2-9 歩み寄り

「すみません、翔さん。それでは蓮君をよろしくお願いします。1時間以内には戻って来ますので。」


朱莉は身支度を整えると翔に言った。


「いや。別に1時間以内に戻って来なくても大丈夫だよ。おむつもさっき変えたし、ミルクも上げたばかりだからすぐに目を覚ますと言う事はないだろう?」


翔はベビーベッドで眠っている蓮をチラリと見ると言った。


「ええ・・でも・・・。」


「いいよ、気にしなくて。蓮の為に毎日お母さんの所に面会に行けなくなってしまったんだから、俺が蓮を見れる日はなるべく朱莉さんはお母さんの面会に行ってあげるといいよ。」


翔は笑みを浮かべると言った。


「翔さん・・・そう言っていた頂けると助かります。それではよろしくお願いします。」


「ああ、行ってらっしゃい。」


その時、朱莉の顔が真っ赤になるのを翔は気が付いた。


「どうしたんだ?朱莉さん。」


「い、いえ。なんでもありませんっ!そ、それでは行ってきますね。」


言うと、朱莉はそそくさと玄関のドアを開けて外へと出てエレベーターホールへ向かった。


(行ってらっしゃいって言われて思わず赤くなっちゃったけど・・翔先輩に気付かれちゃったかな・・?契約書では翔先輩を好きになってはいけない事になっているから・・私が翔先輩を好きだって言う事絶対に気付かれないようにしなくちゃ。)


そして朱莉はエレベーター前に到着するとボタンを押した。

エレベーターに乗り込むと朱莉は地下駐車場の階のボタンを押し、地下へ向かった。

そして地下に到着して降りると自分の車に乗り込み、シートベルトを締めてエンジンを掛けた。


(フフフ・・・お母さんに会うの久しぶり・・・楽しみだな・・・。)


そして朱莉はアクセルを踏んだ―。



 朱莉が部屋を出た後、翔は持参して来たPCを開いて仕事をしていると突然スマホに着信が入った。すると電話の相手は祖父からである。翔は慌てて電話を取った。


「はい、もしもし。」


『ああ、翔。久しぶりだな、元気にしていたか?』


「はい、すっかりご無沙汰しておりました。」


『ずっと仕事が忙しくてすっかり連絡するのが遅くなってしまったが・・・生まれたんだろう?子供が。お前の方も仕事が忙しいのは分かるが、そういう大事な話はすぐに連絡を入れろ。第一、姫宮からの連絡が来なければ曾孫が生まれた事すら分からなかったぞ?』


「はい。申し訳ございませんでした。」


『それで?男の子だったらしいじゃないか?名前は何て言うんだ?』


「蓮と言います。」


『そうか・・・蓮か・・・鳴海蓮・・・うん。良い名だ。どうだ?可愛いだろう?』


「ええ。とても可愛いいですよ。」


翔はチラリと眠っている蓮を見ながら言った。


『それで、朱莉さんはどうしてるんだ?』


「朱莉さんは・・ずっと母親の面会に行けなかったんです。だから僕が今日は彼女の代わりに蓮の子守りをする事にしたんです。」


『ハハハ・・・そうか。父親を頑張って努めているんだな?うん、夫婦仲も良さそうで何よりだ。それじゃ、翔。後で可愛い曾孫の写真でも送っておいてくれないか?日本に帰国した時には必ず蓮に会わせてくれよ?』


受話器越しから豪快な笑い声が聞こえてくる。


「はい。必ず。」


『それじゃまたな、翔。』


そして電話は切れた。翔は溜息をつくと、椅子の背もたれに寄りかかった。


「夫婦仲が良い・・・か・・・。」


(もし・・3年半後・・朱莉さんと離婚して明日香と結婚すると言う話を聞けば・・祖父はどう思うだろう?後継者失格の烙印を押されて失脚させられたら・・・?その為には何としても祖父には早めに会長職を退いて貰って、父に会長になって貰わなかれれば・・・。最悪、祖父がまだ引退を表明しなければ朱莉さんには悪いが、契約婚を延長しなければならないな・・・。)


その時、ふと翔は朱莉が顔を真っ赤にして家を出る姿を思い出した。


(そう言えば・・・何故あの時朱莉さんは顔が真っ赤になっていたんだ?まさか・・・俺の事を好き・・・なのか・・?)


翔は首を捻ったが、すぐにその考えを打ち消した。


(まさかな・・・契約書には絶対に俺の事を好きにならないように約束させているし、第一俺は今迄散々朱莉さんに酷い事をしてきたんだ。そんな俺を朱莉さんが好きになるはずもないか。)


そしてスマホを持って立ちあがると、ベビーベッドで眠っている蓮に近寄ると、その寝姿を写真に収め、改めて我が子を見つめた。


「ハハハ・・・本当に・・可愛いな・・目元なんか明日香にそっくりじゃないか・・・。」


蓮の頬に触れながら翔は呟き、その表情は暗くなった。


「明日香・・・。いつになったら記憶を取り戻せるんだ・・?俺はお前の事をずっと待っているのに・・・。」


そして翔は再び溜息をついた―。



午後3時―


琢磨と航は温泉施設へと向かっていた。


「航、お前がいてくれて今日は本当に助かったよ。」


琢磨は笑顔で航に話しかけた。


「琢磨、お前俺に明日香を押し付けっぱなしだったんだからな?ビールだけでなく飯も奢れよ?」


「ああ、分かってるって。」


いつの間にかこの2人は名前で呼び合うような仲になっていた。結局この日は航と明日香のアプリゲームの話で盛り上がり、琢磨も半ば強引にアプリゲームをインストールさせられ、連携プレーに参加させられたのだった。


「それにしてもお前、あのゲームは初めてだと言っていたくせに、上手だったじゃないか?」


航はチラリと翔を見ながら言った。


「ああ。シュミレーションゲームだろう?ああいった駆け引きは実際の仕事と似ているよな?だからうまく出来たんじゃないか?」


前を見ながら、サラリと言ってのける琢磨の姿に航は面白く無さそうに言う。


「あー!これだからエリートは面白くねえっ!まだその温泉施設は遠いのか?」


「いや、後5分程で着く予定だ。」


「それより、どうするんだよ?琢磨・・・お前来週も明日香の所へ行く約束なんかして・・お前が1人で行けよ?俺は絶対に行かないからな?」


航の言葉に琢磨はニヤリと笑った。


「それはどうかな?明日香があまりにもしつこくお前の連絡先を聞いて来たから、教えてやったんだ。今度からはお前の所にも直に連絡寄こすんじゃないか?」


「な・・何だってっ?!おい!琢磨っ!お前ふざけるなよっ!勝手に人の個人情報を漏らすなよっ!」


航は激怒して琢磨を睨み付けた。


「まあそう言うなって。明日香が記憶を取り戻せれば、俺達はお役御免になるんだから・・・これも朱莉さんの為だと思えば辛抱できるだろう?」


「う・・・。」


朱莉の名前を出されれば、流石の航も黙り込んでしまうしか無かった。


(航・・・本当に朱莉さんの事が好きなんだな・・・。俺も・・・航みたいにもっと自分の素直な感情を朱莉さんに伝える事が出来れば良かったのに・・。)


そんな様子を見ながら琢磨は思った。


「全く・・・とんでもない奴等と関わってしまったぜ・・・。」


航はまだ小声でブツブツ文句を言っている。そんな航をチラリと見ると言った。


「まあ、そう言うなって。これも何かの縁だ。今度からうちの会社でも企業調査を依頼する時は、安西航を指名するからさ。」


「え?!その話本当か?」


「ああ、本当だ。俺は一応社長なんだ。それ位の権限は持ってるのさ。」


「何だよ、それ・・・偉そうに・・。まあいいいか、それじゃ今度からは贔屓にしてくれよ?」


「ああ、分かってるって。あ、ほら温泉施設が見えて来たぞ。」


そこは紅葉の木々に囲まれた、隠れ家的な日本庭園づくりの温泉施設だった。


「へえ〜中々良さそうな場所じゃないか・・・」


航は周囲の景色を見ながら言った。


「ああ、ここの露天風呂は庭園が見事で・・・最高だ。3時間もあればゆっくりできるだろう?」


琢磨は駐車場に車を入れながら言った。


「ああ、そうだな。」


航は笑みを浮かべながら返事をした。


そして2人の男は車から降りると温泉施設へと向かった―。


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