6-3 月光の下で
早いもので季節は4月の月末。明日からゴールデンウィークに入ろうとしている。
あの3月14日のホワイト・デーの夜・・・・琢磨は人生で最も屈辱的な気持ちを味わい、それ以来朱莉と会うことも、連絡を取り合う事もすっかり無くなっていた。
最も朱莉と連絡を取り合う事が無くなった理由の一番の要因は翔と朱莉が直接連絡を取り合うようになっていたからだ。
2人が連絡を取り合えるようになった理由は明日香の方も最近は朱莉との連絡に対して翔や朱莉に文句を言う事が無くなったからである。これも偏にカウンセラーのお陰ともいえる。
「それで・・・明日から明日香ちゃんと旅行に行くって言う訳か。何所へ行くんだっけ?」
昼の休憩時間、琢磨はケバブサンドを食べながら翔に尋ねた。
「ああ、明日香の希望で沖縄と与論島に行くことにしたんだ。」
翔はキーマカレーを食べている。
「珍しいな・・・いつもなら毎年大体海外に行っているだろう?一体何があったんだ?」
「いや・・・実は・・明日香に・・子供がまた出来たんだ・・・。」
翔は照れながら言った。
「何だって?!朱莉さんは・・・朱莉さんはその事を知ってるのか?!」
琢磨は険しい顔つきで言った。
「いや・・・まだだが・・。実は今夜・・報告しようと思ってるんだ。」
「そうか・・・今回は・・・大丈夫なんだろうな?」
「ああ、もう明日香は精神も大分安定してきたし、3カ月以上精神安定剤を服用もしていない。・・・だから今度こそ・・・間違いはない・・・だろう。」
翔はためらいながらも断言した。
「大体・・・明日香ちゃんが子供を産むのはまだ無理だと以前お前は言っていたじゃないか?それがどういう風の吹き回しなんだ?今は・・子供の誕生を何だか待ち望んでいるようにも聞こえるぞ?」
食事を終えた琢磨はコーヒーを飲みながら言った。
「ああ・・それなんだが・・・。」
翔が言いよどむ。
「何だよ、はっきり言えよ。」
「そうだよな、隠していてもしようがない。実は・・・祖父から言われていたんだ。」
「言われていたって・・・何を?」
「その・・・いつになったらひ孫の顔が見れるんだ?って・・・。」
ひ孫の顔・・・・。
その言葉にピクリと琢磨は反応する。
「だから・・・今回明日香が再び妊娠したのは・・・丁度・・タイミングが良いと言うか・・。」
「おい・・・翔。それで明日香ちゃんの妊娠中はどうするんだ?ずっとあの億ションんに住んでるのか?それに朱莉さんはどうする?お前の計画では明日香ちゃんが妊娠した場合は朱莉さんにも妊婦の真似事をさせるつもりだったよな?どうするんだ?お腹に詰め物でもさせて・・マタニティ服を着せるつもりなのか?」
「・・・。」
「翔っ!黙っていないで答えろよっ!」
「そのつもりだったんだが・・・ごまかせないだろうか・・?」
「馬鹿かっ!お前は・・・本当にそれで周囲の目をごまかせるとでも思っているのか?俺は・・・不可能だと思うぞ?」
琢磨は吐き捨てるように言った。
「そ、それじゃ・・お前ならどうすればいいと思う?」
翔は動揺しながら、琢磨に尋ねた。
「それを・・・この俺に聞くのか?」
琢磨は恨めしそうな目で翔を見ると言った。
「あ?ああ・・・。」
(何故だ?何故・・・琢磨はこんなにむきになっているんだ?)
翔には琢磨の気持ちが分からなかった。だが、それは無理もない話だった。
何故なら琢磨自身が自分で自分の心の内が分からなくなっていたからだった。
「俺だったら・・・明日香ちゃんと朱莉さんをここから別の場所に移して・・出産するまではそこで暮らしてもらう・・かな・・・。妊娠中は別の場所で過ごすって形を取れば、わざわざ朱莉さんにしたって・・・妊婦の恰好をする必要は無いんだからな。」
言いながら、琢磨は胸を痛めていた。
(俺は・・・最低だ・・・。明日香ちゃんが産む子供を・・あたかも朱莉さんが出産するように見せかけるために・・こんな手段を考えつくなんて・・・。)
しかし、当の翔は琢磨の心情を知ってか知らずか納得した素振りを見せた。
「うん、そうだな・・・それが最もいい方法かもしれない。うん・・・何所か明日香が妊娠期間中、穏やかに暮らせるような場所を・・・出来れば朱莉さんにも明日香の妊娠期間中は近くに住んでもらって・・・・。」
もう翔は自分の中で計画を立て始めていた。
「おい・・お前、まさか・・・朱莉さんと明日香ちゃんを同じ家に住まわせるつもりか?」
「駄目か?」
「駄目だっ!いくら何でも・・・それだけはこの俺が許さないぞっ!大体・・・良く言われてるじゃないか。妊娠期間中は・・・ホルモンバランスが崩れてイライラしやすくなるとか・・・その苛立ちを明日香ちゃんが朱莉さんにぶつけたらどうするんだ?せめて・・・近所でも構わないから・・一緒には暮らさせるな。明日香ちゃんの面倒なら・・家政婦を現地で雇えばいいだろう?」
言いながら琢磨は心の中で自分自身をなじっていた。
(くそっ!こうやって俺は・・・明日香ちゃんと翔の・・・片棒を担いでいく事になるのか・・・。これじゃ・・ますます朱莉さんとの距離が・・・離れて行ってしまうな・・・。)
翔は琢磨の顔色が悪いことに気が付き、声を掛けてきた。
「大丈夫か・・・?琢磨。何だか・・・随分顔色が悪いようだが・・?」
「い、いや・・何でもない。俺の事は気にするな。朱莉さんに・・・明日香ちゃんの妊娠の事を告げるときは・・・・翔、お前から告げてやれよ。」
琢磨は翔の肩にポンと手を置くと言った。
「あ、ああ・・・。分かったよ。」
「さて、それじゃ仕事再開するか。」
琢磨は立ち上がると自分のデスクに向かい、PCの操作を始めた―。
その日の夜―
朱莉がお風呂からあがって来ると、翔との連絡用スマホにメッセージが届いている事に気が付いた。
「あ・・・翔先輩からだ。」
朱莉の顔に自然と笑みが浮かぶ。
翔とのメッセージのやり取りはいつも業務連絡のように単調なものだったが、それすらも朱莉にとっては嬉しかった。
今夜はどんなメッセージなんだろう・・・・・。
胸を躍らせて、スマホのメッセージを開いた。
『朱莉さん。明日香がまた妊娠したよ。今妊娠4ヶ月に入ったところで、今回は前回のように異常は見つかっていない。多分今回は出産まで出来ると思う。ゴールデンウィーク明けにまた詳しい話をさせて貰うよ。それでは朱莉さん、良い休暇を送ってくれ。』
明日香さんが・・・・また妊娠・・・・・。朱莉の脳裏に前回の苦い記憶がよみがえって来る。
突然明日香が体調を崩し・・・病院に運ばれ後に翔から投げつけられた心無い言葉。
「翔先輩・・・。もう・・前のような事には・・なりませんよね・・・?」
言いながら、朱莉の目にはいつしか涙が溜まり・・気付けば声を殺して泣いていた。
自分の恋する男性が・・・他の女性との間に子供が出来ると言う話は・・何度聞いてもやはり朱莉には辛かった。
自分でも未練がましいと思ってはいるが・・・朱莉は未だに翔に対する恋心を捨てきれずにいた。そして、そんな自分が嫌でたまらなかった。
今だけは・・・今だけは・・・泣きたいだけ泣いてしまおう。
これからは嫌でも明日香のお腹が大きくなっていく姿を見ていかなければならないのだから。
2人の前で・・泣かないように・・・今のうちに涙が枯れて無くなるほどに・・・。
朱莉は月夜の下でいつまでも泣き続けるのだった―。
一方、琢磨は1人マンションのベランダで月を眺めながら缶ビールを飲んでいた。
(朱莉さん・・・大丈夫だろうか・・・?)
恐らく翔は朱莉に明日香の妊娠を告げたに違いない。それを聞かされた時の朱莉の事を考えると気の毒でたまらなかった。
だが・・・・。
(ごめん。朱莉さん・・・俺には君を慰める資格が無いんだ・・・。)
そして琢磨は深いため息をつくのだった―。
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