転生者、世にはばかる~エリンダス王国の眠れる住人たち~
有澤いつき
Ashiya Subaru:デルフィネの夜明け
1. 大衆酒場「デルフィネ」の喧騒
――エリンダス王国 国暦XXX年 世界は未曽有の危機に立たされていた。
エリンダス王国は大陸一の大きさを誇る最も進んだ国である。現在の国王による統治も安定し、騎士団の整備も行き届き、商売は励行され経済活性化にも努めている。まさしく理想の国家とはこのことであろうと、国民の多くが信じて疑わない。今の治世は王国の歴史の中でも最盛期ではなかろうか、と謳われるほどだ。
そんな順風満帆な国家の平穏はある日唐突に揺らいだ。
古よりいずこかの洞窟の奥深くに封印されてきたとされる
国は愚か大陸一つすら容易に踏み潰してしまいそうな巨躯は王国に大きな影を落とした。風の噂で聞いた話だが、王国西方にある地方都市ジャグラが邪竜の手に落ちたと言う。王国といってもあまりに広く、西の端にある街のことなぞまるで他人事にしか聞こえない。しかし、もしその噂が真実であったなら? その邪竜がいつ王都に向けて牙を向くかたまったものではない。王宮周りも何やら騒がしい。騎士団員募集のチラシを街中で見かける回数は増えたように感じる。
そして、これもまた偶然とは言い難い異常が同時期に起こる。王都の外れに突如として天高く聳え立つ塔が現れたのである。
雲の上まで伸びており、その全長は推測の域を出ない。しかしあれほどの高さの塔、今の王国の……否、大陸中の技術をもってしても建設できるものではない。邪竜の目覚めと合わせて現れたその塔に邪竜を再び眠らせるヒントがあるはずだと王国は睨んでいるらしい、調査隊が足繁く通っているという話も聞いた。
しかしあまりに巨大な塔、騎士団の規模をもってしても調査は難航しているらしい。そこで苦肉の策というか背に腹は代えられないというか、王国が打ち出したのがギルド制度である。要するに一般市民の傭兵部隊に塔の調査を依頼することにしたのだ。「冒険者」とあだ名されることもある彼らは、王都ソルティードを拠点にして今日も広大な塔に挑む。地位、名誉、褒章、財産、平和、正義――様々な思惑を胸に。
「……そんなくっだらねえ
「つれねぇこと言うなよマスター! 俺はこれが仕事なの、わかってるだろ?」
「テメェのは仕事じゃねえ、
「相変わらずマスターは手厳しいな。あ、嬢ちゃん、こっちに
「酒は
へぇーい、と間延びした返事が男の口から出たのを確認すると、マスターと呼ばれた男はあからさまに嘆息した。彼はこの大衆酒場の常連ではあるが、どうにも悪癖が多くていけない。ここは大衆酒場と謳ってはいるが昼は食堂、夜は酒場として営業している。酒場の「デルフィネ」になるのは紫の刻から。それまでカクテルの一杯も作ることはない。そのあたりの住みわけは彼もわかっているはずなのだが、だらしない身なりも男の性分を物語るというか、無頓着なきらいがある。
「悪いな、兄ちゃん。その男のことは適当にあしらってやってくれ」
「はぁ」
そして、自堕落な常連客の餌食になった新顔に詫びを入れておく。居心地が悪そうに身をすくませている少年はおどおどとしながらも頷いた。
十代後半くらいだろう。真っ黒い短髪と細長く黒い双眸。真新しい麻の上下を着ている。白にベージュが混ざった色のシンプルが過ぎるロングシャツとスキニーパンツ。手荷物すら持っていないようだから、こいつはいよいよ「アレ」だなと思った。
店主の男は皿洗いをアルバイトに任せて、カウンターから素朴そうな少年に近づく。昼営業の終わり、まだ本格的な客の流れは来ていない。常連の男は不貞腐れたように席を離れた。彼もわかっていてやっているのだからなかなかの演技派だと思う。
「ところで……あんた、転生者か?」
「!」
少年の細い漆黒の瞳が大きく見開かれた。これは当たりだ。常連が話していたこの世界の常識も馬鹿にせず聞いていたし、身なりからして、もしかしてとは思っていた。いつからここはそういった人間の集う場所になってしまったんだろうか。店主は静かに息を吐いて質問を重ねる。
「どうしてこの店に来た。誰の紹介だ?」
「あの……僕を助けてくれた冒険者の方が。この国で行く宛がないなら大衆酒場『デルフィネ』のマスターを尋ねればいいと」
「……まったく」
そんな界隈で有名になりたかったわけじゃないんだがな、と店主は肩を竦めた。本当なら煙草の一本でも吸いたいところだが、あいにくと今は客商売中だ。新顔の少年の前でふかそうとも思えない。
「まあ、着の身着のままで出歩けるほどこの街も優しくはないからな」
「?」
「こっちの話だ。お前、名前は」
「アシヤ・スバルです」
聞き慣れない響きだ。初めは男にも信じ難い事象だったが、時折こうやって「異なる世界」から人間がやってくることがある。言語も通じる、容姿も王国の人間とさほど変わらない、けれどこの世界のどこにも存在しない知識を持っている。逆に彼らはエリンダス王国は愚か、この世界のことを微塵も知らない。そういったどこか別の世界から人間が流れてくることがあり、人々は彼らのことを転生者と呼ぶ。
転生者がこの店を頼るようになったのは言わば成り行きで、口コミで広がっていったという他ない。男としても本意ではないのだ。たまたま、やってきた転生者にギルドを斡旋しただけで。それがいつしかギルド斡旋所みたいな空間になってしまって、それを頼みにやってくる冒険者も多い。
「サシャ」
「はい」
マスターはカウンターの奥で皿洗いに勤しむウェイトレスを呼んだ。桃色の髪が跳ねる。
「この坊やを上に案内してやれ。後で俺も行く」
「わかりました」
看板娘は愛嬌ある笑顔で頷いた。
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