベビーカーの上でぐっすり眠っている。

辺りを見渡すと、カフェには他にも披露宴会場で見かけた人々が何人も来店していた。


一番奥のテーブル席に朱莉と修也は向かい合わせに座ると、修也は立てかけてあったメニュー表に手を伸ばし、中を開いた。


「朱莉さんは何を飲みますか?」


ニコニコと笑みを浮かべながら修也は朱莉にメニュー表を差し出して来た。様々な種類のコーヒーがあったが、朱莉は無難なものを注文する事にした。


「そうですね・・・。ではカフェ・ラテにします。」


メニュー表を修也に渡しながら朱莉は言った。


「それじゃ、僕はカフェ・モカにします。あ、すみません、注文よろしいですか?」


そこへ丁度近くにいた女性店員を修也は手を挙げて呼ぶと、2人分の飲み物を注文した。


「すみません。カフェ・ラテとカフェ・モカをお願いします。」


「はい、かしこまりました。」


女性店員が頭を下げて立ち去ると、早速修也は朱莉に話しかけてきた。


「どうですか?翔とはうまくやっていけていますか?」


「え、ええ・・・そうですね。翔さんは育児にも積極的に協力してくれていますよ。」


朱莉は質問に答えながら思った。


(各務さんは・・・私と翔先輩が契約結婚の関係っていう事は知ってるのかな・・・?)


だけど、自分からは契約婚の事を言い出せずにいると、修也は顎に手をやりながら言った。


「そうですか。翔は子供が好きだったんですね・・・。でもそれは良かった。安心しましたよ。ああ見えて、翔は意外と子煩悩だったのか・・・何か意外でしたよ。」


そして優し気な瞳でべビーカーで眠っている蓮をじっと見つめた。


「あの・・・翔さんの秘書をするまでは・・・何をされていたんですか?」


「鳴海グループの色々な企業で働いてきましたよ。会長に多岐に渡って仕事が出来るように覚えろって言われて・・海外支社で働いていた事もありましたし・・・でも流石に秘書の話が来たときは驚きましたけどね。会長直々に指名してきたのですけど・・翔に受け入れて貰えて安心しました。」


「え・受け入れて貰えて・・・って?」


朱莉は修也の話した内容が気になり、尋ねてみた。


「ええ・・・実は過去にちょっとしたトラブルがあって・・・高校を卒業してからはずっと疎遠になっていたんですよ・・・。翔と再会したのは実に10年ぶりで・・。」


何故か言葉を濁しながら修也は語るので、朱莉はそれ以上尋ねる事はしなかった。


(誰にだって、言いにくい話はあるものね・・・。翔先輩も各務さんの事一度も話してくれた事は無かったし・・。これ以上詮索するのはやめよう。)


すると修也が朱莉に言った。


「今度は・・・朱莉さんの話を聞かせてくれませんか?」


「え・・?私の話・・・ですか?」


「はい、出来れば・・・朱莉さんの高校生の頃の話を良かったら聞かせてください。」


「わ、私の高校生の頃の話ですか?!」


「はい。お願いします。でも無理にとは言いませんから。」


修也はじっと朱莉を見つめた。その瞳に何故か朱莉は懐かしさを感じた。


「分かりました・・・。」


そして朱莉は語りだした。通っていた高校は翔、琢磨、そして明日香が通っていた高校と同じだった事。入部した部活は吹奏楽部でホルンを担当していた事。そして夏休み前に父親が病気で他界してしまった為に1学期で高校を中退してしまった事・・・それらを修也にぽつりぽつりと語った。


「・・・・。」


修也は朱莉の話を始終黙って聞いていた。そして最後まで朱莉の高校時代の話を聞き終えると修也は言った。


「朱莉さん、高校を中退していたんですね・・・。大変でしたね、まだたった16歳で・・・随分苦労されてきたんですね。」


「い、いえ・・・そんな・・。」


朱莉は何だか恥ずかしくなり、俯くとコーヒーを飲んだ。


「うん、・・よく頑張って来た。本当に・・偉かったね。」


突然修也が口調を変えてきたので驚いて朱莉は顔を上げると、そこには頬杖をついて優し気な瞳で朱莉を見つめる修也がいた。


「各務・・・さん・・・?」


するとその時・・・・。


「ウーン・・・・。」


ベビーカーの中で眠っていた蓮がうなり、ぱちりと目を開けた。


「あ・・レンちゃん。目が覚めたのね?」


すると蓮は朱莉に手を差し伸べると声を上げた。


「ダッ、ダッ。」


「レンちゃん。抱っこなの?」


朱莉が話しかけると、蓮は大きく頷く。


「フフ・・おいで、レンちゃん。」


朱莉はベビーカーから蓮を抱き上げると、嬉しそうに蓮は笑みを浮かべた。


「すごい・・・蓮君が何を言ってるか朱莉さんには分かるんですね。」


感心したように修也は言った。


「ええ、大体は分かりますね。それで・・・各務さん・・・。」


朱莉が言いよどむが、修也はすぐに気づいたようだ。


「そうですね、蓮君も目を覚ました事だし・・・そろそろ帰りましょうか?このホテルの前にタクシー乗り場があるんですよ。荷物もあることですし・・・・僕が案内しますよ。」


修也は立ち上がった。


「よろしくお願いします。」」



「会計してきますね。朱莉さんは後からゆっくり来てください。」


「あ、では私の分を・・・。」


すると修也は言った。


「僕に奢らせて下さい。朱莉さんにコーヒー代支払わせた事が後で翔にばれると、ただでは済まないかもしれないので。」


大げさに言う修也の言葉に朱莉は甘える事にした。


修也は手に取り、伝票を持つとレジでカード払いを済ませ、朱莉がやって来るのを待ってくれていた。


「お待たせいたしました。各務さん。」


スリングに蓮を入れて抱きかかえた朱莉が修也の元へやって来た。


「それじゃ、行きましょうか?」


「はい。」


そして2人は並んで歩き、タクシー乗り場を目指した―。




「各務さん。本日はありがとうございました。」


先にタクシーに乗り込んだ朱莉は修也を見上げた。


「いえ、こちらこそお陰様で楽しい時間を過ごす事が出来ました。」


笑みを浮かべながら修也は返事をすると朱莉に言った。


「さあ、もう行って下さい。蓮ちゃんを休ませてあげないといけないでしょうから。」


「はい、お気遣い有難うございます。」


朱莉が運転手に行先を告げるとタクシーのドアが閉められた。タクシーの車内で朱莉が頭を下げると、修也は手を振ってくれた。

そしてオレンジ色にそまる夕日に向かってタクシーはゆっくりと動き始め、すぐにスピードを上げ、あっという間に小さくなって行く。


朱莉を乗せたタクシーが完全に見えなくなるまで、修也はその様子を黙って見送っていた―。




 その頃―


翔と琢磨は二次会会場に来ていた。会場は大勢の若者であふれ、誰もが楽しそうに会話をしていたが、翔と琢磨だけは違っていた。

2人で一番隅のテーブルに座り、ウィスキーのボトルを前に険悪な雰囲気でグラスを傾けている。

お互い、悪酔いしてるのか・・・目が座っている。


「・・ったく・・翔・・・お前が羨ましいよ・・。」


顔を赤らめた琢磨がジロリと翔を睨み付けながら言う。


「何だと?俺のどこが・・・羨ましいんだよ・・。」


「だってそうだろう?お前だけは・・・常に朱莉さんの傍にいられて・・・。」


すると翔は反論した。


「おい・・何か勘違いしているようだけどな・・・俺だって朱莉さんの傍に始終いられるわけじゃないんだからな・・?所詮、俺と朱莉さんは一緒に暮らせる仲じゃないし・・・。子供の面倒を見て貰っているお隣さんの様なもんだ・・。」


しかし、琢磨はそれを聞いていないのか、独り言を言っている。


「俺だって航だって・・・朱莉さんの傍を離れざるを得なかったのに・・・いや、待てよ。そうだ・・・航はもう新しい彼女が出来たんだっけ・・?」


「え?おい・・・琢磨。航って誰だよ・・?」


翔は琢磨に尋ねるも、まるで琢磨の耳には声が届いていないようだった。


「はあ・・・やっぱり・・朱莉さんの好きな相手はあの男になるのか・・?」


「何?誰だって?朱莉さんの好きな相手って一体誰なんだよっ?!」


いつの間にかテーブルに突っ伏している琢磨を翔は揺さぶったが、琢磨は無反応だ。

すると背後で声が聞こえた。


「やれやれ・・・・時差ボケだな?完全に。」


驚いて振り向くとそこに立っていたのは二階堂であった。


「先輩っ!」


すると二階堂は言った。


「九条は放っておけよ。時差ボケで眠いんだろうから・・このままにしておけ。それより鳴海、俺達のテーブルに来いよ。一緒に飲もうぜ。」


「ええ、そうですね。お邪魔します。」


そして翔は二階堂に連れられて席を立った。


一方、琢磨は1人だけその場に取り残された事も知らず、幸せそうな寝顔で眠りに就くのだった―。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る