顧客リスト№25 『湯の神の秘湯ダンジョン』

魔物側 社長秘書アストの日誌

「ババンバ バンバンバン♪ ババンバ バンバンバン♪」


私の持つ大きめ湯桶の中で、社長は身体をくねらせ歌い踊る。あんまり動くとバスタオルがはだけてしまうんだけど…。


それを全く気にすることなく、社長は手を伸ばし脱衣所の先にある扉をガラッと開ける。そして、一際楽しそうな声をあげた。


「ここは秘湯 山奥の湯!」




扉が開かれた瞬間、温泉特有の匂いがほんのり鼻に入ってくる。そして、温かくも冷たい空気が。


温泉の湯気と外気が合わさったそれは、裸(バスタオルは纏っているが)の私達をふわっと包み込む。ちょっと寒いけども、この感覚は何故だか嫌いになれない。


それはきっと、その先にあるものに心奪われているからであろう。ほら、白い湯気の向こうには…!


「わぁ…!」


熱い湯の奥に望める景色はまるで綺麗な絵画のよう。赤や木に色づく木々、さらさらと流れる小川、遠くに聳える霊峰。


真下にかかる谷には、月明りを吸収し輝く『月下樹』という木々が生えており、夜にはライトアップされたようになるとか。


四六時中どんな時でも楽しめるここは、とある山奥にある露天温泉。通称『秘湯ダンジョン』である。





ダンジョン? 温泉がダンジョン? そう、ここもダンジョンなのである。


とはいってもその範囲は狭く、山の麓にある看板からここまでの道、そしてしっかりとした造りの湯屋の建物全体程度。あくまで事故防止のためらしい。


道中魔物が極稀に顔を覗かせること以外は、特に危険なことは無い。温泉内で武器を振り回す無粋な客もいない。多分。


だから来ようと思えば、一般の人達も来ることが出来る。階段もある山道を汗だくで登ってくれば、絶景の秘湯がお目見えなのだ。なんとも素晴らしい。




温泉自体はかなーり広く、露天風呂も幾つかに分かれて湧き出している。サウナまである様子。さっき脱衣所にはマッサージ機や牛乳冷蔵庫もあった。沢山人間や魔物が来ても問題なし。男湯のほうは見てないけど、大体同じ造りらしい。


なお、ここの温泉には強化バフ効果がある。状態異常回復、攻撃力アップ、魔力アップ、体力アップ…などなど。


そのため冒険者もよく利用しにくる。聞くところによると、リオなんとかというドラゴンのような巨大モンスターを狩る『ハンター』とか、サムライと言う職業の人達を始めとした多くの人が利用しているらしい。





「うー! 早く浸かりたいわね!」


「駄目ですよ社長。かけ湯して体洗ってからです」


ウズウズする社長を諌め、彼女入りの湯桶を床にヨイショと置く。そして、ザパァとお湯をかけてあげた。


「あったかぁ〜い」


にへらと笑顔になる社長。湯桶の下からは彼女の身体を温めたお湯が流れ出ていく。




社長が今入っているのは、ミミック用の特製湯桶。勿論『箱工房』謹製である。


箱に入って動くミミックにとって、お湯は案外面倒。箱の中にお湯が入ると当然溜まり、動きが鈍重になってしまうのだ。


まあ中にはそれを逆手に取って簡易お風呂!と言ってるミミックもいるけど、やっぱり箱が動きにくくなるのを嫌がる子もいる。



そこで作られたのがこの『ミミック湯桶』。見た目はただの大きめの湯桶だが、入ってるミミックの意思により瞬時に排水する機能を備えているのである。


これでいくらお湯がかかっても、普通の人と同じくただ身体を伝い床に流れていくだけ。しかも、念じれば湯の上にぷかぷか浮かぶことも沈むことも可能なのだ。


更に、桶の中に入れたタオルとかは濡れない…いや、それはミミック自身の力らしい。この間、お風呂に入ってきたミミックの1人が自らの箱の中から新品の本を取り出して読んでたし。




…因みに。ここに来る際社長はいつもの宝箱で来たのだが、あれは今、脱衣所の棚…服籠の中に押し込められている。物を入れる箱が、籠の中に詰められているのはなんとも妙な絵面だった。


え?湯桶はどう持ってきたのか? それは勿論社長が箱の中に入れてきた。ミミックの力を使って。大きい湯桶が入っていた宝箱が服籠に入ってる…もう何がなんだか。







「はい、次は体洗いましょうか。どこにしましょ」


「どこでも良いわよ。運よく貸し切り状態だし!」


自らの入る湯桶からスポンと、2人分の入浴セット入り小湯桶を取り出す社長。かけ湯を切り上げ、近場の洗い場へといそいそと向かっていった。


社長の言う通り、この広い大浴場には私達以外誰もいない。多少寂しくもあるが、それを大きく上回る解放感がある。でもバスタオルを外して騒いだりしないけど。






「じゃ、社長。お背中流しますよー」


「おねがーい」


社長が髪の毛を洗っている間に、いつも通りお手伝い。ボディーソープつけて泡立ててと…。


もこもこもこ…


社長の柔らかな背中を優しく洗い上げる。とはいえ、小さいからあっという間に終わっちゃう。


「前もやっときます?」


「そうねー。お願いするわ」


ということで後ろから手を回し、前の方も擦ってあげることに。背より優しく丁寧に…相変わらず社長は少女体形だから、引っかかりはほとんどなくコシコシコシと…。


「…アスト アスト?」


「―? なんです社長?」


「いやなんですじゃないわよ…。貴方、またやったわね。触り方が妙にいやらしいと思ったら…」


「え…? あっ!」


社長の身体の感触を楽し…ゴホン、洗うのに集中していたら、いつの間にか社長の身体は泡だるま。まるで羊のよう。


「ご、ごめんなさい…!」


「もー。たまにこうなるんだからー。ま、別にいいけどね」


そう小さく頬を膨らませ笑う社長の頭もまた、泡だるま。アフロみたい。なんかこんなふわふわモンスターいそうである。






「さ、じゃあ私の番ね。アスト、席こうたーい」


「はーい。お願いしまーす」


泡を全部洗い流した社長は、湯桶に乗り私の後ろに。これもいつもの事である。大体一緒にお風呂入る際は洗いっこしているのだ。


「貴方も羊にしてやるわ!」


「ふふっ、お手柔らかに」


もこもこと泡立てる音が背後から聞こえ、次にはコシコシと背中が擦られる音。気持ちいい。


「アストの背中はやっぱ大きいわねー」


「そりゃ社長に比べれば大きいですよー。ひゃんっ!?」


と…突然にゾワッと変な感覚が…!これってもしかしなくても…!


「しゃ、社長…! いつも言ってますけど、翼と尻尾は自分でやりますから!」


「あら駄目よ。悪魔族って、角と翼と尻尾の綺麗さがステータスなんでしょ? 根元付近は特に洗いにくそうだからコシコシコシ~」


「ひぃっん! せ、せめてもう少し優しく…!デリケートなところですから…!くすぐったいんです…!」


「そうだったわね。じゃ、手を触手に変えてと…ニュルニュルニュル~!」


「いやそれはそれで駄目…!くぅん…!」


口を手で押さえながら、変な声が出るのをなんとか堪え続ける。と、社長がひょっこり顔を覗き込んできた。


「前も私がやる?」


「はあ…はあ…今日は結構です!」







ふう、なんとか全身洗い終えた。時折ああして私で遊んでくるから困る。まあお互い様ではあるのだけど。


さて、じゃあバスタオル巻いてと…。


「? ちょっとアスト、早くそれとりなさいな。一旦仕舞うから」


「へ?」


クイクイとバスタオルの裾を引っ張ってくる社長に、私は首を傾げ返す。よく見ると社長、すっぽんぽん。


「いや、『へ?』じゃないっての。 湯上りの身体拭くために持ってきたんだから、今濡らしてどうするのよ。それに排水溝にタオルの毛クズが詰まるからやめときなさいな」


「え、でも…」


「混浴でもないし、そもそも人いないし、何も隠す必要ないでしょ。てかいつも一緒にお風呂入る時は裸っぱなのに、何今更隠そうとしてるのよ。 もしかして太…」


「違います!」


「じゃあいいじゃない。大丈夫よ、これだけ湯気が出ていれば恥ずかしいとこは隠されるから! ほら、よいではないかーよいではないかー!」


「いやそれ和服の帯とか解く際のセリフですよね! あっちょ!引っ張らないで…力つよっ!」








カポーン


「「あ゛ぁ~~~~~♨」」


…なんで温かなお湯に入ると、こんな声が出てしまうのだろう。不思議不可思議。社長も私も顔がとろけてしまう。


あ、バスタオルは結局引っぺがされた。そして、その代わりに手ぬぐいを手渡された。頭に乗せるのが風情らしい。でも案外頭で維持するの難しい…。角で挟んどこ。



いやしかし…絶景かな絶景かな。鮮やかな紅葉を見ながら入る温泉は格別この上ない。わ、どこからともなく飛んできた赤い葉っぱが一枚、ひらひらとお湯の上に。良い…。


「ねえアスト。 こうも良い雰囲気だと、アレが欲しくならない?」


「アレ?」


「ふふん。こういうこともあろうかと、買っておいたのよ」


と、社長入りの湯桶はぷかぁと浮上してくる。中をごそごそ漁り取り出してきたのは、これまた小さめ湯桶と…


「! 徳利じゃないですか! もしかして…!」


「えぇ! 許可は頂いてるわ。冷たいのも暖かいのもあるわよ~。 一杯やりましょうか!」






「最高…」


思わず心の声が漏れ出てしまった。温泉に浸かりながら、紅葉もみじ見酒。天国とはこういうとこなのかもしれない。


社長も湯桶で半身浴しながら、お酒片手にぷかりぷかり。お風呂アヒル(持参品)と一緒に浮かんでいる。



そんな折、とあるものが目についた。


「そうだ、社長。サウナで我慢勝負しません? 負けた方は牛乳奢りで!」


「えー。やめときなさいな」


「もしかして負けるのが怖いんですか?」


「うーん、酔ってるわねー。大丈夫かしら…。ま、いいか。 よし、乗ったわ!」









「まあこうなるわよねぇ。いくらバフかかる温泉とはいえ、お酒飲んだ状態でサウナ入ったらねぇ…」


ものの数分でのぼせた私の足先を水風呂につけ、頭を自身の膝に乗っけながら呆れ顔の社長。うぅ、無計画すぎた…。


タオルでパサパサ扇いでもらいながら、私はおでこに腕を当てつつ呟いた。


「でもなんで社長はそんな平然としているんですか…? 同じ条件なのに…」


「何言ってんのよ。私ミミックよ? 必要とあらばマグマ煮えたぎる地でも擬態するんだから。我慢しようと思えば、たとえマグマの中でもある程度耐えられるわよ」


うん、敵うはずなかった…。





「おやおや、ちょっと様子が気になって来てみれば…大丈夫かえ?」


と、その場にふわりと現れた方が。それは女湯の入り口にいた番台のお婆ちゃん。ただし、正座のまま宙にふわりと浮いている。


「あ、スクナヒコナ様。問題無いですよー。ちょっとのぼせちゃっただけみたいですから」


社長の説明に合わせ、私も手で大丈夫ですと伝える。お婆ちゃん…スクナヒコナ様はそうかえ、と頷いてくれた。


ここのダンジョンの主。それは神様である。湯の神様。女湯担当をしているのが、こちらの『スクナヒコナ』様なのだ。因みに男湯担当は『オオナムチ』様というお爺ちゃんらしい。



するとスクナヒコナ様、丁度良いと社長に一つ問いかけた。


「ところでミミンちゃんや、アタシらの依頼は引き受けてくれるかえ?」


「えぇ勿論。このミミック湯桶も正常に機能しましたし、ご依頼通りお風呂場お手伝い…『三助』のお役は果たさせていただきますね」


「おぉ…!有難うねえ。 最近特にやって来る人が増えての、アタシらの眷属『湯の精』だけじゃ手が回らなくなってねえ…そうだ。あの件は大丈夫かえ?」


お顔の皺を更に増やし心配そうに聞いてくるスクナヒコナ様。社長はタオルをパシンとやった。


「えぇ。『出歯亀』の対策もしっかり! 待って捕えるのはミミックの真骨頂ですから!」


「頼むのう。ちょこちょこ増えてきて困っていてねえ。あぁ、そうだ。アストちゃんは水風呂より温泉にいれておやりなさい。『状態異常回復』の効果もあるからの」








パコンッ んぐんぐんぐ…


「「ぷはーっ!!」」


風呂上り、私と社長は揃って牛乳一気飲み。 お酒とは違う、最高に美味しい一本!


「やっぱこれよねー!」


「社長、口の周りに牛乳のお髭ついてますよ。ほら、拭いてあげますから」


「ありがとー。 …アストのコーヒー牛乳? そっちも美味しそうねぇ」


「駄目ですー。あげませーん」


「えー。 良いもーん、もう一本飲んじゃうから! あ、フルーツ牛乳も!」


「いやいや…お腹壊しますよ。てか、せめて服着てからにしてください。いつまでバスタオル姿のままなんですか…風邪ひきますって」


「大丈夫よー。 …へ、へぷちっ!」


「ほら言わんこっちゃない…。もう一回温泉入ります?」

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