6-6 明日香からの便り
あれから数日後の午前9時―
「くそっ!あの二階堂め・・・!」
ダンッとPCの置かれた机を両手で激しく叩き、京極は悔しそうに歯ぎしりをした。
ここは京極の自宅である。ここ数日、京極は出社せずに自宅で仕事をしていた。
その理由は自分の仕掛けた小型カメラを二階堂に奪われてしまい、焦りがピークに達していた為である。先程のような失態を社員達に見せる訳にはいかなかった。社員達が知る京極の姿は温厚で笑顔の絶えない人物像であり、誰もが裏の顔を知らない。だが、この裏の顔こそが京極の真の素顔であった。
あの小型カメラは東京都内の防犯カメラ専門店で購入した商品だった。かなりの高品質で市場にもあまり出回っていない。購入履歴も残されているので、下手をすれば身元を特定されてしまう可能性もある。
「二階堂は通販サイトを運営しているからな・・・ネットワークも広いはずだ・・。このままにしておけば・・・いずれ発覚してしまうかもしれない。だが・・恐らくあのカメラを仕掛けたのは俺だと分かっているだろう・・・。今頃二階堂は証拠をさがしているのかもしれない・・・。何とかしなければ・・・・。」
こんな話はとても静香には報告できない。そもそも隠しカメラの話でもしようものなら、卒倒しかねないだろう。
「早く手を打たなければ・・・。」
京極は再度呟いた。
一方、ここは二階堂のオフィス。二階堂は今月の売り上げの水準を見ていた。
「ふ〜ん・・・やはり3月は腕時計や財布・・ビジネスバックの売れ行きがいいな・・・。4月に向けての準備・・と言った所か・・。」
その時、ドアがノックされた。
「社長、資料をお持ちしました。」
ドアの外で女性の声が聞こえた。
「ああ、持って来てくれるか?」
「失礼致します。こちらでございます。」
髪を後ろに結いまとめ、きっちりしたスーツに身を包んだ二階堂の秘書が資料を持って現れた。この秘書は二階堂が会社を設立した当時から秘書として二階堂の元で働いている。年齢は33歳で職場結婚をしていた。
「ああ、向井君。有難う。」
手渡されて資料を受け取りながら二階堂はふと、秘書に質問をしてみたくなった。
「向井君。少し質問をしてもいいか?」
「はい、何でしょうか?」
両手を前に組み、背筋を伸ばして向井は二階堂を見た。
「もし、俺に子供がいて・・・向井君に面倒を見て貰いたいと頼んだら・・・どうする?」
「・・・・。」
向井は神妙な顔で二階堂を見つめているが・・・やがて口を開いた。
「やはり隠し子がいらしたんですね?それでお相手の女性に子供を押し付けられたのですか?認知して欲しいとでも言われたのでしょうか?それで・・・どちらの女性なのです?この間パーティーに参加されていたコンパニオンの方ですか?それとも銀座のママですか?」
「・・・・。」
二階堂は向井をぽかんとした表情で見つめた。
「社長?どうされたのですか?」
「向井君・・・・。き、君は・・一体どう言う目で俺を見ているんだ?」
「どういう目・・・と言われましても・・・。」
「相変わらずゴシップネタで溢れているネットニュースばかり見ているんじゃないのか?」
「さ、さあ。どうでしょう?」
何故かサッと視線を逸らす向井。
「俺がどういう人間か・・・秘書である君が一番理解しているんじゃないのか?大体この間のパーティーだってコンパニオンは来ていたかもしれないが、俺は企業関係者としか話はしていないし銀座のクラブにすら行った事はないぞ?」
溜息をつきながら二階堂は背もたれに寄りかかりながら言った。
「コ・・コホン。確かにそうでしたね。何せ・・二階堂社長は世間からも注目を浴びている方ですから・・やはりここは早く身を固めるべきかと思います。」
「・・何だか随分話がそれていってるようだが・・最初の質問に戻るぞ?それでもし仮に俺の子供を1時間ばかり預かってくれと頼んだら、君はひきうけてくれるのか?」
「引き受ける訳無いじゃないですか。」
即答する向井。
「あ・・・やっぱりそうなるか?」
「ええ、いくら秘書といえど私がお世話をするのは仕事の事のみです。プライベートな事まで関わらせるのは契約違反です。余程個人的理由が無い限り、まずありえない話ですね。」
「そうだよな・・・確かに・・。」
二階堂はポツリと呟いた。
「あの?社長・・・ご用件はもうお済みでしょうか?」
向井が尋ねてきた。
「ああ、もう大丈夫だ。引き留めて悪かったな。下がっていいぞ。」
「はい、失礼致します。」
向井は丁寧に頭を下げると、社長室を後にした。そして二階堂は1人になると呟いた。
「姫宮静香か・・・。」
二階堂は姫宮がバレンタインの日に翔と女性記者のインタビューをセッティングした事を聞かされた時から怪しいと考えていた。おまけにこの間翔の家でワインを飲んだ時に朱莉と翔が昼休みに式典に来ていく服を買いに行った際、姫宮が子供を預かってくれたと言う話まで出た時には正直驚いた。
「幾ら秘書とはいえ・・踏み込みすぎている。式典で会った事はあるが必要以上に朱莉さんと親しげだったし・・・一度話を聞いてみた方が良さそうだな・・。」
そして二階堂は向井が持って来た資料に目を通し始めた—。
その頃、朱莉は蓮を膝の上に乗せて絵本の読み聞かせをしていた。蓮が5カ月を迎えてからは毎日読み聞かせをするようになったのだ。
絵本の読み聞かせをしながら朱莉は蓮の様子を伺った。大きな動物の絵が描かれた絵本を蓮は食い入るように見ている。
「アーアー。」
蓮は犬の絵を見てパシパシ叩いている。
(この頃の赤ちゃんて・・目はもうはっきり見えているのかな・・?そうだ、4月にはいったらレンちゃんを連れて動物園に遊びに行ってみようかな・・・。)
朱莉はその事を考えると今から楽しくなってきた。その時、突然インターホンが鳴り響いた。
「あら?レンちゃん。誰かなあ?」
朱莉は蓮を抱きかかえたままいそいそと玄関へ向かい、モニターを確認すると宅配業者だった。
『鳴海朱莉様ですか?』
「はい、そうです。」
『お荷物をお届けに参りました。』
「今開けますね。」
朱莉はボタンを操作して、自動ドアを開けた。
「レンちゃん。荷物だって・・・何かなあ?」
朱莉は蓮を抱っこしたまま玄関で待っていると程なくして再びインターホンが鳴った。ドアを開けると大きめの茶封筒らしき小包を抱えた宅配業者が立っていた。朱莉はお届け用紙に認め印を押すと、宅配業者は頭を下げて帰って行った。
「荷物・・誰からかな?」
そして伝票の送り主を見て驚いた。そこには明日香の名前が記されていたからである。
「え・・・?あ、明日香さんっ?!」
朱莉は蓮をバウンサーに乗せると急いで中を開封した。するとそこには1冊の絵本が入っていた。その題名は『ほしがふるえき』と書かれている。表紙のイラストには小高い丘にある小さな駅舎と列車が描かれ、背景には美しい星空が描かれている。
「こ、これは・・明日香さんがイラストを担当した絵本・・・!」
その時、朱莉の足元に封筒が落ちてきた。どうやら絵本の隙間に手紙が挟まっていたようだ。封筒には『鳴海朱莉様』と書かれていた。
朱莉は急いで手紙を開封した—
『拝啓 鳴海朱莉様。
お元気にしていますか?私がイラストを担当した絵本が今月末に初出版されます。この本はまだ発売前の本ですが、一刻も早く朱莉さんに読んでもらいたくて送りました。出来れば蓮にも読み聞かせをして貰えると嬉しいです。朱莉さん、迷惑をかけて本当にごめんなさい。私と翔はもう駄目です。2人の仲は修復不可能です。今私は恋人と2人で長野で暮しています。彼には私の事情は一切話していないけれども・・・いずれ話をするつもりです。だからそれまではどうか東京で蓮を育てて下さい。もし翔がこのまま蓮を自分の元で育てたいと言うなら、このまま蓮を翔に託して下さい。朱莉さん。嫌な事を頼んでしまってごめんなさい。やっぱり鳴海家に私の居場所は無かったのだと今、改めて感じています。翔にはもう会うつもりは無いけれど・・もう一度朱莉さんには会いたいと思っています。やっぱり私は酷い母親だったみたい。
かしこ。』
「明日香さん・・・」
朱莉は明日香の手紙を持ったまま、立ち尽くすのだった—。
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