9-16 前兆
寝不足ではあったが、明日からの仕事を楽にして朱莉と2人で沖縄観光をする為に航は仕事を頑張った。そして対象者を尾行し続け、ついに浮気の決定的瞬間を動画に収める事に成功したのだ。
カメラをリュックにしまいながら航は言った。
「よし、この証拠映像があれば依頼主は確実に有利な条件で離婚する事が出来るだろう。」
独り言のように小さく呟くと、周辺を伺いながら身を隠していた茂みの中から出てきた。
空を見上げると大分太陽は西に沈み、沖縄の空がオレンジ色に変化している。
「よし、帰るか。」
航はリュックの中に機材をしまうとその場を後にした―。
朱莉は家で夜ご飯の食事の準備をしていた。
今日のメニューはキーマカレー。今朝の航は元気が無かった。ひょっとすると航は夏バテをしているのでは無いかと朱莉は思い、ネットで夏バテに効く料理が無いか調べた所、辛みのある料理が良いと書かれていたからだ。
(航君は・・・好き嫌いが無いって言ってたから、きっとこれも食べられるよね。)
フライパンで煮込んでいる間にサラダの準備をしていた時の事。
朱莉の個人用スマホに着信を知らせるメッセージが入って来た。
(誰からだろう?航君かな?)
朱莉はスマホを手に取り、その着信相手を見て驚きのあまりスマホを取り落しそうになった。
相手は何と京極からである。
(京極さん・・・ど、どうして・・・?絵葉書は昨日投函したばかりだから届いているはずは無いし・・。)
しかし、相手は何と言ってもあの京極である。朱莉は緊張しながらスマホをタップしてメッセージを表示させた。
『こんにちは、朱莉さん。沖縄の暮らしはどうですか?海に行って日焼けとかはしていませんか?ビッグニュースがあります。今はまだ言えませんが・・・待っていて下さいね。』
メッセージの内容はたったこれだけである。
「ビッグニュース・・・待っていて下さい・・・?」
朱莉はメッセージを読み返し、思った。
(京極さん・・・こんな意味深な書き方をされると・・・不安な気持ちになってしまいます・・・。)
朱莉は溜息をつきながら思った。きっと今メールでビッグニュースとは何かを尋ねても・・・あの京極の事だ。はぐらかして答えてはくれないだろう。
朱莉はすぐに返信をする事にした。
『はい、お待ちしています。』
それだけ書いて、メッセージを送信した。それ以外に何を書けばよいのか朱莉には見当がつかなかった—。
18時半―
「ただいま!朱莉!」
航が上機嫌で帰って来たので朱莉は玄関まで迎えに出てきた。
「お帰りさない。航君。何だか機嫌が良さそうだね?」
「おうっ!あたりまえだっ!今日で大方仕事の目途が付いたからな。と言う訳で・・朱莉、明日からは自由な時間が取れるぞっ!まあ・・・・合間合間の時間に少し仕事をしなければならないが・・・大して時間はかからないから問題ない。」
「本当?航君。フフフ・・・航君と2人でお出掛けか・・・嬉しいな。」
朱莉は口元で手を重ねて嬉しそうに笑っている。
「朱莉・・・・。」
そんな様子の朱莉を見て航は思った。
(だ、だからっ!俺に勘違いさせる態度・・・頼むから取らないでくれっ!)
恐らく、今の航なら朱莉が契約婚という形で翔を夫に持っていなければ・・・迷わず告白していただろう。だが悲しい事に朱莉は書類上とは言え、人妻である。
興信所で調査員として働いているからこそ・・・航は良く分かっていた。
結婚している相手に思いを寄せると言う事が・・・どれ程多くの代償を支払わなければならないのかと言う事を。
航は髪を茶髪に染めている為、外見は軽そうな男に見えるかもしれないが、見た目とは裏腹に、航は真面目で実直な性格なのであった。
航は自分の思いを振り切るように、両手を強く握りしめるとわざと大きな声で言った。
「ん?何だかいい匂いがするな?今夜はカレーか?」
「うん。カレーといってもね、キーマカレーなの。好き?」
好きと言う言葉だけで動揺しながら航は答えた。
「い、いや・・・。好きも嫌いも無い。だって食べた事無いしな。」
「そうなの?航君の口に合えばいいけどなあ・・。それじゃお風呂に入ってきたら?その間に食事の準備をしているから。」
「いつも悪いな、朱莉。」
航が朱莉の前をすり抜けて部屋へ戻ろうとした時、不意に朱莉が声を掛けて来た。
「航君。」
「何だ?」
「もうバスルームに航君の着替え、用意してあるから。」
「な・な・何だってっ?!」
思わず目を白黒させる航。
「うん、だって・・・今日航君の衣類・・・全部洗濯したから。」
「あ、ああ・・。成程、そ、そう言う訳か・・・。それじゃ・・風呂入って来る・・。」
そして航は逃げるようにバスルームへと向かった。
朱莉はそんな航の背中を見ながら溜息をついた。本当なら・・・航に京極の事で相談に乗って貰いたいと思っていた。あのメッセージの意味・・・朱莉には分からないが、航なら何か分かるのでは無いかと思ったのだが・・・どうしてもいざとなると航に相談してはいけない気がして・・・。結局朱莉は自分の胸の中で抱え込むことにしたのであった—。
朱莉と航は向かい合わせで食事を取っていた。航はキーマカレーが余程気に入ったのか、既に2杯目を食べている。そして朱莉に言った。
「朱莉。明日だけど・・・何時にここを出ようか?」
「私は・・・別に何時でも構わないよ。でも、出来れば・・・ゆっくり水族館の中を見たいな・・・。あ、あのね・・航君笑わないで聞いてくれる?」
朱莉は恥ずかしそうに俯くと言った。
「何だ?遠慮せずに言えよ。別に笑ったりしないから。」
「本当?それじゃ言うけど・・実は私・・この年になっても、まだ一度も水族館て行った事が無くて・・・。」
「え?そうなのか?それじゃ・・・俺と明日行くのが初めてなのか?」
それを聞いた航は自分が情けないほど、口元が緩んでしまった。
「あ・・・やっぱり笑ってる?」
朱莉が上目遣いで航を見たので慌てて言った。
「い、いや。違うって。そうじゃないんだ。ただ・・・朱莉の初めての相手が俺だって事が嬉しくて・・・。」
航は言いかけて、途中でとんでもない発言をしてしまった事に気が付いた。
(し、しまった・・・・っ!マ、マズイ。今の言い方・・・捕らえようによっては・・俺、恐ろしい事を口走ってしまったぞっ?!)
そして恐る恐る朱莉を見る。けれど朱莉は何を考えているのか、美味しそうにキーマカレーを食べ続けている。
(よ、良かった・・・朱莉が・・・極端に鈍い女のお陰で助かった・・。)
航は心の中で安堵し、明日のスケジュールを頭の中で考えた。
美ら海水族館の開始時間は8:30からである。
(開始時間に合わせていくと6時には出た方がいいかもしれないけど、それだと早すぎだからな・・・。)
「よし、朱莉。明日は9時に出よう。ちょっと出るには遅い時間かもしれないが、別に明日は水族館だけいけばいい話だからな。他の場所はまた翌日に行こう。」
航の言葉に朱莉は笑みを浮かべて頷いた―。
そして、日付が変わって翌日の朝―。
朱莉は夜の内に洗濯を済ませておいた朱莉はベランダに洗濯物を干していると、航が部屋から出てきた。
「おはよう、航君。サンドイッチを作ったから一緒に食べよう。」
「ええっ?忙しくなかったか?朝っぱらからサンドイッチを作るなんて・・・。」
航は驚きを隠せずに言った。
「そんな事無いよ。意外と簡単なんだから。さ、食べよ。」
朱莉が用意したサンドイッチは卵サンドに、ハムレタスサンド、そしてツナサンドだった。
そしてそれを野菜ジュースと一緒に食べる。
「うん、朱莉は本当に料理が上手だよな。」
航はサンドイッチを口にしながら言う。
「本当?ありがとう。」
今朝の朱莉はいつも以上に幸せだった。
(フフ・・・航君と水族館・・・楽しみだな・・・。)
「朱莉、運転は俺がするから、今車を前に持って来るまで、ここで待ってろよ。」
エントランスで航が朱莉に声を掛けた。
「本当?いいの・・・?運転お願いして・・・。」
朱莉は申し訳なさそうに言う。
「何言ってるんだよ、普通こういう時は男が運転するもんなんだよ。それに言っただろう?俺は運転が好きだって。」
航は笑顔で言う。
「う、うん・・・それじゃ運転お願い・・・。」
朱莉は航に車のキーを渡した、。
「よし、それじゃ待ってろ、朱莉。」
そして航は駐車場へと向かって歩いて行った。
朱莉はエントランスに立って、航が来るのを待ってると、突然背後から声を掛けられた。
「朱莉さん。」
(え・・・?その声は・・?)
驚いて朱莉が振り向くと、何とそこに立っていたのは京極であった。
「え・・・・?京極・・さん・・?」
朱莉は信じられない思いで京極を見た。そして丁度その時、航が車でエントランスに到着すると、降りてきて朱莉に声を掛けた。
「朱莉、お待たせっ!」
すると、京極が険しい目つきで航を見た。
「朱莉・・・?」
「!」
(京極・・・正人・・・っ!な、何故沖縄に・・・っ?!)
航と京極が鋭い視線で睨み合う姿を朱莉は呆然とした気持ちで見つめていた—。
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