6-10 即決

 翌朝―


翔と朱莉は姫宮に紹介された不動産会社の応接室に来ていた。


「翔さん・・・ここは応接室ですよね?何故私たちはこの部屋に呼ばれたのでしょうか?」


朱莉が蓮を抱きながら翔に尋ねた。


「う~ん・・姫宮さんの紹介だからかな・・?」


翔も訳が分からず首を捻る。するとドアをノックする音が聞こえて、50代くらいの男性社員と共に、女性社員が現れた。


「失礼致します。鳴海様、本日はお越し頂きまして誠にありがとうございます。私はここの支店長の早川と申します。そしてこちらが本日物件を紹介させて頂きます遠藤です。」


支店長の早川は丁寧に挨拶をしてきた。


「姫宮の紹介に預かりました遠藤と申します。本日はどうぞよろしくお願い致します。」


遠藤は丁寧に頭を下げた。


「こちらこそよろしくお願い致します。」


翔も挨拶を返し、朱莉と2人で頭を下げた。


(上玉のお客だから、絶対に逃さないようにしなくちゃ・・・それにしても・・。)


遠藤は朱莉と翔をチラリと見た。


(この夫婦・・本当に美形カップルね・・・羨ましいわ。赤ちゃんも可愛いじゃないの。)


「それで先にご案内させて頂きましたが、ご紹介させて頂きました物件はいかがだったでしょうか?」


早川の問いに翔は答えた。


「ええ、とても良い物件だと思いました。それで早速ですが内覧をさせて頂けるのですよね?」


「はい、勿論でございます。すぐにご案内させて頂きます。」



そして翔と朱莉は遠藤の運転する車に乗った―。


六本木駅から徒歩5分。今翔と朱莉が済んでいる億ションとは駅を挟んで反対側にあるそのマンションは現在の住まいよりは多少グレードが落ちるものの、申し分のないマンションだった。コンシェルジュ付きでセキュリティは問題ない。何より翔が魅力的に感じたのは保育所がある点だった。24時間体制で、子供を預かってくれるので安心できる。

部屋の作りは全室に広い造りつけの収納スペースがあり、空調も完備されているし、キッチンは最新型の食洗器とガスオーブンが備え付けられており、朱莉は興味深げに眺めていた。


そして約1時間後・・・。


内覧を終了し、不動産会社に戻って来ると遠藤が翔と朱莉に尋ねてきた。



「いかがだったでしょうか?お気に召されましたか?」


「はい、そうですね。1Fに保育所があるところが特に気に入りました。入居者は誰もが利用できるのはいいですね。」


翔が言った。


「マンションの敷地内に遊具のある公園があるのも気に入りました。」


朱莉も蓮を抱きながら笑顔で答える。


「それではいつ頃入居されますか?」


「朱莉さんはいつ頃がいい?」


翔はきっと朱莉は京極の事があるから早目に引っ越しをしたいだろうと考えていたのだが、朱莉の返事は意外なものだった。


「そうですね・・・暖かくなってから引っ越しをしたいです。出来れば4月の末頃とか・・・。」


「え・・?そうなのかい?」


「はい、レンちゃんの事を考えると気候の良い季節に引っ越しをしたいです。まだ3月は寒いですし・・・。」


「うん・・・確かに言われてみればそうかもしれない。それなら4月の20日以降で暦が良い日程がいいかもな。大安か天赦日、もしくは一粒万倍日・・・。」


翔の言葉に遠藤は驚いた。


「鳴海様・・・随分と暦にお詳しいのですね・・・感心致しました。」


「いや・・別にそれ程でも・・。」


翔は照れたように言う。


「それでは4月の24日はいかかでしょうか?丁度土曜日で大安になっておりますし。」


遠藤の提案を翔と朱莉は受け入れた。



「どうもありがとうございました。」


遠藤と早川に見送られ、朱莉と翔は不動産会社を後にした。そして駐車場に停めて置いた車に乗り込むと翔は言った。


「どうする?朱莉さん・・もうすぐ12時になるけど、何処かで食事でもしていくかい?この近くに個室のお座敷の店があるんだけど・・・そこへ行ってみないか?」


「そうですね・・・。レンちゃんのミルクの用意もしてありますし・・では行ってみましょう。」


「よし、それじゃ行こうか?」


そして翔はアクセルを踏んだ―。




 その頃、遠藤は昼休みに早速姫宮に電話を掛けた。


「もしもし、静香?」


『真奈美、どうしたの?今日は仕事でしょう?』


「うん、そうなんだけど・・ねえねえ、聞いて!静香が紹介してくれた鳴海社長、早速契約を交わしてくれたのよっ!」


『ええ?!本当に?もう決めたの?!』


「うん。即決よ!やっぱり流石鳴海グループの副社長よね・・。一応あの物件はマンションとして売り出しているけど、部屋のグレードによっては億を超えるからね?」


『そうね・・・今住んでいる部屋も億ションだから・・。』


「でも・・不思議よね?何故2部屋なのかしら?1LDKの部屋は賃貸だし・・。」


2人の事情を何も知らない真奈美は不思議そうに言う。


『そうね・・・。私も実はその辺りの事情は分からなくて。』


2人の秘密を漏らすわけにはいかないので姫宮は知らないふりをした。


「そうよね、いくら秘書でもそこまでプライベートな事は分からないものね。でも、そのおかげでこちらとしては助かったわ。だって億ションが売れて、さらに月の家賃が65万円の賃貸契約を結んでもらえたんだもの~。ほんと、静香には感謝するわ。今度何か食事奢らせて?」


『そうね~ならフランス料理を奢って貰おうかしら?』


姫宮が冗談めかして言う。


「ええ~っ!いやだあっ!せめてイタリアンで勘弁してよ。」


真奈美があからさまに嫌がる素振りを電話越しに聞いて姫宮はクスクスと笑った。


『フフ、冗談よ。でもイタリアンね?約束よ?』


「うん、まかせてっ!何所かいいお店探しておくからね。」


『ところで、引っ越しはいつ頃になるの?』


「引っ越し日ね?4月の24日に決まったわ。」


『4月24日・・・。』


「え?何?どうかしたの?」


『ううん、何でも無いの。引っ越しまで1カ月先なのかって思っただけよ。』


「そうなの。もう今日すべての手続きを終わらせてくれたわ。前金も来週の月曜日に振り込んでくれるって。兎に角大口のマンションが決まって本当に良かったわ。これでまた出世に近付いたわ。」


フッフッフッと嬉しそうに笑う真奈美。


『ねえ、出世もいいけど、結婚とかは考えないの?』


「そうね~。私達ももう30歳だものね・・・。って言うか、そういう静香こそどうなのよ?今付き合っている人とかはいないの?」


『ええ、いないわ。でも気になって目が離せない人はいるけどね。』


姫宮は朱莉の事を思い浮かべながら言った。


「ええっ?!いつの間にそんな相手がいたの?!ちょっと・・・誰なのよ?薄情しなさいッ!」


真奈美の切羽詰まった物言いに姫宮は笑いながら言った。


『アハハ・・別に気になるって人は恋愛対象で気になっている訳ではないからね?ただ気がかりで目が離せないってだけの話だから。大体今の私には誰かと恋愛していられる余裕が無いのよ。』


「ふ〜ん・・・でもそんな事言ってると・・私達、あっという間に40歳になってしまうわよ。・・・よし、決めたっ、静香。来月合コンするわよっ!同期の社員達に声を掛けるから・・その時は必ず来なさいよ?」


『はいはい、分かったわよ。』


姫宮は真奈美の言葉に押されて、やむを得ず返事をした。


「よし、約束だからね?それじゃあまたね。」


『うん、また。』


そして2人は電話を切った。



電話を切ると姫宮は溜息をついた。


「引っ越しは4月24日・・・・。何とかしてこの日は正人を留守にさせておかないと・・・。ふう・・・ますます面倒な事になってきたわ・・・。」


本当に今の自分には恋愛などしている余裕は無い。しかし、この後姫宮の身に自分の人生を大きく変える運命が待ち受けていた―。

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