6-9 彼女の事情
広尾にある筑3年の1LDK、ロフト付きのお洒落なデザイナーズマンション―。
ここが姫宮が住んでいるマンションであった。
「ええ。そう・・・。それじゃ、お願いね。うん、また一緒に飲みに行きましょう。じゃあね。」
そして姫宮は電話を切ると時計を見た。時刻は夜の9時を回っている。
「ふう・・・。」
姫宮は溜息をつくとキッチンへ向かい、冷蔵庫から缶ビールを取り出すとPCの前の椅子に座り、プルタブを開けてクイッと飲んだ。
そしてキーを叩いて検索を始めた。
「ここなんかどうかしら・・・六本木駅から徒歩5分・・・。隣同士か上下の階で空き部屋が無いかしら・・。」
明日香は翔と朱莉の為の新居を探していた。
「でも・・真奈美に任せておけば安心よね。」
真奈美という人物は、さっきまで姫宮が電話で話をしていた相手である。学生時代からの友人で不動産会社に勤務している。今姫宮が住んでいるこの部屋も彼女が自ら物件を探して紹介してくれたマンションである。
PCの画面を切り替えて、映画配信サービスに繋ぐと姫宮はビールを飲みながら映画鑑賞を始めた。
兄の京極正人の住む億ションへは滅多な事では行かないようにしていた。何故ならそこには翔も朱莉も住んでいるからだ。だから京極を訪ねるときは常に最新の注意を払っていた。
「朱莉さん達が引っ越しをしてくれるのは願ったり叶ったりだわ・・・。でも・・絶対に正人には引っ越し先が知られないように注意しなくちゃ・・。朱莉さん達が引っ越しする日・・・正人にはどこかに行って貰おうかしら。」
しかし、仮にそんな事をして京極に知れたらただでは済まないことは十分姫宮には分かっていた。
姫宮はどうしても京極の言う事を聞かなければならない理由があった。それは子供の頃に自分だけが姫宮家に引き取られたからだけでは無い。
姫宮が大学3年の時に、義理の父は受け継いだ会社の経営を失敗し、巨額な負債を作ってしまい倒産寸前まで追い込まれてしまった。その危機を救ったのが京極であった。
その頃京極は起業した経営も軌道に乗っており、さらにデイトレーダーで巨万の富を築いていた。そこで姫宮一家の危機を知った京極が全ての借金を肩代わりし、倒産は免れたが、それ以来姫宮の両親は京に頭が上がらなくなってしまったのである。
京極は姫宮に言った。
『静香、俺はお前の家の危機を救ったんだから・・お前も俺の手助けをしてくれるよな?俺達は・・たった2人きりの兄妹なんだから。』
そして姫宮はその言葉に縛られながら生きてきたのだった。
「でも、やっぱりこれ以上正人の好きにさせる訳にはいかないわ・・・。」
姫宮はビールを飲み干すと呟いた―。
それから約1週間後の朝の事。
出勤前の姫宮の元に真奈美からメッセージが入って来た。
『静香、良い物件が見つかったわ。部屋も隣同士だし、広さは2LDK で条件も揃っていると思うの。一度是非ご案内させて頂きたいと思っているの。』
そして物件の画像も添付されていた。それは姫宮の目から見てもとても良い物件のように感じた。
「うん、これなら良さそうね・・。」
満足げに頷くと、姫宮はスマホをショルダーバックにしまうと家を出た。
「おはようございます。翔さん。」
姫宮は仕事の手を休めて出勤してきた翔に挨拶をした。
「ああ、おはよう。姫宮さん。」
翔はコートを脱ぐと、ハンガーにかけ、早速デスクに向かうと姫宮はコーヒーを淹れて翔のデスクに置いた。
「ああ、ありがとう。姫宮さん。」
翔はコーヒーを口にすると言った。
「ん?今朝のコーヒーはいつもとは違う気がするな?」
「やはりお気づきになりましたか?こちらはマンデリンとブラジルのブレンドなんです。香りが通常より濃いそうですよ。如何でしょうか?」
「うん、美味いよ。」
翔は満足げに頷くと、姫宮が言った。
「あの、翔さん。知り合いからとても良い物件の紹介が入ってきました。目を通していただけますか?」
「本当かい?それは助かるな。」
翔は嬉しそうに言う。
「では今から翔さんのアドレスに物件の案内と画像を送らせて頂きますね。HPのURLも併せて送信します。」
「ああ、ありがとう。」
ほどなくして翔のメールアドレスに姫宮からメッセージが入って来る。
翔は早速中身を開いた。
そのマンションは六本木駅から徒歩5分圏内にあるマンションであった。
間取りは2LDKだが、可動式間仕切りが付いているので使い方によっては3LDKにする事も可能になっている。リビングダイニングキッチンの広さは15畳で、その他の2部屋はそれぞれ8畳間と10畳間になっている。そして都合の良いことに隣の部屋の物件は1LDKとなっている。
「うん。なかなかいいかもしれないな。」
翔は満足げに言った。
「それでは早速内覧に行かれた方がよろしいかと思います。」
「ああ、そうだね。丁度明日は土曜日だから朱莉さんと蓮の3人で行ってみる事にするよ。」
「では私から連絡を入れておきますね。」
そして姫宮は真奈美にメッセージを送った。
午前11:50 ―
その頃朱莉は蓮に明日香が送って来た絵本を見せていた。この絵本は文字がかなり多く、大人向けの絵本のようにも思えた。はっきり言えば蓮にはまだ早すぎる絵本ではあったが、明日香の描いた美しいイラストを眺めるだけでも十分だった。朱莉は蓮にイラスを見せながら話しかけた。
「ほら、レンちゃん。この絵はね・・レンちゃんのママが描いたイラストなのよ?とても素敵でしょう?」
ページいっぱいに広がるイラスト。満月の空に無数の星が描かれており、それは朱莉がモルディブで見た星空のように美しかった。
朱莉は自分の膝の上に乗っている蓮をいとおしそうに頭を撫でた。
(本当に・・・こんなにレンちゃんは可愛いのに・・明日香さん、本当にレンちゃんを手放していいんですか・・・?)
朱莉の一番の願いは明日香と翔の中が元通りになり、2人で蓮を育てていって貰う事だった。
(何だか不思議・・・。契約婚を始めた頃は・・・この契約婚が本当の結婚だったらいいのにって、願っていたのに・・・今の私は明日香さんと翔さんの関係が元通りの恋人同士に戻って・・・私の偽装結婚の後に籍を入れて欲しいと願っているんだもの・・・。)
明日香も翔も今の段階では2人は関係修復を望んでいない。
だけど、いつまでもこのままあやふやな状態のままでは蓮にとっては決して良い環境とは到底朱莉には思えなかった。
「レンちゃんを連れて・・長野の明日香さんの処へ行ってみようかな・・。今はまだ寒い季節だから、雪が残っているかもしれないから・・5月のゴールデンウィークが明けた頃にでも・・。翔さんと3人で・・・。」
そこまで言いかけて、朱莉はハッとなった。
(そう言えば・・・明日香さんの恋人は明日香さんに子供がいる事知ってるのかな・・・?もし知らないのなら・・翔さんとレンちゃんを置いて私1人で長野に行った方がいいのかもしれない・・・。うん、そうしよう。)
その時、朱莉のスマホに電話の着信が入った。電話の相手は翔っだった。
「はい、もしもし。」
『もしもし、朱莉さん。突然なんだけど明日の土曜日の午前中、時間取れるかな?』
「はい、大丈夫ですよ。何かあるんですか?」
『うん、実は良い物件が見つかったんだよ。それで不動産会社に連絡をいれたらすぐにでも内覧して欲しいと言われたんだ。』
「ええ、私の方は大丈夫ですよ。」
『そうか、なら先方に明日伺うと連絡を入れておくよ。それじゃまたね。」
「はい。ではまた連絡お待ちしております。」
朱莉は電話を切った。
「レンちゃん。明日は3人でまたお出かけするんだってよ?」
そして蓮を正面に抱きかかえると、笑顔で語りかけるのだった―。
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