第7話 玉藻前と狐火

 三日目が来た。一階の食堂まで降りると少女が本を読んでいた。もう祭りの姿をするのはやめてしまったのだろう。まだ着物は着ていたが、狐の面は見当たらず、深紅の瞳がそのまま本に注がれていた。

 女中たちが朝食を運んできた。目玉焼きにベーコン、細かいチーズが振りかけられた新鮮なサラダ、そして小さな白いオムレツが一枚の大きな皿に盛り付けられていた。彼らの余裕に満ちた姿を見て、陽子は外部からの助けはないだろうと判断した。改めて、彼らの正体は何者なのだろうと疑問に思った。

 陽子は朝食を進めながら、眉間にしわを寄せて本を読んでいる少女に話しかけた。

「昨日、あなたに似た人工知能と出会ったわ。あなたの妹かしら?」

 少女は驚いて顔を上げた。そして、突然おかしそうに声を立てて笑いだした。

「Y・Fは私の妹ではありません。もちろん、私自身でもありません」と興味深そうに赤く輝く瞳を陽子に向けた。「尊い血が流れている方は想像力が豊かなのですね。私、とても勉強になりましたわ」

 お前から尊い血だとか言われたくない陽子は思った。陽子は少女が身につけている美しい着物が名のある人物の作品であることが分かっていた。はじめに思っていたよりも、彼らは経済力があるのかもしれない。

「そういえば」と陽子は訊ねた。「まだ、あなたの名前を聞いていなかったわね。もしかしてあなたが主人だったのかしら?」

 これまで陽子は少女が組織の案内人だと思っていた。しかし、ここではずっと彼女が女中に指示を出しており、女中たちも少女に敬意を払っていた。そして、彼女は誰かから指示を受けている気配がなかった。

「はい」と少女は陽子に微笑んだ。「この家は私のものです。私の名前は、とりあえずは林檎でお願いします」

「どうして偽名なのですか?」と陽子は眉をひそめた。

「偽名ではありませんよ」と紅玉石の瞳の少女は言った。「人工知能というのは多くの名前を持つものです。林檎も私の正しい名前の一つです」

 陽子はため息をついた。まだ熱い焼きたてのパンをちぎると、乱暴に口に入れた。林檎は興味津々という顔で陽子を見ていた。あ、貴族が食べ物を食べているという感じで、彼女はまるで動物園にいる子どものように目を輝かせていた。

 朝の勉強を終えて、陽子はアマテラスワールドに接続した。待ち合わせ場所の朱雀院の前まで行くとすぐにツララが現れた。

「今日は何をしようかしら」と陽子は言った。

「私、考えました」とツララが両手のこぶしを握った。「陽子さん、陽子さんは天照大神を強いカードだと思っているかもしれませんが、しかしそれは今から三年前、しかもエンジェル&サイエンスでの話です」

「どうしたの、いきなり」と陽子は眉をひそめた。

「アマテラスカードとエンジェル&サイエンスは同じではありません」とツララは陽子の前を素早く飛びながら言った。明らかに興奮していた。「ルールも同じではありませんし、使われているカードも異なります」

「そうね」と陽子は気圧されながら相づちを打った。

「そこで、陽子さんはこれから新しいテーマに挑戦するべきだと思うのです」とツララは目をぎらぎらさせて言った。「Y・Fは強い人工知能ですが、しかし彼女と彼女が操る天照大神が最強であるわけではありません。天照大神は平安時代で使われるだけで、大会などでは滅多に見ることのないカードなのです」

「なるほど、つまり外国生まれのカードを使うのは初心者というわけね」

 陽子は皮肉を言ってツララの熱を冷まそうとした。しかし、効果はなかった。ツララはその通りですと断言した。

「でも、私はまだ初心者なのだけど。それに私は八岐大蛇が気に入っているからまだまだ相棒にしていたいわ」

「新しいカードを探しましょう。陽子さんにふさわしいカードを」

 ツララは陽子の話を少しも聞いていないようだった。どうやら、一晩のあいだに新しい計画を立てていたようで、その計画で頭がいっぱいのようである。このあたりは先ほどまで会っていた林檎とまったく同じだった。

 さっと指を振ると、ツララは青い半透明の板を呼びだした。これはウインドウ・パネルでタブレット端末と同じように指で触れて操作できる仮想世界の端末だった。陽子さんのために厳選しましたとツララは言うと、ウインドウ・パネルを裏返して、その厳選されたらしいテーマの一覧を陽子に見せた。

 一覧には七種類の妖怪の名前が並んでいた。蜘蛛の妖怪である絡新婦(じよろうぐも)を除いて、狸や猫またなどの頼りない動物妖怪が多いような気がした。

 ふと、十二単を身につけた女性が目についた。狐火と書かれていたが、しかしツララが用意してくれたメモによると狐火ではなく玉(たま)藻(もの)前(まえ)だそうだ。

「これにしようかしら」と陽子は言った。

「玉藻前にしましょう」とツララが食いついてきた。

 どうやら、この娘は陽子の意思を尊重するために七種類を用意していて、本音では玉藻前だけを勧めるつもりでいたらしい。

 解説を読むと、玉藻前は天照大神に似た動きができるテーマのようだった。玉藻前自体は下級妖怪でしかなく、他の下級妖怪と組みあわせることで上級妖怪に変化できる。子狐の叫びで下級デッキから召喚もできる。

「使い続けていれば」とツララは悪戯な笑みを浮かべた。「玉藻前の強さに陽子さんは驚くことでしょう。特に要ともいえる狐の嫁入りは衝撃的な強さです。ただ、使いこなすのは普通の人には難しいのですが」

「煽ってくるわね」と陽子は笑った。

「陽子さんのことを信じています」

 二人は地図を見ながら玉藻前の屋敷に向かった。

 玉藻前の屋敷は平安京の東側にあった。土曜日の十一時なので通行人は多くない。門の前には狐の耳が生えた着物姿の男性が立っていた。陽子が話しかけると、笑顔を浮かべてなかに案内してくれた。

 屋敷の奥には店があった。八岐大蛇を手に入れた場所と同じように、壁には少なくとも百枚のカードが並んでいた。硝子のケースには何種類もの構築済みデッキが展示されていた。玉藻前や狐火だけとはいえ、様々な組み合わせがあるようだった。陽子は頼んで見せてもらった。

「Y・Fに勝てそうなカードはないわね」と陽子は言った。

「ここは平安時代でも初心者向けですから」とツララが言った「これは最高指導者である布袋尊の方針でもあるのですが、はじめから強力なカードを使えることは好ましくもなければ楽しくもないと私たちは考えています。初心者には初心者の楽しみがあり、そのために制限をかけることも必要です。子どもは小さな大人ではなく子どもであるのと同じ理屈です」

「その考え方には全面的に賛成するわ」と陽子は言った。にこりと笑い、その教えをツララも守りなさいと思っていた。

「説明が必要ですね。アマテラスワールドにはランクに応じた四つの領域があります」

 まずは初心者のための平安時代がある。この領域は入場制限がなく、アマテラスワールドに登録した現実世界の住人は誰でも訪れることができる。平安時代全体の広さは平安京とその周辺に限定されており、使用可能なカードの種類も大きく制限されている。河童や天狗、鬼などの日本人に広く知られている妖怪が中心に活躍しており、鬼でも酒呑童子を強化するような強いカードは使用できない。

 そして、ランクを四まで上げると次の室町時代に進むことができる。ここは平安時代に比べると全体の空間が広く、使用可能なカードの種類も多様である。九尾の狐などの有名テーマがしのぎをけずる世界だ。

 ランク六以上になるとアマテラスワールド最大の江戸時代に行くことができる。普通に遊んでいるプレイヤーにとっては、この江戸時代が最終地点になる。アマテラスワールドの八割を占める広い空間が用意されており、その広さは地球の日本に匹敵している。ほとんどすべてのカードが使用可能である。

 そして、四つ目は大正時代である。ランク九以上のプレイヤーだけが入場できる。競技としてのアマテラスカードを楽しむ場所で、そのため使用可能カードも公平性のため江戸時代よりも狭く設定されている。大正時代のプレイヤーたちは最高ランクのランク十を目指しており、ここでは月の初日に使用可能カードが変化する。

「ランクは何をすれば上げることができるの?」と陽子は訊ねた。

「ランク戦に認定された公式戦で勝利すれば、ランクを上げることができます」とツララは説明した。「ランク戦は相手が人間の場合もあれば、人工知能の場合もあります。たいていは自分と同じ力量のプレイヤーと対戦することになります。平安時代から室町時代までは普通は一ヶ月ほどで行くことができます」

「分かったわ」

 陽子は玉藻前の構築済みデッキを開封して、切り札になる玉藻前を取り出した。攻撃力一二五の下級妖怪だが、上級妖怪と同じように召喚条件が設定されている。玉藻前の召喚条件は場の妖怪三枚を墓地に送ることである。効果は攻撃力上昇で、戦闘宣言時に自分場の攻撃力一二五以上の妖怪を墓地に送ることで、戦闘終了時まで自身の攻撃力に墓地に送った妖怪の攻撃力を加えるというものだった。

 陽子は玉藻前デッキを実際に使用してみることにした。奥にある対戦場に行くと人間に化けた狐火の娘たちが遊んでいた。彼女たちに混じり対戦をはじめると、幸運にも一ターン目に手札に玉藻前が来たので、さっそく場の狐火たちを墓地に送って召喚した。

 しかし、構築済みデッキに入っていた玉藻前に関係する上級妖怪は、悲しいことに『氷結の玉藻前』だけである。氷結の玉藻前は攻撃力一二五、召喚条件は場の玉藻前と水の狐火の二枚を墓地に送ることだった。

 効果は一ターンに一度相手の手札を一枚捨てさせる。確実に相手の手札を減らすという点では非常に強力な効果ではあるが、切り札として使うには物足りなかった。

「もう少しだけ強いのがほしいなあ」

 店に戻ると、陽子は他の構築済みデッキを探してみた。ツララは陽子が玉藻前に不満そうなので元気がなさげである。

 陽子はツララに向けて微笑むと、展示されている商品を眺めた。すると、ひとつのデッキが彼女の目に留まった。表に振り袖姿の元気な少女が描かれている。

「これを相棒にしようかしら」と陽子が言った。

「『狐火の姫』ですね」と言うとツララが首をかしげた。「攻撃力は一一五。効果は「狸」カードを相手に戦闘するときに攻撃力を五〇上げる。活躍できる場面が、ずいぶんと限られている気がしますが」

「でも、弱点は他のカードで補えるわ」

 陽子はカードの絵が気に入ったのだった。天真爛漫で勝ち気な顔をした少女に、どこか惹かれるところがあったのである。

 陽子は意気揚々と対戦場に戻った。狐火の娘たちは、まだ同じ席で対戦していた。陽子は椅子に座ると対戦をはじめた。勝負は勝ったり負けたりだったが楽しかった。負けるたびにデッキを改造して再び対戦した。

「弱くなってますね」とツララが不安げに言った。

「でも、まあいいかな」と陽子は笑った。「だって、こちらのほうが楽しいもの」

 そういえば、エンジェル&サイエンスでは勝ち負けを気にせずに対戦をしたことはなかったなあと陽子は思った。木星では近衛家でお世話になっていたが、いつも陽子は命令されながらカードゲームをしていた。

 小学生のときは勝つことだけが楽しくて、弱いのだけど好きなカードを使うことなど一度も考えたことがなかった。

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