第十一話 ガスマスクの少年
機械的な音が鳴っていた。息を吐き出す度に鳴るそれは、外に蔓延る危険生物を自然な形で呼び寄せる。
傾いたビルとビルの隙間から顔を覗かせ、呻き声をあげる生物たち。その姿を、装備したガスマスク越しに確認するも、少年は特に気にすることでもないと言いたげに、ただひたすら足を動かす。
ずるっ ずるっ ずるっ……。
少年が進む度に、音が鳴る。その音は少年の手にした鉄パイプにより発生しているようで、それを見てか、生物たちは警戒して彼に近づくことはしない。
「――弱虫」
吐き捨てるように、彼は言う。ひどく悲しげなそれは、誰にも届くことなく消えていった。
「――あ、ありあり、あ、ありがとうございましたっ」
引きつった営業スマイルを浮かべ、客を見送る。そんな私を背後からせせら笑う夢屋の店主は、受け取った金品を鑑定師らしい小さなおっさんに手渡し、一息ついた。いつの間にか用意されていた椅子に腰掛けグッタリとする彼女は、先程まできちんと客対応していた者と同一人物だとは思えない。
ずるずると、徐々に下がっていくリリィに呆れた視線を送ってやりながら、彼女の傍へ。「しゃんとしろ」と叱れば、べっ、と舌を出された。
「いーじゃないですか。お客様がいない時くらいのんびりとさせてください、お母さん」
「誰がお母さんだ」
「のんびりっつかぐだってるだけだろ。もちっとちゃんと座るくらいしろよ。な、マミー?」
「誰がマミーだ」
こいつらはどこまでも腹が立つ。
わなわなと怒りに震えていれば、扉が3回程ノックされる。また客かと項垂れるリリィをよそ、私は扉の方へ。また吃ってしまわぬよう、一度咳払いした後に、目前に存在する扉のノブへと手をかける。
「――い、いらっしゃいませぇ〜」
なぜか上擦ってしまった、自分でも気色が悪いと思える声を発し、扉を解放。目の前に誰もいなかったことに内心首を傾げながら、扉を閉める。
――コンコンコンッ
響いたノック音。
もう一度扉を開ける。
誰もいない。
扉を閉める。
――コンコンコンコンコンッ
再び扉を開ける。
誰もいない。
扉を閉める。
――ドンドンドンドンドンッ!
若干強くなったノック音。
なんなんだと思いつつ扉を開け、少し沈黙して視線を下へ。鮮やかともいえる金髪が見え、ああ、そこにいたのかと、一、二回、目を瞬く。
少年だった。ガスマスクで顔は見えないが、体格的には恐らく少年のはずだ。ズタボロになり、ところどころ薄汚れた暗い色のつなぎを身につけている。
つなぎに対し、少年の髪は先もいったように明るい金色。汚れはさほど見受けられず、手入れが行き届いているんだろうな、なんて感想を抱く。
と、同時に、私は扉を閉めた。そのまま鍵まで丁寧にかけるのは、恐らく、少年の手に握られたものを見てしまったせいだろう。
分厚い指なし手袋。それをはめられた小さな手に握られていたのは、先端の曲がった鉄パイプだった。ここまでの道中ずっと引きずってきたのか、下部に土や砂を付着させたそれには、なぜか赤黒い血が大量にこびり付いていた。なぜだ。理由はわからない。しかし明らかにおかしい。それくらいはわかる。
無表情で扉を見つめる私の背後、近づいてきたリリィが言う。
「どうかしましたか?」
「……私は何も見ていない」
「は?」
「私は、何も、見ていない」
「ほう?」
よくわかっていないようだ。首を捻るリリィに、「気にするな」とだけ告げる。
が、直後。その発言を許さないとでも言うかのように、けたたましい稼動音を発しながら扉からチェーンソーが飛び出した。堪らず飛び跳ね後退する私の視界の中、チェーンソーは引き抜かれ、かわりに出来た穴から外の者が中を覗く。なんてホラーだ。暫く穴という穴がトラウマになりそうではないか。
青ざめ震える私を過ぎり、リリィが前へ。勢いよく扉を開け放つその後ろ姿が勇ましく、ちょっとときめく。落ち着けガレイス。冷静になれ。なぜ今ときめく。疲れているのか。そうなのか。
冷静さが徐々に死んでいくのを自覚する。
「……どちら様ですか?」
「……」
しゅこーっ、と空気の抜ける音がした。まさかそれが返事だというのではなかろうな。
そんな疑問を抱いた瞬間、少年は素早く屈み、手にしたチェーンソーを再稼働。勢いをつけて回る刃を振り上げる。
「リリィっ!!?」
驚き、反射的に引っ張ったリリィが腕の中へ。ぽすっと若干間抜けな音をたてながら倒れがかってくる。どうやら彼女も驚いているようだ。二回ほど目を瞬いた後、片手を前へと向ける。
「『目前の個体を敵と認識。殲滅せよ』」
「は?」と受け止めた彼女を見下ろしたのも束の間、どよりとした重い空気に辺りが包まれ、堪らずビクつく。
店内を仄かなエメラルドグリーンに照らしていた光たちが、突如として警戒色に変化した。赤々としたそれらはガラスをすり抜け、ガスマスクの少年へと飛びかかっていく。少年はそれらを地面に置いていた鉄パイプで弾き返し、後退。邪魔くさそうにチェーンソーをこちらへ放り、二、三回ほどバク転する。
飛んできたチェーンソーはリリィの魔法により粒子と化した。私の心配などいらなかったのではないかと思えるような光景に、ひっそりと汗をかく。私は一体どの次元の空間に迷い込んでしまったのだろうか……。
「答えなさい」
私から離れ、リリィが前へ。恐れなど知らないとでも言うように、ハッキリとした言葉を少年に投げかける。
「あなたは誰で、なんの目的がありここへやって来たのですか? 場合によっては容赦はしませんが……」
「……」
少年は沈黙した。沈黙してから、構えを解く。
「ご無礼をお許しください。魔女リリィ」
ぺこりと頭を下げた少年。そのまま顔に装着されたガスマスクに手をかけた彼は、俯きがちにそれを外した。明るい翡翠が外気に晒され、微かに光を反射する。
「父より話を聞いていたので、ここを訪れました。あなたならば、きっと力になってくれると……」
「父……?」
少年は声を出さずに頷いた。そして、ゆるりと顔を上げる。
「僕はイゼ。怪物男――ヴェルウィネ伯に育てられた者です」
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