5-10 バレンタインの罠

 季節は2月に入っていた。


「ねえねえ、航君。明後日・・・勿論予定空けておいてくれるよね?」


夜、2人で定番のラーメンを食べている時に不意に美幸が航に話しかけてきた。


「何だ?明後日もラーメン食べるのか?そんなに食べて飽きないのか?うん・・・・ここの煮卵美味いな。」


航は味がたっぷりしみ込んだ煮卵を食べながら満足げに言う。


「ち、違うってばっ!ラーメンの話じゃ無くてっ!」


「うん?それじゃ何だよ?」


「ねえ・・・もしかして航君・・わざととぼけてるの?」


「別に。何もとぼけてねーよ。何だ美幸。お前チャーシュー残してるじゃないか?食わないらな貰うぞ?」


「違うってばっ!好きだから最後まで残してあるのよっ!」


「何だ?だったら早く食っちまえよ。じゃなきゃ俺が食っちまうぞ?」


「ああ〜もう!何でもっとムードのある話しできないかなあっ?!」


美幸がため息をつきながらラーメンを口に運ぶ。


「そりゃ無理だろう?ここはラーメン屋なんだからさ。」


「それはそうなんだけど・・・。だったらムードのある店行ってみたいなあ・・。」


美幸はブツブツ言いながらもラーメンを美味しそうに食べている。


「ごちそうさん。」


航はパンと手を打って、スマホをいじり始めた。そんな様子を見ながら美幸は言った。


「ねえねえ、航君。それでさっきの話の続きだけど・・・。」


すると航は言った。


「いいから先に食っちまえよ。待ってるからさ。」


「う、うん!」


美幸は急いでラーメンを口に入れ・・・むせた。


「ゴホッ!ゴホッ!」


「あ~あ・・・全く何やってるんだよ美幸は・・・。」


航は苦笑しながらテーブルの水差しからコップに水を汲んで美幸に差し出した。


「あ、ありがと・・・。」


涙目で美幸は礼を言うと航は言った。


「悪かったな。急かして。俺に構わずゆっくり食えよ。」


そして笑みを浮かべた。


「う、うん・・・。」


そして今度は美幸は焦らず、ゆっくりとラーメンを食べながらスマホを見ている航の横顔をチラリと盗み見した。


(やっぱり航君て言葉遣いは乱暴な所があるけど・・優しい人なんだよね。それに・・格好いいし。)


すると美幸の視線に気づいたのか航が顔を上げた。


「何だ?美幸。さっきからニヤニヤして・・変な奴。」


「う〜もうっ!」


(前言撤回!航君は意地悪だっ!でも・・・やっぱり好きだなあ・・。)




「ありがとうございましたーっ。」



店を出ると航が言った。


「よし、美幸。それじゃ次行こうか。」


「え?次って?」


キョトンとした顔で美幸は尋ねた。


「何だよ・・お前から言い出したくせに・・・。さっき言ってたじゃないか。ムードのある店に行きたいって。ネットで調べたんだよ。予約もしたし、今から行ってみようぜ。」


「え?!ほ、本当にっ?!」


「ああ、いつもラーメンばかりだったもんな。まだ少しくらいなら飲んだり食べたり位出来るだろう?」


「うん!勿論ッ!」




そして美幸が航に連れて来られた店なのだが・・・・。


「わ、航君・・・な、何・・この店・・?」


そこはまるで時代劇にでも出てるような古い日本家屋の作りの店内だった。全室長屋のような個室になっており、明かりは行灯のような形をした薄暗い照明器具がぽつぽつと置いてあるだけで足元もおぼつかない薄暗さの上、極めつけは障子戸だ。


「キャアアッ!わ、航君っ!こ、この障子戸・・・ち、血しぶきが飛んでるっ!いやあああッ!か、壁から人の手が生えてるウウウッ!」


美幸はきゃあきゃあ叫びながら個室の部屋で航に必死でしがみ付いて叫んでいる。そんな美幸を尻目に航は言った。


「おい、美幸。酒でも飲むか?ほら、頼めよ。」


そう言ってメニューを渡して来た。


「ううう・・・。」


恐る恐るメニュー表を見た美幸は再び叫んだ。


「イヤアアアッ!お、お皿の上に骸骨が乗ってるメニューがあああッ!」


「おい、落ち着けって、これは骸骨の形に見せたスイーツなんだよ。」


「ね、ねえっ!航君っ!こ、この店は何なのよっ!」


「あれ?知らないのか?最近ネットでも話題の店なんだよ。お化け屋敷をコンセプトにした居酒屋なんだ。どうだ?すごくムードがある店だろう?」


航が楽し気に言うのを見て美幸は叫んだ。


「こんなムードなんかいらなーいっ!!」




「はああ・・・。」


1時間後・・・げっそりした美幸は公園のベンチに座っていた。


「悪かったな美幸。お前お化け屋敷とか苦手だったんだな?」


自販機で買ったばかりの熱い缶コーヒーを手渡しながら航は言った。


「はは・・・どうかな・・・。怖いのが好きな友達もいるけど・・・。」


美幸は乾いた笑いをしながらプルタブを空けてコーヒーを一口飲んだ。


「ほんと、悪かった。何か埋め合わせするよ。」


航がポツリと言うと、美幸は顔をあげて言った。


「ほんと?それじゃあ14日予定空けておいてくれる?」


「14日?明後日か?」


「そう!絶対だからね?」


「分かったよ。」


航は肩をすくめると言った。


「それじゃ、指切りして。」


「・・ったく・・・しようが無いな・・・。」


航は苦笑すると、美幸と指切りした—。





 そして2月14日午後7時―


 この日、美幸は思い切りお洒落をして表参道の駅前に立っていた。この日、美幸は気合を入れてお洒落をしてきた。ファーの帽子をかぶり、少し大人びたワンピースにブラウンのロングコート。今日の為にわざわざ新しく買った新品のコートである。普段の美幸なら絶対にコートなんて来たりしない。軽くて温かいダウンばかり着ているのだが・・・。

美幸の頭には去年のクリスマス・イブの出来事が頭から離れられなかった。航との待ち合わせ時間丁度に着いた時、航がベレー帽をかぶり、ロングコートを着た女性に向って駆け寄り、強く抱きしめる姿を・・・。


(きっと航君が好きな女性はああいうタイプの女性なんだ。)


だから少しでもその女性に近付きたくて、普段は着慣れないワンピースにロングコートという井出達で航を待っていた。

これから2人で行くお店だって予約済みだ。会社の社長である京極のアドバイス通りの店を予約し、そこでバレンタインのプレゼントを渡す。航は殆ど寒い外で仕事をする事が多いので、思い切ってカシミヤのマフラーを買った。


(フフフ・・・航君・・喜んでくれるかな・・・。)


するとその時・・・。


「美幸!待たせたか?」


航が背後から声を掛けてきた。


「うううん!今着た所っ!」


本当は20分前から来ていたが、そこは内緒だ。


「あれ?今夜の美幸は何だかいつもと違うな?」


航は白い息を吐きながら言った。


「うん。へっへっへ・・・似合うでしょう?」


照れくささを隠すために美幸はわざと変な笑いをした。


「何だよ、そのへっへっへ・・・って笑いは?」


航は呆れたように言うが、笑顔だった。


(よ、よしっ!航君・・・笑ってくれている。きょ、今日こそ・・・告白して・・正式な彼氏彼女の関係になるんだからっ!)


「そ、それじゃ航君行こうっ!」


そして美幸は航を連れて予約しておいた店へと向かった。




「おい・・・美幸。何だかこの店・・随分高級そうだけど・・・大丈夫なのかよ?俺・・持ち合わせあまりないぞ?」


航が小声で美幸に囁く。


「大丈夫だってばっ!ネットで事前予約で20%引き、さらにクーポンダウンロードで15%引き、そしてクレジット払いで5%引きなんだから心配しないでっ!」


「お、おう・・そ、そうか・・?」


航は美幸の迫力に押されて、返事を返した。店内はかなり人がいて混みあっている。


「美幸、平日なのに随分混んでるんだな。」


航の言葉に美幸は驚いた様に目を見開いた。


「え・・・?航君・・もしかして気付いていなかったの?今夜はバレンタイン・・特別な日なんだよ?」


「え・・?あ、そうかっ!バレンタインだったのか・・・!どうりでカップルばかりだとおも・・・・。」


そこで航の目は見開いたまま固まった。


「え?どうしたの?航君?」


美幸は視線の先を見ると、そこには若い男女がグラスを鳴らして、シャンパンを飲んでいる姿があった。


「あ・・・あいつ・・・!」


見ると航の顔色は真っ青になっている。


「え?一体どうしたの?航君?」


しかし、航は美幸の質問に答えず、食い入るようにそのカップルを睨み付けるように見ていたが・・・やがて口を開いた。


「鳴海・・・翔・・・。お前・・・朱莉と言うものがありながら・・・!」


「え・・?朱莉・・・?」


(そう言えば・・・航君・・・あの時、朱莉って呼んでたけど・・。)


ガタンッ!!


すると、突然航が席を立ちあがった。


「え?わ、航君?どうしちゃったの?!」


美幸は慌てて声を掛けると航が言った。


「ごめん・・・美幸。俺・・・・急用が出来たっ!」


そして上着を掴むと店を飛び出して行ってしまった。


「え・・・?う、嘘でしょう・・・?航君・・・。」




そして呆然としている美幸の少し離れたテーブルで京極はその様子を伺っていた。


(せいぜい・・・俺の駒になってくれよ・・・。)


そして京極は翔と相手の女性が楽し気に食事をしている姿をこっそり隠しカメラで撮影した—。




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