1-2 契約
「あ、あの・・・この契約書に書かれている子供が出来た場合と言うのは‥‥?」
朱莉は声を震わせながら翔に尋ねた。
「何だ、そんな事いちいち君に説明しなければならないのか?決まっているだろう?俺と彼女との間に子供が出来た場合だ。当然、俺と彼女との結婚は周囲から認めて貰えていない。そんな状態で子供が出来たらまずいだろう?その為にも偽装妻が必要なんだよ。」
面倒臭そうに答える翔。
偽装妻・・・・この言葉はさらに朱莉を傷つけた。仮にも初恋で忘れられずにいた男性からこのような言葉を投げつけられるなんて・・・。しかも相手は履歴書でどこの高校に通っていたか、名前すら知っているというのに・・・。
(鳴海先輩・・・私の事まるきり覚えていなかったんだ・・・。)
悲しくて鼻の奥がツンとなって思わず涙が出そうになるのを数字を数えて必死に耐える。大丈夫・・・大丈夫・・・。私はもっと辛い経験をしてきたのだから。
「あの・・・社長と恋人との間に子供が出来た場合、出産するまでは外部との連絡を絶つ事とあるのは・・・。」
「ああ、そんなのは決まっているだろう。君が妊娠した事にして貰う為さ。」
翔は面倒臭いと言わんばかりに髪をかき上げた。
そ・そんな・・・!
「社・・社長!幾ら何でもそれは無理過ぎるのでは・・・?!」
思わず朱莉は大きな声をあげてしまった。
「別に無理な事は無いだろう?君がその間親しい人達と会いさえしなければいいんだ。直接会わなければ連絡を取り合ったって構わない。勿論・・・その際は妊娠していないことがばれないようしてくれ。それは・・君の為でもあるんだ。」
翔の言葉を朱莉は信じられない思いで聞いていた。本当に・・・本当に私の為なんですか・・・?
今、目の前にいるこの人は私を1人の人間として見てくれていない。
本当の彼は・・こんなにも冷たい人だったのだろうか・・?
一方の翔はまるで自分を責めるような目つきの朱莉をうんざりする思いで見ていた。
(何なんだよ・・・この女は・・・。だから破格の金額を提示してやってるのに・・・。それとももっと金が欲しいのか・・・?全く強欲な女だ・・・。)
翔が軽蔑しきった目で自分を見ているのが良く分かった。
この人と偽装結婚をすれば、お金に困る事は無いだろう。母にだって最新の治療を受けさせてあげる事が出来るのだ。
この生活も・・長くても6年と言っていた。6年我慢すれば・・・その間に母だって具合が良くなって退院できるかもしれない。お金もたまって・・・2人で暮せるマンションだって買えるかもしれないのだ。
それに・・朱莉は子供が好きだった。一時は保育士になりたいとも思っていた。ただ・・・保育士になる為の学校へ通うお金が無かったから・・・・夢を諦めてしまった。やがて生まれてくるかもしれない鳴海と恋人の子供を自分で育てる・・・。それも・・・ありなのかもしれない。
「わ・・分かりました。このお話・・・謹んでお受け致します。」
朱莉は頭を下げた。
「ああ、良かった。やっと納得してくれたんだね?ありがとう、助かるよ。」
笑顔で言いながらも内心、鳴海は朱莉に毒を吐いていた。
(全く・・・どうせ引き受けるならもっと早くに返事をすればいいもを・・・!)
「じゃあ、早速契約書にサインを書いて貰えるかな?」
相手の気が変わらない内にさっさとサインを書かせないと・・・。
翔は気が気では無かったが、その心配は稀有だった。朱莉は素直に契約書にサインをしたのである。
「あの、それでいつから偽装結婚を始めるのでしょうか?」
朱莉の質問に鳴海は少し考えて口を開いた。
「よし、まずは互いのプロフィールを交換し合おう。どんな内容のプロフィールが最低限必要なのか調べ上げて、ピックアップをして、アンケート形式で君のアドレスに送るようにしよう。それじゃ。連絡先を今すぐ交換させてくれ。」
「はい。」
朱莉がスマホを取り出そうとした時・・・。
「あ、ちょっと待ってくれ。君が個人で使用しているスマホを使うのはまずいな・・・。いわゆる今回の偽装結婚はビジネスのようなものだ。俺とだけ専用に使用するスマホを用意させよう。明日の朝、この会社に取りに来てくれ。受付で渡せるようにしておくから。」
受付で渡す・・・・。
仮にも偽造とは言え、結婚する相手なのだ。それでも・・・翔は必要最低限の事でしか朱莉とは会わないと言う事が今の態度で良く分かった。
「はい、分かりました。」
すると翔が言った。
「それじゃ・・・また近いうちに連絡を入れるから、君はその間にすぐ引っ越しが出来るように荷物をまとめておくんだよ。分かったね?」
「・・・・。」
しかし朱莉は返事をしない。
「どうしたんだ?黙ったままで・・・?」
「あ、あの・・・実はアパートの契約を・・・ついこの2年契約で更新したばかりなんです。今契約を解除すれば違約金が・・・。あの・・・申し訳ございませんが、先にいくらか前払いして頂けないでしょうか・・・?」
朱莉は情けないのと恥ずかしいので顔を真っ赤にしながら、俯いた。
そんな様子を鳴海はじっと見ていた。
全く・・・借金まで作って遊び歩いているのに、違約金を払う余裕すら無いのか・・・?
この女・・・意外と金食い虫なのだろうか・・・?
だが、翔は作り笑いを浮かべると言った。
「ああ、そうだったね。すまなかった。支度金が必要だと言う訳なんだね?
では早速銀行口座を作ろう、君のネットバンキングを作るから、毎月の手当てをそこに振り込むことにするよ。」
「・・・ありがとうございます。助かります。」
「よしそれじゃ今日の打ち合わせはここまでだ。明日の朝10時にこの会社に来てくれ。ロビーの受付の人間に言伝を頼むから、そこで必要な物を色々受け渡す事にするよ。」
そして翔は立ち上がった。
その様子が朱莉には、まるでもう全ての用事は済んだのだから、早く帰ってくれと言われているように感じられた。
「はい、それではまた明日、よろしくお願い言いたします。」
最期に深々と頭を下げると朱莉は応接室を出て行った—。
「ふう・・・。」
翔は溜息をつくと内線電話を手に取った。
プルルル・・電話の呼び出し音と共に、受話器を取る音が聞こえる。
「はい、琢磨です。」
「ああ・・・今やっと終わったよ、琢磨。」
疲れ切った声で翔が言う。
「何だよ、大袈裟な奴だな・・・。時間にしてみれば僅か1時間程度じゃ無いか。」
何処か笑い声を含ませた声に琢磨の声は聞こえた。
「お前なあ・・酷いじゃないか。俺と一緒に彼女の話を聞く約束だっただろう?」
「煩いなあ。こちらだって色々仕事が溜まっていて大変なんだよ。大体彼女との面接は全てプライベートな事じゃ無いか。そんなものにこの俺を巻き込むなよ。それで・・・相手はちゃんと納得したんだろうな?」
「ああ、勿論。あの様子だと大丈夫だろう。」
「それで今度はいつ会うんだ?明日か?明後日か?」
「はあ?お前・・・一体何を言ってるんだ?何故俺が彼女と日を空けずして合わないとならないんだよ?」
琢磨の訳の分からない話に翔はイラついた。
「何故って・・・、そりゃ仮にも偽装とは言え、結婚するわけだから・・・ 昼間に会うのが難しければ、夜一緒に食事に行くとか。・・・」
「お前なあ・・・そんな暇があるなら、俺は明日香と過ごすよ。それに・・・あの明日香が俺が他の女と出掛けるのを許すと思っているのか?」
「えええっ!お、お前・・・それ本気で言ってるのか?全く・・・やはりお前は鬼畜の様な男だな。」
「うるせえなあ。電話切るぞ。」
翔はやけ気味に言った。
「オウオウ、いいぜ、ほら。早く電話切れよ。」
しかし、琢磨は知っていた。翔はこの電話を切る事が出来ないと言う事を・・・。
「クッ・・・わ、分かったよ・・・。」
翔は溜息をつくと言った。
「悪い、琢磨。今から言うものを・・明日までに全て用意して貰えるか?」
そう言うと、翔は琢磨に偽造結婚の為に必要な通帳や新しいスマホの用意を依頼するのだった—。
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