第39話 自分なりのストライクコースを見つけることだね

 安田学と連続で対戦しているので、大体フォームがどんな感じなのかは把握できた。速いタイミングを想定しておきながら、遅くなった場合にも対処可能な準備をする。


 今回の投球動作は遅めにタイミングをとったもので、その分だけ想定よりも腕が出てくるのも後になる。だが事前準備のおかげで、大きな戸惑いはなくわりとスムーズに対応できた。


 見えた腕から、ボールが放たれる前に足を上げる。真っ直ぐと変化球を頭の中に入れたままで、安田学から投じられる球を待つ。


 相手の指が持っていたボールから離れ、手から押し出された硬式球が淳吾へと向かってくる。視界に捉えたボールはスローダウンせず、一直線にキャッチャーミットを目指す。


 心の中で淳吾は「ストレート!」と叫んだ。少しコースが高いような気もしたが、構わずにスイングする。


 当たれと願いながら振った金属バットは、またしても安田学のボールへかすりもせず、宙に舞う空気をなぎ払うだけの結果に終わった。3打席目も、あっという間にツーストライクまで追い込まれた。


 急いで振り返って、キャッチャーミットの位置を確認する。想定よりも、かなり上のコースを通過していた。捕手の人が「ボールだったよ」と教えてくれた。淳吾が、ストライクかどうかの判別をミスったのだ。


「ボールが見えてないんじゃ、じゅ……うぶんな結果は得られそうにないな!」


 マウンド上で、安田学が高笑いをする。台詞の途中で変な間があったのは、恐らく10打席あっても無駄だなとか言おうとしたのだろう。そのたびに「じゃあ、それで」とか言われてきたので、頭に浮かんだ言葉をすべて口にしなかったに違いない。


 安田学にも学習能力があったのだと感心すると同時に、やっぱり10打席も勝負するのは嫌なのだなと理解する。できれば経験のためにも打席数を増やしてもらいたかったが、それは淳吾のわがままでしかない。


「自分なりのストライクコースを見つけることだね。そうすれば、迷ったりする回数も減ると思うよ」


 捕手の中年男性が、投手の安田学にボールを返しながらアドバイスをしてくれる。ありがたく受け取った淳吾は、頭の中で貰ったばかりの助言を繰り返してみる。


 自分なりのストライクコースを身につけられれば、仮に見逃し三振をしても、今よりは納得ができるのかもしれない。とはいえ、一朝一夕で会得できるものでもない。やはり時間と経験が必要になる。


 けれど目的意識があるかどうかで、1打席にかける集中力や意義に差が出てくる。そうした点でも、捕手の人からのアドバイスはありがたかった。


 先ほどの高さのストレートはボール球。しっかりと頭の中にインプットした上で、2球目のボールの軌道を思い出す。半ば反射的にバットを出してしまったが、実戦ではあそこを堪えられるかどうかが成否をわける要因になるかもしれない。


「三振する覚悟はできたか。これで残りは2打席になるな!」


 早くもこの打席で淳吾が三振すると思っている安田学が、マウンド上からしつこく挑発じみた言動を繰り返してくる。あまりにも淳吾がろくな反応を示さないので、ひょっとしたら寂しがってるのかもしれない。


 だからといって、律儀に応じてるような余裕はない。試合ではないので、なにがなんでも結果が欲しいというわけではないが、少しでも自分の実力を高めたかった。


 マウンドでの安田学の投球モーションに合わせて淳吾もタイミングをとり、この打席で3球目のボールを待つ。真っ直ぐでも変化球でも対応できるような心構えをして、ここだというところで足を上げる。


 3球目が投じられる。今度はストレートでもカーブでもない変化球だった。


   *


 途中まではストレートだと思ってバットを振りにいったが、淳吾のいるバッターボックスへ近づくにつれてボールが変化をした。


 カーブみたいな大きな曲線を描くのではなく、まるでスライドするように淳吾からボールが逃げていった。こういう類の変化球で名前が思いつくのは、カットボールかスライダーしかない。


「やっぱり三振だったな。まあ、俺のスライダーに手も足も出なくて当然だから、あんまり気にするなよ」


 淳吾が頭を下げて尋ねる前に、安田学本人が先ほどの決め球はスライダーだったと教えてくれた。認識が間違っていなかったとわかり、少しだけ嬉しくなる。


 これで3打席連続で三振となってしまったが、実は淳吾はあまり落ち込んでいなかった。何故なら、同じ三振でも最初よりは進歩が見られる内容だったからだ。


 他人の目にはそう見えないかもしれないが、当事者である淳吾だからわかる。手応えがあるというには程遠いが、かすかにではあっても自分の成長を感じられた。


 最初に安田学の変化球を見せられた時には、消える魔球のようにしか思えなかった。しかし今の打席では、ボールが変化していく軌道をきちんと目で追えていた。実際に打てたわけじゃないが、十分な進歩だった。


 すべてが順調にいくなんて思っていない。そもそもが無謀な挑戦なのだ。それでも淳吾は選んだ。周囲が期待してるような強打者になると。


「残り2打席になっちまったぞ。そろそろ降参しなくていいのか」


 マウンド上で勝ち誇り続ける安田学に、淳吾は律儀に頭を下げる。その上で「あと2打席、お願いします」と礼を尽くす。


 挑発したわけじゃない。淳吾の打力向上へ、多大に貢献してくれている安田学に心の底から感謝していた。なんとしても、残りの2打席も対戦してほしかった。


「……チッ。どうにも調子が狂う奴だな。ま、無謀な勝負に挑もうという少年に、快く胸を貸してやろうかね」


 言い終わった直後に、安田学がちらりとベンチに座って勝負を見守っている小笠原茜の様子を窺った。良い台詞を口にしたので、感動してると判断したのだ。


 格好よかっただろ的なドヤ顔を披露しているが、当の小笠原茜はさして興味がなさそうに自分の太腿の上で頬杖をついている。


 淳吾なら心が折れそうなこの状況下でも、ポジティブの塊みたいな安田学は気にしない。むしろ自分への好意を隠すために、わざと気のないそぶりを見せていると判断したみたいだった。


「さあ、茜ちゃんも待ちかねているし、俺の格好いい姿を引き続き見せてやろう!」


 調子に乗りまくりの安田学に対して、チームメイトの人たちはまたかと言わんばかりに苦笑する。その中で小笠原大吾だけが妙に憮然としてるのは、自分の娘にちょっかいを出され続けてるからに違いない。


 とにもかくにも4打席目の勝負も引き続き行われることになり、淳吾は再びマウンド上の安田学と対峙する。これまでの成績は3打席で3三振。淳吾の完敗もいいところだった。


 安田学のような投手を打つにはどうすればいいか。ひとりで考えた末に、やはりすべての球種を同時に待つのは不利なのではないかという結論に達した。


 ツーストライクまで追い込まれればそんなことも言ってられなくなるが、考え方を変えれば、それまでは豪快に空振りしてもストライクコースのボールを見逃しても構わないということになる。


 すべての球種を追い求めずに、ヤマを張るべきなのかもしれない。そう判断した淳吾は、4打席目の対戦前に狙い球を絞ることにした。


   *


 真っ直ぐか、変化球か。悩んだ末に淳吾が狙いを定めたのは、安田学のストレートだった。


 軟式球だったとはいえ、バッティングセンターで打ち込んできた真っ直ぐの方が、バットに当たる確率が高い。


 スイング動作に入りながらも、直感的に少しコースが高いように思えた。途中までスイングしかかっていたので、中途半端に止めるよりはとおもいきってバットを振ってみた。


 結果は空振り。またしても安田学の投じたボールは、淳吾のバットへかすりもせずに捕手が構えてるミットへ到達していた。今度も背後を振り返って、キャッチャーの人に目でストライクかボールかを確かめる。


 口に出された言葉は予想どおりの「ボール」だった。今回も淳吾はストライクかどうかの判断を間違ったが、迷えた分だけこれも進歩だと割り切る。


 初心者も同然の淳吾が、いくらブランクがあるとはいっても、野球経験者の安田学のボールを簡単に打ち返せるはずがなかった。


 マウンド上で捕手からボールを返してもらった安田学はまたもや何かを喋ろうとしたが、その前に小笠原大吾から「いちいち何かを言わないと、投球できんのか」と叱責されてしまう。


 それでも何かを言わないと気が済まないらしく、わざわざ淳吾を指差してから大きく口を開いた。


「実力不足の小者が、中途半端な狙いで俺のボールを打てると思ったら大間違いだ!」


 周囲で勝負を見守ってるチームメイトの人たちはやれやれと言わんばかりに肩を竦めたが、淳吾には安田学の発言が大ヒントになった。


 真っ直ぐか変化球かだけでなく、予め狙うコースも決めておけばグっと楽になる。その代わり読みが外れると、あっという間に窮地へ陥る。それでも狙いどおりの球が来た場合のアドバンテージは魅力的だった。


 そもそもプロ野球の選手でも、野手は3割を超えれば一流と呼ばれる。平均でも10回に7回から8回は凡打してしまうスポーツ。それが野球なのだ。


 幅広く狙えるような好打者ならともかく、淳吾は何度も確認しているとおり初心者も同然のバッター。すべてを上手くやろうとしても、無理がありすぎる。


 安田学の言葉で吹っ切れた淳吾は、相手のボールを打って恩返しをするつもりで2球目を待つ。狙いは先ほど同じくストレート。コースはバッティングセンターで得た経験を元に、得意だと判断した低めを待つことにした。


 高めはすべて無視するつもりで、目線を真ん中から少し下げた。低めのコースを大幅にカバーするためだ。一方で、同じ低目でもコースぎりぎりに来たボールは見逃そうと決めた。


 ストライクコースの四隅に来たボールは、そこだけを狙ってない限り打つのは難しい。それならいっそ、そこに投げられたらピッチャーの方が上だったと賞賛して、三振する方がまだ効率がいいように思えた。


 淳吾が打とうと決めたコースは低めよりで、真ん中を中心にした内角と外角の甘いところのみ。それ以外はカウント的に追い込まれたら、諦めて手を出すような感じにする。


 これで上手くいくかはわからないが、先ほどよりも明確な狙いにはできた。あとは安田学がそこに投げてくれるのを祈るだけだった。


 振りかぶった相手投手がマウンドの土を蹴り、独特のタイミングで腕を振る。握られているボールが手から離れ、キャッチャーミット目掛けて前進する。


 打撃のタイミングを真っ直ぐ狙いか変化球狙いかバレないよう一定にしつつ、投じられたボールを打つために淳吾もスイング動作に入ろうとする。


 だがその直後に淳吾は動作をストップさせた。何故なら安田学の2球目は真っ直ぐではなく、カーブだったからだ。完全に狙いを絞っていたので、向かってくる変化球への対応はできるはずもなかった。


 あとはコースが外れるのを期待するしかないが、生憎とコントロールが良い安田学は、きっちりとツーストライク目を奪っていった。

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