1-11 嫌がらせ
この日―
朱莉は朝目覚めた時からウキウキしていた。何故なら今日は翔と2人で一緒に食事に出かけることになっていたからだ。
きっと・・・鳴海さんの事だから一流のレストランで食事をしに行くに決まっているだろう。となると・・・朱莉は広々としたクローゼットを開けた。
しかし・・・そこには数着のスーツと随分以前に購入したワンピース2着のみだった。とても翔と2人で出掛けて食事に行けるような服装ではない。
朱莉はまだ自分たちが裕福だった時代を思い出してみた。
朱莉の父は中々のグルメ通で、特にフランス料理には目が無かった。毎週末には必ずと言っていいほど、父と母の親子3人で様々な一流どころのフランス料理店に足を運んでいた。
その時に母が着用していた服・・・。少しだけウェスト周りがゆったりとしたエレガントな色合いの少し濃い膝下丈のワンピースにあまりヒールのないパンプスを掃いていたことを思い出した。
お母さん・・・・確かネックレスとイヤリングもしていたよね・・・。
鳴海さんに恥をかかせない為にも・・思い切って買い物してこようかな・・・?
朱莉は初めてブラックカードを手に取った。
緊張する・・・。こんなすごいカードを持って買い物に行くなんて・・・。
一番自分が持っている服の中でまともな外出着に着替えた朱莉は自分のショルダーバッグを手に取った時に気が付いた。
そうだ!バッグ・・・バッグも靴も必要だ。・・・・でもそんなに買って・・鳴海さんにお金遣いの荒い女だと思われたりしないかな・・・?
だけど・・・・。
どうせ鳴海にはお金目当てで契約結婚にサインをした女だと思われてるに違いないので今更取り繕っても無意味だろう。
そう思った朱莉はショルダーバックにブラックカードが入った財布を入れて、部屋を後にした―。
朱莉が今住んでいる六本木の億ションは高層ビル街に囲まれている。
周辺にはデパートもあるので、朱莉は一番手近なデパートの中へと入って行った。
久しぶりにデパートへとやって来た朱莉はそのきらびやかな連なる店を見て感動していた。・・・そしてまだ自分がお嬢様として優雅に暮らしていた時代を少しだけ思い出す。
そういえば、中学生の時まではよくお母さんとデパートに買い物に来ていたっけ・・・・。
早く母に元気になってもらいたい。そうしたら母とまた二人でデパートで買い物をして、何か素敵な洋服を買ってあげて母の喜ぶ顔が見てみたい・・・。
そう思いつつ、ブティックを見て回っていると、朱莉好みの店を見つけたので、早速店舗の中へと入って行った・・・・。
それから約1時間後、店員のアドバイスを聞きながら朱莉はモスグリーンのAラインのワンピースドレスに、ショルダーバック、パンプスの一式を買い、次にアクセサリーショップへと向かった。
そこでも店員のアドバイスを受けてイヤリングとネックレスを購入した際にアドバイスを受けた。
「お客様は目鼻立ちがはっきりとしたお顔をしているので、あまり濃い色のフレームではない眼鏡の方がお似合いでよ。」
と言われた。
「は、はあ・・・。」
朱莉はうやむやに返事をした。この眼鏡は本当は伊達眼鏡ですよ・・・とはいいだせなくなってしまった。
どうしよう・・・。眼鏡・・・外していこうかな?でも、鳴海さんとはまだ1度しか会っていないから・・・今日は眼鏡をかけていこう。
朱莉が家へ帰って来たのは午後1時を過ぎていた。
お昼はいつもはパンやシリアルを食べていたのだが、今日は特別。
デパートでおいしそうなテイクアウトのランチボックスを見つけて、それを買ってきたのだ。
トロトロの卵にデミグラスソースのかかったオムライス。
早速蓋を開けて見てスプーンで口に運び、その美味しさに驚いた。
朱莉は高校を中退後は仕事に明け暮れる日々でずっと外食とも無縁の生活をしていたので、久々に高級な食事をした気持ちになっていた。
でも・・・・。
「いけない。いけない。今夜はきっとすごいレストランで食事になるのだろうから・・この程度では驚かないようにしておかないと。」
そして昼食を済ませた朱莉はPCへと向かった。
今日から本格的に通信教育の高校生活が始まるのだ。朱莉は真剣な様子で画面を食い入るように見つめ、勉強を進めた。
夕方の6時。
朱莉は本日買ってきたワンピースに、アクセサリーを身に着けた。
こうしてみると・・・なかなかのセレブ女性に見えてくるから不思議なものだ。
不慣れな手でメイクをして朱莉は億ションを出た。
目指すは同じ六本木にある鳴海のオフィスである―。
「明日香、彼女にはフランス料理店に行くとは伝えていないんだが・・・良かったのか?」
ここは鳴海のオフィスである。
明日香はソファに座りながらコーヒーを飲んでいたが、顔を上げた。
「あら。いいのよ。だってサプライズだもの。」
明日香の着ているワンピースは一流デザイナーのデザインした特注のワンピースで濃紺のフレアードレスである。
「明日香・・・今日のフレンチの店はドレスコードが指定されているだろう?どうするんだ?彼女が・・・それにそぐわない服でやって来た場合は?」
翔は眉をしかめながら言う。
「あら、それなら仕方ないじゃない。朱莉さんには帰ってもらって、私と2人で中へ入りましょうよ。」
明日香は何所か意地悪そうな笑みを浮かべると言った。
「しかし・・・。」
翔が言いかけると明日香が口を挟んできた。
「だいたい、レストランに食事に行くって時にちゃんとした格好をしてこれないならそれこそ社長夫人失格だと思わない?」
「あ、ああ・・・・。ま、まあそれもそうだが・・・・。」
そんな二人の会話を同じ部屋にいた琢磨はうんざりした表情で聞いていた。
全く・・・明日香ちゃんは本当に意地が悪いな・・・。大体翔もなんだ?一体どっちの味方なんだ?お前のわがままで契約結婚に応じた朱莉さんをもっと尊重してやればいいのに・・・・。
思わずため息をつくと、すかさず明日香から非難の声が上がった。
「あら。何よ、琢磨。何か文句があるの?」
「いいえ、とんでもありませんよ。それより・・・お二人とも、そろそろ時間だよ。朱莉さん・・・もう来ているんじゃないか?」
「あら、そうね。それじゃ・・・翔。行きましょうか?」
明日香は楽しそうな笑みを浮かべるが・・・・その後、表情が凍り付くのだった。
ビルの正面玄関にはすでに朱里が待っていた。
翔と明日香は朱莉の姿を見て驚いた。
上品なワンピースに、良く映えるアクセサリー。バックも靴もすべてが今の朱莉には良く似合っていた。
「こんばんは。鳴海さん。明日香さん。」
朱莉は丁寧に頭を下げた。
「やあ、こんばんは。久しぶりだね。・・・うん。良く似合ってるよ。」
翔は明日香の突き刺すような視線を感じつつ、自分が思ったことを素直に述べた。
一方、面白くないのは明日香の方である。
何ななの?あの子・・・。私が居ても顔色一つ変えないし、しかもフレンチなんて一言も言っていないのに、ドレスコードを守っているし・・・・。
おまけに朱莉のワンピースは・・・それこそ明日香のような一流デザイナーのデザインしたドレスでは無かったが・・・悔しいほどによく似合っていたのである。
だけど・・明日香は思った。
そんな風にしていられるのも今の内よ。どうせ貴女のような庶民にはフレンチレストランのマナーなんか知りっこ無いでしょうからね。
其の後、3人がやって来たのは一流ホテルの中にあるフレンチレストランだった。
明日香はここで朱莉の鼻を明かせると思ったのだが・・・朱莉は完璧なマナーで食事を堪能している姿を見て・・ますます苛立ちを募らせる事になるのだった。
そのホテルの帰り道・・・朱莉によってすっかり気分を害した明日香はせめてもの嫌がらせにと思い、翔の腕に自分の腕を絡めて自宅まで帰ってきた。
翔はエレベーターに乗ると、それぞれ19Fと20Fの番号を押して3人で乗り込んだ。
「本日は素敵な御馳走をどうもありがとうございました。」
朱莉はエレベーターに乗り込むと改めて二人に礼を述べた。
「あら、感謝するなら私だけにしてくれる?私があのフレンチを予約したんだから。普通じゃ予約することだって難しいレストランなんだからね?」
ジロリと睨み付けるように明日香は言ったが・・・翔にはそれを止める術は無かった。
しかし朱莉は笑顔で改めて明日香に礼を述べたのである。
「ありがとうございました。明日香さん。明日香さんのおかげでとてもおいしいお料理を頂く事が出来ました。」
すると、丁度その時、エレベーターが開いた。
「そ、それじゃお休み。」
翔は明日香と腕を組んでエレベーターを降りた。
「はい、おやすみなさい。」
朱莉は頭を下げたが・・顔を上げた時、朱莉が悲しそうな顔をしているのを扉が閉まる瞬間翔は見た。
朱莉さん・・・。
その時、翔は初めて朱莉に対して少しだけ罪悪感を持つのだった―。
「ただいま・・・。」
誰も出迎えることもない、広い家に帰ってくると、朱莉は溜息をついた。
何となく、明日香が来るのではないかと思って予想していたが・・本当に来るとは思ってもいなかった。あの場で動揺しなかった自分を褒めてあげたいくらいだと感じた。
でも・・・念の為に正装をして本当に良かった・・・。
これも亡くなった父や母のおかげだろう。
朱莉は胸を撫で下ろすのだった―。
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