3-7 惑う朱莉

「別に翔さんに・・・京極さんが思うような事は何もされていませんけど?」


朱莉は京極から視線を逸らしながら言った。


「本当ですか?それならちゃんと僕の目を見て答えてください。」


京極が自分をじっと見つめる視線を感じ・・朱莉は伏し目がちに京極の方を振り向き、視線を向けた。


(京極さんには・・・本当の事は言えない・・・。だって京極さんには何か底知れない物を感じるから・・・!)


だから朱莉は言った。


「はい。私は翔さんには良くして貰っています。京極さんが心配される事は一切ありませんので大丈夫です。」


「朱莉さん・・・。僕の事・・・やはり信用出来ませんか・・?僕は貴女の大切な安西君と沖縄でいさかいを起こした事が有りましたしね。」


京極は航の話の部分だけ何故か強調して話す。


「そ、そんな・・何故そこで航君が出て来るんですか?」


一方の朱莉は京極の口から突然航の話が飛び出してきて驚いた。


「・・・東京に戻って来ても・・今も安西君と連絡を取ったり、会ったりしているんですよね?」


京極は淡々と話す。


「確かに、東京に戻ってからは・・少しは航君と連絡を取って、会った事はありますけど・・・もう終わりましたから、恐らく会う事は無いだろうと思います。」


航の事を思うと朱莉の胸はチクリと痛んだが、それをおくびにも出さずに朱莉は言った。


「そうなのですか?それは意外ですね?でも何故ですか?差し支えなければ理由を教えていただきたいのですが。」


京極は興味深げに尋ねる。


「航君には航君の事情があるのだと思います。」


朱莉は航のプライベートな話を京極にするつもりは無かった。


「それって・・・僕には教えてはくれないって事ですよね・・・?」


悲し気な表情の顔を見て、朱莉の心は揺らいだが、それでも毅然と言った。


「航君の許可なしに・・・勝手に話す事は出来ませんから。本当にすみません。」


朱莉は頭を下げた。


「それで・・・あの、そろそろ手を離して頂けませんか・・?」


先程から京極は朱莉の左手を握りしめたままである。


「そうでしたね。いつまでも握りしめていて・・・すみませんでした。」


京極は言いながら手を離した。


「あの・・・京極さん。もうそろそろ失礼させて頂いても宜しいですか?人の目もありますし・・何より今日初めて蓮ちゃんを外に連れ出したので、そろそろお部屋に戻してあげたいんです。」


朱莉は何処か危険な香りのする京極から逃げたかった。


「そうですね。まだ蓮君はこんなに小さいですからね・・。では一緒に戻りましょう。」


京極が立ち上りかけたが、朱莉は言った。


「いいえ、京極さん。ドッグランを見てください。あんなにマロンとショコラちゃんが楽し気に遊んでいますよ。是非もう少し遊ばせて行ってあげて下さい。私は先に失礼させて頂きますね?」


朱莉は立ち上がると、京極に頭を下げた。そして背を向けて立ち去ろうとした時、京極が声を掛けて来た。


「朱莉さん。」


「はい、何でしょう?」


朱莉は京極の方を振り向いた。


「明日香さんが・・・プロのイラストレーターなのはご存知ですよね?」


「え?ええ・・・。」


「それでは彼女のペンネームをご存知ですか?」


「いいえ・・・知りません・・けど・・?」


(京極さん・・・どうして急に明日香さんの事を聞いてくるの・・?)


「彼女のペンネームはカタカナで『ウミノアサヒ』って名前なんですよ。」


「ウミノアサヒ・・・・ですか。でも・・・それがどうしたのですか?」


「明日香さん・・・昨日何処かへ行きませんでしたか?」


「え・・・?ど、どうしてそれを・・?」


朱莉は手を無意識に握りしめていた。


「明日香さんはSNSをしているんですよ。そして偶然彼女の書き込みを発見したんですよ。今、星が綺麗に見える駅を探しているけれどもご存知の方がいたら教えてくださいと。」


「!」


朱莉は息を飲んだ。


(明日香さんが言っていた事と同じ・・・・!)


「それで僕は彼女に教えたんですよ。長野県にある『野辺山駅』は星空が大変美しく見える場所だと言う事を。そして・・これは偶然でしょうか・・・。昨夜は夜中に流星群が降って来る日だったんですよ。ついでにその事を教えて上げたんです。そうしたら彼女はすぐにお礼の返信をくれて、すぐに『野辺山駅』へ向かうと書いて来たのですよ。」


ニコニコと笑みを浮かべながら語る京極に朱莉は畏怖の念を抱き、身体が震えそうになった。


「朱莉さん・・・?どうしたんですか?顔色が悪いですよ?」


京極が心配げに尋ねて来た。


「い、いえ。大丈夫です。ただ・・・ちょっと驚いただけです。まさか明日香さんに『野辺山駅』の事を伝えたのが京極さんだったとは思わなくて・・・。」


朱莉は京極の視線から顔を背けるように言った。


「ええ。でも役に立てて良かったです。」


「そ、そうですね。では私はこれで失礼します。」


朱莉は深々と頭を下げると、逃げるように足早に立ち去った。




「・・・・。」



朱莉の立去る後姿が見えなくなるまで見送ると京極は溜息をついた。


「また・・・俺は朱莉さんを怯えさせてしまったようだ・・・。」


そしてスマホを取り出すとメッセージを打ちこみ始めた—。



 逃げるようにエレベーターホール迄辿り着いた朱莉はため息をついた。


(京極さん・・・何故、突然あんな事を言い出したの?一体京極さんは・・何を考えて居るの?いつもいつも何か含みを持たせるような言い方をされると・・。)


「京極さん・・・私は貴方の事が・・・少し怖いです・・。」


朱莉はポツリと呟いた。



 自宅へ戻り、眠っている蓮をベビーベッドに寝かせるとスマホにメッセージの着信が入っている事に気が付いた。

相手は姫宮からであった。メッセージを開いて、目を通した朱莉は驚いた。


「そ・・そんな・・!今夜8時に会長と鳴海家で会食なんて・・・!」


出来る事なら断りたいと朱莉は思った。昨夜、翔に責められたばかりなのに顔を合わせるのは、気まずい。だけど、朱莉は会食を断れる立場にはない。


「そうだよね・・・。いつまでも避けて通れるわけじゃ無いし・・・。あ!そう言えば、翔さんからお宮参りの神社を探して置くように言われていたんだっけ・・・・大変!すぐに調べなくちゃ。」


朱莉はPCに向かうと、蓮のお宮参りに行く神社を探し始めた—。




 夜7時―


インターホンが鳴らされた。


「はい。」


応答するとモニターに映し出されていたのは姫宮だった。


『朱莉様。お迎えに上がりました。』


「ありがとうございます。準備は出来ているのですぐに下に降りますね。」


朱莉はモニターを切ると、ベビーカーに乗せられている蓮に語りかけた。


「レンちゃん。これからパパのお爺様に会いに行くからね?」


そして朱莉はベビーカーを押すと玄関を出た。

戸締りをして、エレベーターに向かった朱莉はこれから翔と顔を会わせるのだと思うと、心臓の動悸が早まって来た。


(どうしよう・・・どんな顔して翔さんと会えばいいんだろう・・・。)


まだ翔は朱莉の事を怒っているのだろうか?そんな状態で会長と会食なんて出来るのだろうか・・・。


その時、目の前で突然エレベーターのドアが開いた。朱莉は意を決してエレベーターに乗り込むと1階のボタンを押した。


「落ち着かないと・・・まずは深呼吸をして・・。」


朱莉は数回深呼吸をすると気を落ち着かせた。

やがてエレベーターは1階で止まり、ドアが開いたので外に出ると既にそこには姫宮が笑顔で立っていた。


「こんばんは。朱莉様。」


そして突然朱莉に耳打ちするように言って来た。


「副社長は先に鳴海家へ向かっています。だから・・安心して下さいね。」


「え?」


朱莉は翔の秘書と言う立場でありながら、姫宮の口から出て来た意外な台詞に惑いを隠せなかった—。

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