第50話 せめて……せめて、打席には立ってあげてよ

 誰もが劣勢になってる試合展開をなんとかしようと、頑張ってる相沢武を援護してやろうと一生懸命だった。しかし、その頑張りは報われず、頼みの相沢武と土原玲二も快音を響かせられないままに7回裏の攻撃も終了した。


 冷静さを取り戻した相沢武は気迫のピッチングを展開し、対戦中の海洋高校に追加点を与えない。だが、その裏の攻撃でも私立群雲学園は相手投手を打ち崩せなかった。気がつけば試合は9回に突入し、いよいよ決着の瞬間が近づこうとしていた。


 誰かがエラーをしても皆で声を出し、失敗を引きずらないようにフォローする。ピッチャーの相沢武も守備陣をまったく責めたりせず、ひたすら鼓舞するための台詞を大声でグラウンドに響かせる。なんとかチームに勝たせてやりたかったが、ベンチに座ってるだけの淳吾にその力はなかった。悔しさを覚えながらも、試合をしている選手たちに何度も心の中で「頑張れ」とエールを送る。


 得点圏にまで走者を背負うものの、気力と体力を振り絞って相沢武はなんとか9回表の相手の攻撃を無失点で切り抜ける。これでわずかとはいえ、私立群雲学園にも勝利の可能性が残された。8番からの打順となり、伊藤和明の友人でもある春日修平が打席へ入る。体格はかなり立派で力もありそうな感じなのだが、優しすぎる性格の影響で打力の向上はさほど見られなかったらしい。少しだけ悲しそうに話していたあたり、事情を教えてくれた土原玲二も密かに期待していた選手のひとりだったのだろう。


 春日修平が相手投手と対戦している間、次の9番を打つ伊藤和明がネクストバッターズサークルヘ向かわずに、何故かベンチの隅に座っている淳吾のもとへとやってきた。


「仮谷君、お願いがあるんだ。僕の代わりに……打ってほしい」


 予期してなかった代打要請に驚く。表情へ出さないようにしながら、淳吾は「悪いけど……」と断りの言葉を発した。


「そう言うと思ってたよ。でも、どうしても……仮谷君に打ってほしいんだ!」


「それを言うなら、俺はどうしても伊藤君に打ってほしいけどね」


「ぼ、僕に? どうして……」


「野球部で今日まで懸命に努力してきたのは君だろ。例え打てなかったとしても、誰ひとり文句を言わないさ。胸を張ってアウトになればいいだろ」


「で、でも……! ぼ、僕は……勝ちたい……!」


 俯いた伊藤和明の気持ちは痛いくらいに伝わってくる。自分でなんとかしたいけど、力がないとわかっているから、もどかしくて仕方ないのだ。説明されなくとも、十分にわかる。何故なら、淳吾も同じ気持ちを抱えているからだ。


「高校生の俺が言うのもなんだけど、学生の部活ってさ、勝敗以上に大事なことがあるんじゃないのか? 勝ちたいだけなら、プロ予備軍みたいな連中を全国からスカウトしてくればいいんだしな」


 それでもまだ伊藤和明は「だけど……!」と言っていたが、8番の春日修平がアウトになってしまったため、それ以上の議論が不可能になる。代打を了承しない淳吾を打席に立たせるわけにもいかず、本来の打順どおりに伊藤和明が向かう。


「お前も強情だな」


 9回を投げ終えた相沢武が、チームの応援をしながら話しかけてきた。自分でもそう思うが、役立たずが下手に試合へ出場するよりは、ベンチにいる全員に恨まれた方がいい。この状態で負ければ、さすがに周囲も淳吾への評価を変えるだろう。そうなれば、今みたいな悔しくて悲しい思いはしなくてもよくなるはずだ。


 早く終わってくれ。淳吾が心の中でそう祈った時に事件は起こった。伊藤和明がわざとボールへ当たりにいって、デッドボールを奪ったのだ。


   *


 ホームベースへ覆い被るようにして構え、動揺した投手のコントロールミスを誘ったにしても、私立群雲学園には大きな出塁となる。決して褒められた方法ではないが、怪我をするリスクを負ってでも、伊藤和明は塁に出たかったのだ。


 相手バッテリーの舌打ちが聞こえてきそうな出塁であっても、伊藤和明が貴重なランナーになってくれた事実に変わりはない。何をしても勝てばいいとは思わないが、戦術のひとつとしては有効だ。もっとも何度も使用すれば、球審にわざとだとジャッジされて普通にカウントを取られる。1回限りの裏技みたいなものだった。


 次は1番に打順がまわる。恐らく最後のチャンスとなる。だが該当の選手は打席ではなく、何故かベンチへと戻ってきてしまった。審判がアクシデントかと目を見開く中、田辺誠は淳吾の前までやってくる。ぶっきらぼうに「ほらよ」と言いながら、持っていたバットを差し出す。


「お前の出番だよ。代打だ、代打っ!」


 意味がわからずにきょとんとしていた淳吾に焦れ、叫ぶように田辺誠が意図を説明した。目立ちたがりな性格で、試合では観戦に来ている土原玲菜へいいとこを見せようとしたがる。そんな選手が、せっかくの出番を譲ろうとしている。その意味を考えると胸が熱くなる。だが、それでもバットを受け取らなかった。


「伊藤君にも言ったが、俺は出場する気はないんだ」


「わかってるよ! でもっ! 俺じゃ……期待に応えられないんだよ……」


 心底悔しそうに唇を噛みながら、田辺誠が丁寧に頭を下げてくる。ここで「わかった」と言えれば格好いいが、この期に及んでもまだ、淳吾は決意できずにいた。


「どうしてそう思うんだよ。君の評価は、君が思ってるより高いみたいだぞ。常にベンチで、大降りをやめてミートに徹してくれればと言われてるくらいだからな」


「そういう問題じゃ――」


 田辺誠が反論しかけたところで、黙っていられなくなった球審がベンチまでやってきた。試合を続行しなさいと、強い口調で注意する。


 これ以上は、遅延行為と受け取られかねない。主将の土原玲二は球審に頭を下げながら、田辺誠がそのまま打席に入りますと告げた。


「くそっ! お前なんかに頼ろうとした俺がアホだったよ!」


 怒りながらも、何かを言いたげな視線だけを残して田辺誠が淳吾に背を向ける。歩いていく先にあるのは、グラウンド内に存在するバッターボックスだ。そこで相手投手との勝負に挑む。


 ちょっとした中断を経ての試合再開にも、特にやりにくそうな感じを見せずに相手投手は田辺誠への1球目を投げる。初球からボールを変化させてきたのは、これまでの打席でバッターのタイミングがまったく合ってなかったと判断したからだろう。実際に本塁打狙いの大降りで、豪快に三振させられたシーンが淳吾の記憶にも強く残っている。


 今度もまた空振りをするかと思いきや、田辺誠が降ったバットは見事に相手投手の変化球を捉えた。惜しくも3塁線の内側には飛ばなかったため、ファールとなってしまったが、これまでとは違う印象を対戦相手に与える。


「どうやら、仮谷の指摘が効いたみたいだな」


「あっ! ミートがどうとか言ってたもんね。仮谷っちって、我侭で試合に出たくないだけじゃなかったんだ」


「いや、単なる我侭だよ」


 土原玲二と栗本加奈子の言葉に、あえて冷たい感じの反応をする。それでもこの試合を引っ張ってきたキャプテンは、淳吾を責めたりはしなかった。


「それでも、アドバイスをしてくれたのに変わりはない。お前はやっぱり、チームの一員だよ」


 背中が痒くなるようなお礼を土原玲二が言われ、淳吾は思わず苦笑する。少しでも役に立てたのなら、ベンチに座ってた意味くらいはあるのかもしれないな。


 そんなことを考えながら、打席に立っている田辺誠を見る。丁度投じられたばかりの2球目に反応して、バットを振ろうとしていたところだった。


   *


「あっ! いい当たりじゃん!」


 ベンチ内で嬉しそうにはしゃぐ栗本加奈子の声に後押しされたように、田辺誠が放った痛烈な打球がグラウンドを転がっていく。3遊間を破ろうと頑張るも、その前に相手遊撃手のグラブが立ち塞がる。


 ヒット性の当たりだったにもかかわらず、あえなく捕球をされ、2塁にボールが投げられる。伊藤和明が先に到達できるはずもなく、これでツーアウト。あとひとつアウトを積み重ねられると、試合終了となる。


「ちょっ――! 頑張りなさいよ、田辺っち!」


 栗本加奈子の声援が届いたのかどうかは不明だが、格好を気にせずに1塁へダイビングした田辺誠の右手が、2塁手から送られてきたボールよりも先にファーストベースを掴む。1塁審判の両手が左右に広がり、なんとか試合終了になるのを免れた。


 自分の恰好ばかりを気にしていた田辺誠が、アウトになりたくない一心でヘッドスライディングまでしたのだ。誰もがこの試合を勝ちたいと願い、そのために最善の努力をしている。それに比べて、自分は何をしてるのか。淳吾がそう思っていた時、またもや目の前に人影が現れた。誰だろうと思って顔を上げると、目の前に立っていたのはネクストバッターズサークルへいないと駄目なはずの2番打者の港達也だった。


 何か用かと尋ねる前に港達也は自分がかけていた眼鏡を外し、ベンチの床におもいきり叩きつけた。誰もが驚きを隠せずに目を大きく見開く中、眼鏡を壊した張本人だけは酷く真面目な顔で皆に告げる。


「私は視力が悪いので、眼鏡をかけていないと、相手投手の顔すらわかりません。この状態だとボールも見えずに危険なので、交代させてください」


「こ、交代って言っても……」


 ベンチにいる部員のひとりが、困ったような声を出す。それはそうだ。私立群雲学園野球部は、常にギリギリの人数で戦ってきた。そう簡単に交代できるようなら苦労はないし、淳吾へ懸命に大会へ来てくれと頼んだりはしなかったはずだ。


 もちろん野球部に在籍している港達也もそれくらいはわかっている。これは淳吾を自分の代わりに打席へ立たせるための策だ。


 執拗に拒絶されれば、意味がないどころか大変な事態になる。誰も打席に立たなければ、試合出場できる人数が9人に満たなくなったと判断されて、没収試合になる。


 その前に港達也が打席へ立ち、何もせずに三振して試合を終了させる形もとれる。どちらにしろ、淳吾が出場しない限り、今大会の敗退はほぼ確定する。


 てこでも試合に出ようとしなかった淳吾を動かすには、強制的に出場するしかない状況を作るしかない。頭脳明晰な港達也らしい考え方だ。彼はそのために自分の打席だけでなく、眼鏡まで犠牲にした。そこまでして勝ちたいのに、自分の力では無理だと判断した。より可能性のある人物へ託そうと考えたのだ。


「お願いします。私に代わって、打席に立ってください。チームを……勝利に導いてください」


「……悪いけど、俺にそんな力はないよ。こんな重い責任は、とてもじゃないけど負えない」


「それでも! 三振に終わったとしても、私は……可能性のある方を選択したいのです」


「……見込み違いだよ。体育の授業でホームランを打っただけの俺に、期待されても困る」


「お願いしますっ!」


 何度断っても、港達也は懸命に淳吾へ頭を下げてくる。そのうちにずっとベンチで試合を見ていた栗本加奈子まで「お願いします!」と頼み始めた。


「皆……勝ちたくて、一生懸命練習してきたんだよっ! 仮谷っちが打てなくても怒らないから、せめて……せめて、打席には立ってあげてよ……お願いだからさ……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る