5-3 翔の不安
航が野辺山高原へ来てから既に2週間が経過していた。美由紀も仕事があるという事で1月4日に東京へ帰って行ったが、最後まで航に一緒に東京へ帰ろうと泣き落としまでされた程だった。
22時―
ここは京極の書斎である。
「フフフ・・・安西航・・・。やはり彼は中々良い仕事をしてくれるな。」
京極は航が調べ上げてメールで送られてきた大量の資料を満足げに目を通していた。
「しかし、この白鳥という男・・・なかなか叩いても埃が出るような人物じゃないな。」
プリントアウトした白鳥の資料を指で弾きながら京極は呟いた。
(白鳥誠也・・・32歳。父、母、兄の4人家族・・・東京都出身。中流家庭に育ち、両親共に公務員、兄は学校の教師・・。過去に恋人がいたこともあるが、今はフリーで恋人と呼べる存在は現段階では明日香のみ・・・か。明日香の事は何も知らされていないようだな・・・。)
京極は背もたれに寄りかかると考えた。
(今、鳴海翔は朱莉さんと本当の家族になろうと画策している・・・。それだけは絶対にやめさせないと・・・。明日香が鳴海翔の元へ戻るのが一番だが、今は白鳥誠也と言う恋人がいるからな・・。いっそ白鳥に明日香の事情をばらすか・・・。)
「だが・・・・。」
京極は不敵な笑みを浮かべると言った。
「静香の話では今は朱莉さんは鳴海翔に対しての恋心は無くなってしまったらしいからな・・・。当り前だ・・あれだけ朱莉さんに酷い事ばかりしていたんだからな。愛想を尽かされても当然だ。残念だったな、鳴海翔・・・。」
そして京極は缶ビールを飲み干した―。
同時刻―
「はい、分かりました。準備は万端です。・・・はい、それで・・出席する企業の代表者名簿ですが・・・え?当日の朝でなければ渡せない・・?そうですか・・いえ。何も問題はありません。はい。・・では3日後、お待ちしております。・・・ええ。勿論朱莉さんにも出席して貰います。蓮も連れて行きますよ。ええ、ベビーシッターもお願いしてありますので・・・。はい、では失礼致します。」
翔は電話を切るとため息をついた。
「やはり事前に参加者リストを手に入れる事が出来なかったか・・・・しかし、何故だ?何故祖父は・・・副社長である俺にリストを見せてくれない?何故だか分からないが・・・嫌な予感がする・・・。まさか・・・あいつが来るのか・・?だとしたら非常にまずい。もしあいつが来ていたら、朱莉さんを帰宅させるか・・?」
気付けばウロウロ歩き回っている自分の姿がガラス窓に写り、我に返った。
ソファに座り、深呼吸すると自分に言い聞かせる様に独り言を呟いた。
「いや・・きっと考え過ぎだ・・・。あれから10年も経過しているんだ・・まさか今頃俺の前に姿を現すとは考えにくい。まずは・・・余計な事を考えず、式典を成功させる事だけ考えなくては・・・。」
そして翔は溜息をつくと、PCに向かった―。
翌朝―
朱莉が蓮をおんぶしながら家事をしている時の事だった。突然朱莉のスマホに着信が入って来た。相手は姫宮からであった。
「はい、お待た致しました。」
『朱莉様、おはようございます。朝から申し訳ございません。』
「いえ、姫宮さんこそお忙しいはずです。それで・・・どの様な御用件でしょうか?」
『はい、明後日開かれる式典についてでございます。式典は夕方4時から始まりますので、恐れ入りますが15時には社の方へいらして頂けますか?』
「分かりました。それで・・・出席するための服なのですが・・今更なのですがどのような服を着ればよいのか分からなくて・・・。」
朱莉は恥ずかしそうに言う。
『それでしたらフォーマルドレスのワンピースで十分だと思いますよ。』
「あ、あの・・・姫宮さんにお願いがあるのですが・・・。」
『お願い・・・ですか?』
「はい、私が持っているフォーマルドレスの写真を何枚か撮影しますので・・画像を送らせて頂いてもいいですか?センスのある姫宮さんに・・・選んで頂きたくて・・。」
『ええ、それ位大丈夫ですよ?では画像が届くのお待ちしておりますね?』
「はい!よろしくお願いします!」
朱莉は嬉しそうに言うと電話を切った。
(フフフ・・・朱莉さんて本当に素直で可愛らしい方ね・・。)
姫宮は笑みを浮かべながら電話を切ると、背後から翔に声を掛けられた。
「姫宮さん・・・朱莉さん、何て言ってたかい?」
「はい、分かりましたとお話ししておりました。後・・・。」
「後?」
「式典にどのような服を着て行けば良いか迷っておられました。」
「え?何だって・・・。そうか・・・しまった。仕事が休みの日に朱莉さんを連れて服を買いに行けば良かったな・・・。」
翔は悔しそうに言った。そんな翔を見ながら姫宮は言った。
「一応、朱莉様からお手持ちのワンピースの画像を送って頂く事になっておりますが・・・。」
姫宮が言いかけた時、早速朱莉から着信が入って来た。送られてきたワンピースの画像は全部で4枚で、どれも朱莉が着るには少し年齢が上の女性向けのデザインに見えた。
「フム・・これか・・・。」
「ええ、そのようですね・・・どうされますか?」
「うん・・朱莉さんは何を着ても似合うと思うが・・若くて美人なんだから、もう少しデザインが若々しい方が朱莉さんには似合っていると思うな・・。」
「翔さん・・・。」
姫宮が呆れたような顔で翔を見た。
「な、何だ・・?」
「今の台詞・・・まるで新婚家庭の夫のような台詞ですね・・・。」
「え?そ、そうだろうか・・・?」
翔は顔を赤らめながら言う。
「ええ、そのように私は感じられましたが・・それではどうでしょうか?1時間程度でしたら翔さんが不在でも大丈夫ですので、お昼休みの後朱莉様と待ち合わせをされてはいかがでしょうか?」
「しかし、蓮が・・・。」
「それなら私は社のロビーで蓮君の面倒を見ますので・・お2人で買い物をされてはいかがですか?」
「・・いいのか?姫宮さん・・・そんな事頼んで・・。」
翔は申し訳なさそうに言う。
「ええ、どうぞお気になさらないでください。」
(こうやって信頼関係を築き上げておかないとね・・・。私は・・・正人とは違う。強引なやり方ばかりではうまくいかない時だってあるのだから・・。)
姫宮は笑みを浮かべながら思うのだった―。
「え?今日のお昼休みなんてまた突然だな。でも・・・やっぱりあの服じゃ駄目だったのね。」
朱莉は姫宮から貰ったメッセージを読み、驚いた。
(まさか、翔先輩が・・・私の洋服の買い物に付き合うなんて・・・。本当に最近の翔先輩は一体どうしてしまったんだろう。以前とは全く態度が違うから戸惑ってしまうな・・・。でも今の翔先輩の方がずっといいけどね。)
しかし、それでも翔と2人で買い物と言われても朱莉の胸が高鳴る事は無かったのだった―。
そして昼休み
朱莉は翔と自社ビルの前でベビーカーを握りしめ、翔がやって来るのを待っていた。ほどなくして、翔が姫宮を伴って現れた。
「お待たせ、朱莉さん。」
「こんにちは、翔さん。姫宮さん。」
朱莉が丁寧にお辞儀をすると、姫宮が早速言った。
「それでは蓮君は私がお預かり致しますのでどうぞお二人でお買い物へ行って来て下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
「それじゃよろしく頼むよ。」
そして翔は朱莉を伴って買い物へ向かった。実はもう翔は朱莉の服をどこで買うか決めていた。それは自社ビルから徒歩で5分程の場所にあるブランド服の専門店で、明日香が良く利用している店であった。
店員は翔の事を良く知っているので、店に入るとすぐに店長が現れ、自ら朱莉の服を選んでくれた。そのフォーマルドレスは紺色のワンピースにボレロとのフォーマルドレスで、同色系の襟元のレースが上品なデザインであった。
このドレスは朱莉に良く似合ったので、翔は即決で決めてしまった。
「ありがとうございました。」
店員達に見送られ、店から出るとすぐに朱莉は翔にお礼を言った。
「翔さん、本日はお忙しいのにわざわざ私の買い物に付き合って頂きまして、ありがとうとございました。」
そして深々と頭を下げる。その様子を見て翔は言った。
「朱莉さん、顔を上げてくれ。」
「?」
「一応俺達は・・書類上夫婦になっているんだ。だから・・遠慮なんかする必要は無いからな?むしろ・・もっと俺を頼って欲しい・・・。」
「え?」
朱莉はその言葉に不意を突かれて顔を上にあげると、そこには何故か照れたような表情を浮かべる翔の姿があった。
「あ、あの・・?翔・・さん・・?」
「い、いや・・。それじゃ会社に戻ろうか?姫宮さんがロビーで待ってるから。」
「はい、そうですね。レンちゃんも待ってるでしょうし。」
そして朱莉と翔はまた並んで歩き出した―。
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