2. 邪竜を呼ぶもの
男に連れられたのは海沿いの倉庫だった。大型の箱が積まれている光景は日本でも見覚えがある。この世界における文明レベルがいかなる程度はわかってはいないが、倉庫のすぐ近くは港になっていた。ということは船が存在すると思っていいだろう。
コンテナを格納する海沿いの倉庫、というと刑事ドラマなどでは監禁場所や悪党の巣窟だったりするものだが、この世界ではどうなのだろう。何故彼がここに連れてきたのか、その理由もよくわからないままである。
ようやく掴まれた腕が解放されて、私は何度か腕を振った。力強く掴まれていたせいで指先に麻痺が残る。配慮というものを知らない男だと思った。
「ここは?」
「俺の親父が所有してる倉庫さ。ちょっとした秘密基地みたいなもんだと思ってくれればいい」
子どもじみた単語に男が期待めいた眼差しを向けてくるが私は何も答えなかった。男は大げさに肩をすくめる。
「あんた、何で外にいた? 邪竜が襲ってきたらひとたまりもなかったぞ」
またジャリュウだ。どうやら今は外に出てはいけないタイミングで、それにはジャリュウとやらが関与しているらしい。ジャリュウとはなんだろう。音だけでは相応しい漢字に変換できない。あるいは横文字の固有名詞なんだろうか。
ここでなら腰を据えて話ができると判断して、私は男からこの世界に関わる情報を引き出すことにした。改めて男を観察する。明るい茶色の髪と灰色の瞳はまあいい。問題はその顔立ちだ。鼻は高く肌は白い。アジア系とは分類できない、欧米諸国の血筋に思える容姿だった。
街並みを見たときにも思ったけれど、ここはきっと日本ではない。外国かと問われれば私の話している言葉が通じているのが疑問だし――私は日本語で話しているつもりだし、彼の言葉もそう聞こえる――腑に落ちない。死んだ後に見る夢にしてはなんだか冗長に感じた。
「何でと言われても……気づいたらあそこにいたというか」
「なんだそれ、記憶喪失か? 夢遊病か?」
「どっちでもないと思う、けど」
「名前はわかるか? 俺はビット」
「……藤木茉莉花」
これが私の最大のミスだった。今でも時折「もしも」を考えてしまう。もしも本名を名乗らず、適当に誤魔化していたら。私はこのあとに待ち受ける地獄から逃れられたかもしれないのに。
「フジキ・マリカ? 変な名前だな」
「そう? 別に普通だと思うけど。それよりジャリュウってなんなの? どうして私はあんたにこんなところに連れてこられたわけ」
私は気づくべきだった。男――ビットの表情が硬くなったことに。いや気づいていた。けれどその意味を理解できなかったのだ。私が名乗り、質問をしたことの何が彼の態度を豹変させるに至ったのか。この世界に足を踏み入れてたった二時間では、わかるはずもなかったのだ。
「……お前、まさか転生者か?」
ビットの陽気な声色が一瞬で険しいものに変わった。張り詰めた空気の変化に私は息を呑む。
「テンセイシャ? 知らないわよ、さっきからわからないことばっかりで。ねえ、ここはどこなの? 私は悪い夢でも見ているの? もし知っているなら」
「……ああ。教えてやるよ」
親切に思える言葉がいびつな響きをもって紡がれる。当時の私にはその真意が読めなかった。
「ここはエリンダス王国、大陸全土を支配する大国家さ。地方の諍いこそあれど統一国家となった今、人々が敵対して戦争を起こすことはない。平和で豊かな国だったさ……邪竜が目覚めるまではな」
それが邪悪なる竜を指すと、このあとのビットの説明でようやく私は理解した。
「邪竜ヘルヴェルト。この大陸に災いをもたらす最悪の魔物さ。漆黒の皮膚は鋼鉄よりも固くあらゆる攻撃を通さない。悪魔のような翼を広げれば太陽が覆い隠され世界に闇が訪れる。長い牙をむき出しにした口から吐き出される火炎は大地を焦土にする。生きる厄災……偉人たちによって封印されていたはずの魔物が、今この時代に目覚めてしまったんだ。お前たちのせいでな!」
倉庫の入り口から人がなだれ込んでくるのが見えた。かっちりした赤の上衣と白いパンツ、黒の編み上げブーツ。手には銃ではなくサーベルを提げている。英国の映像資料で見たことがある。それによく似た雰囲気の服をまとった彼らはもしかすると憲兵、というやつではなかろうか。
ビットが私をにらみつける。先ほどまでの人のよさはすっかり消え失せていた。憲兵を呼んだのはおそらく彼だろう。連絡を取る仕草は確認できなかったけれど、私だって彼の一挙手一投足を注意深く監視していたわけではない。あるいは、私の知らない通信手段があるのかもしれない。
「
「どういう」
「転生者は管理されなければならない。俺は一般市民として当然の義務を果たすまでさ」
意味がわからない。断片的に意味深な言葉を投げかけられても、私は神様じゃないんだからビットの考えの少しも理解できなかった。私が転生者と呼ばれる存在らしいこと。転生者が邪竜の封印を解いたこと。そして豹変したビットの刺々しい態度から、かろうじて転生者がこの国で疎まれているということだけは察した。だからってこれからのことがどうなるかは何もわからない。
憲兵が私の手首に手錠をかける。手錠とは無縁の人生だったからあまりに現実離れした展開に私は茫然とその様を見ていた。抵抗するという発想がなかった。無知は行動を鈍らせる。そのまま両側に憲兵が立ち、無理矢理背中を押された。どこかへ連れていかれるらしい。
ビットを振り返ることはしなかった。そこまでの信頼関係を育んだわけではなかったので。
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