3-6 特別個室での3人
翔は自宅から入院に必要な荷物や保険証を用意すると、すぐに朱莉から教えて貰った明日香の入院先の病院へと向かった。
病院に到着したのは午後6時過ぎ。翔は急いで明日香が入院しているナースステーションへ向かうと面会手続きを済ませ、明日香が入院している701号室へと向かった。
701号室はこの病院の特別室となっていた。
「朱莉さん・・・!」
すると701号室の廊下に置かれたパイプ椅子に朱莉が座って通信教育の勉強をしている姿が目に飛び込んできた。
「あ、翔・・・さん。お待ちしておりました。」
朱莉は立ち上がると頭を下げた。
「朱莉さん。今日は・・・本当にありがとう。貴女のお陰で明日香が大ごとにならずに済んだよ。本当に感謝している。」
「いえ・・・私は明日香さんからメッセージを貰って・・・それで倒れている明日香さんを発見して救急車を呼んだだけですから・・。」
「それで・・・何故廊下にいるんですか?中へは・・・。」
そこまで言いかけて翔は言葉を飲み込んだ。ひょっとすると・・・朱莉さん自身が病室に入るのを拒んでいるのか、それとも明日香に拒絶されたか・・・。どちらかなのだろう。
「それでは、翔さんもいらした事ですし、私は失礼しますね。」
朱莉は立ち上がるとテキストをカバンにしまいながら言った。
「ま、待ってくれ。朱莉さん!明日香は・・・もう目が覚めてるのか?」
「はい。看護師さんの話では1時間ほど前に意識を取り戻したそうですよ?」
「なら・・なら一緒に中へ入ろう!明日香に礼を言わせるから・・・!」
「え?で、でもあの・・・。」
朱莉は動揺しているが、翔は思った。
何。明日香は朱莉さんに自ら助けを求めたんだ。今なら・・・2人は少し歩み寄れるチャンスかもしれない。
「さあ、一緒に病室へ入ろう。」
翔は朱莉の右手首を掴むと明日香の病室のドアを開けた。
「明日香!もう具合が良くなったんだってな?」
翔は笑顔で明日香の病室へと入って行く。
「翔!遅かったじゃない・・・っ!って朱莉さん!貴女・・・翔と何やってるのよ!」
明日香の鋭い声が朱莉に向かって飛んでくる。
「す、すみません。」
朱莉がビクリとなって翔に掴まれ散る右手を引こうとした。その時になって翔は自分が朱莉の手首を握りしめていたことに気が付いた。
まずい!
翔は慌てて朱莉の手首を離すと言った。
「違う!明日香、今のは誤解だ。俺が勝手に朱莉さんの手首を掴んでいたんだ。」
そして慌てて明日香に近付く。
「明日香。朱莉さんに礼は伝えたのか?」
すると明日香はそれには答えずに、翔の首に腕を巻き付けると言った。
「ねえ・・・今夜、1人でこの病室に入院するのは嫌だわ。翔もこの病室に泊ってよ。この病室は特別室なんだから・・・付き添いする人の為に・・・ベッドだって用意されているのよ?」
確かにこの病室は広かった。
部屋の広さは30㎡、バスルーム完備で、応接セットまである。そして付き添い人用の立派なソファベッドまで完備されている。
「確かに・・宿泊する事は出来るが・・・着替えの問題もあるし・・。」
「あら、着替えなんか大丈夫でしょう?だってオフィスにシャワールームもスーツだって用意してあるじゃないの?」
明日香は朱莉の前だというのに、翔に抱き付いたまま離れない。
「・・・・。」
朱莉はそんな2人から視線を逸らし、居心地が悪そうに佇んでいる。そして、翔は朱莉の様子に気付くと、明日香の両腕から逃れると言った。
「明日香、そんな事よりもまず最初に言うべき事があるだろう?朱莉さんに助けを求めたのは明日香自身なんだから、ちゃんと礼を伝えないと。」
「!」
明日香は一瞬眉を吊り上げたが・・・朱莉の方を向くと言った。
「・・・ありがとう、朱莉さん。色々とお世話になって・・・後で謝礼金としてお金を振り込んでおくわ。」
冷たい声で言う。
「いえ、私は別にお金の為では無く・・・。」
言いかけたが、明日香にぴしゃりと言われた。
「貴女ねえ・・・。こういう場合はしのごの言わずに黙って受け取るのよ。何?それともお金以外に何か下心でもあったのかしら?」
「おい、明日香・・・!」
翔は明日香を咎めようとしたが、明日香が憎悪の込めた目で朱莉を見つめていたので、何も言う事が出来なかった。
駄目だ。・・俺が朱莉さんを庇い建てするとますます彼女の立場が不利に・・・!
「あ・・明日香さん・・・。謝礼金・・・ありがたく受け取らせて頂きます。」
朱莉は消え入りそうな声で明日香に礼を述べた。
「そうそう、最初から素直にお金を受けとると言ってれば良かったのよ。」
「はい、それでは私は今夜はここで失礼します。」
朱莉は頭を下げて部屋を出て行こうとした。
「俺が車で送るよ。」
翔がそう言った時、突如として明日香がジロリと翔を睨み付けた。
「何ですって・・・?朱莉さんを送るって言ったのかしら?」
「あ、ああ・・・・。車で病院迄来ているから。彼女を自宅まで送れば、俺も着替えを持って来れるだろう?」
すると明日香が目に涙を浮かべると言った。
「酷い・・・翔・・・。」
「え?どうしたんだ?明日香・・・・。」
「こっちは自宅で意識を無くして病院に運ばれて入院したって言うのに・・・翔はそんな私を放って朱莉さんを自宅まで送るって言うの?!」
「い、いや・・・。でも・・ほら、大分外も薄暗くなってきているし・・・。」
「薄暗いって言ったってまだ7時にもならないでしょう?!子供じゃないんだから朱莉さんは1人で帰れるわよっ!ねえ・・・・心細いのよ、翔。何処にも行かないでよっ!」
そして明日香は翔に縋りついて来た。
「明日香・・・・。」
翔は明日香の髪を撫でながら朱莉を見た。
朱莉は・・・悲しそうな顔で2人を見ていたが、言った。
「あの、私の事なら大丈夫です。1人で帰れますので、どうか気になさらないで下さい。それでは明日香さん、どうぞお大事にして下さい。」
朱莉は頭を下げると、翔の返事も聞かずに足早に部屋を立ち去って行った。
(朱莉さん・・・。)
翔の脳裏には先程朱莉が見せた悲し気な顔がいつまでも残っていた・・・。
朱莉は美しい光に照らし出されたビル群の間を口を結んで黙って歩いていた。
電車に乗っている時も下唇を噛み締めていた。億ションに向かって歩いている時は数学の公式を頭の中で唱えていた。
そして、エレベーターに乗り込み、自宅の部屋の鍵を開けて室内へ入ってから、初めて朱莉はきつく閉じていた口の力を緩めると・・・。
「ふ・・・・・。」
朱莉の口からは言葉にならない嗚咽がもれる。
後から後から涙が頬を伝ってゆくのを拭いもせずに、朱莉は真っ暗な部屋で壁に寄りかかり、天上を見つめていた。
駄目よ、朱莉。こんな事位で泣いていたら・・・この先6年間、耐えていけるの?
もっと何も感じないように・・心を無にしないと。
「翔先輩・・・・。」
いっそ先輩の事を嫌いになれたらいいのに・・・。
けれど朱莉には高校時代、自分に向けてくれた翔の優しい笑顔が8年経っても忘れる事が出来ずにいた。
自分でも馬鹿だと思う。だけど・・・。
「翔先輩の役に立てるなら・・・私は・・・。」
そうだ。いずれ明日香は翔との間の子供を産むことになるだろう。彼等は子供が生まれたら朱莉に子育てをするように契約書には書かれている。
だから・・・自分が6年間の契約婚が終了すまでは・・・愛を持ってその子を育てよう。そうすれば自分の心の隙間も埋める事が出来るかもしれない・・・。
ただ・・・その後は確実に辛い別れがやって来る。
明日香さんにはなるべく婚姻期間の1年前位に子供を産んでもらえたら・・・。
そうしたら、その子が私との記憶を覚える事も無く、分かれた後に悲しい思いをさせなくても済むのに・・・。
朱莉はそう、心の中で祈るのだった—。
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